第二章 【復帰】 2.
「本日十七時十三分、長堀地方刑務所よりの脱走犯、印波タケシを確保。抵抗したため、やむなく討ち取りました。詳しい状況は、後ほど書面にて届けさせます」
敬礼を解き、形式通りの口上を述べるオレの、右斜め後ろには生島がいたが、鴻上司令の背後には、副官の姿はなかった。
ドア付近にある書記官のデスクも無人で、オレは、軍の非公式番付にも載る美人少尉に会い損ねた。
軍に女性は一割弱しかおらず貴重である上、司令には家へ戻れば美しい奥方もいる。人生は不公平だと、此処へ来るたび誰もが思う人事である。
「ご苦労だったな」
司令も――との言葉をオレは抑えた。遠慮したのではない、今さっき、他人の嫌味を胸の内で非難していた自分を思い出したからだ。
前に見た時よりも、眉間の皺が深くなっている気のする眼前の司令も、周囲に対し、オレと同じように思っているかも知れないじゃないか。
「印波の死体は……」
「現状を留めない状態にありましたので、関係諸氏のお気持ちを察して、勝手ながらこちらで荼毘に付させていただきました」
「そうか……いや、それでいい」
おや? とオレは思った。ここで遺憾の意を表されると踏んでいたのだが。
オレの表情を読んだのか、眉間の皺をますます深くしながら、司令は「何だ?」と訊いてきた。
「いえ、まぁ、その……」
「はっきり言え」
眉間だけでなく、目つきも険しくなってきたので、急いで口を開く。
「石背から、何か言ってきてないんですか?」
「言ってきてないと思うのか、お前は」
「思わないから聞いているんです」
だろうなと呟き、司令は溜息を吐いた。
「茅野、私は、と言うより、周芳はお前を買っている」
いきなり妙なことを言われて、オレは「それは、どうも」と、間抜けな言葉を返していた。
それを気にした様子もなく、司令は続けた。
「だが、石背は、そうじゃない」
「よく知っています」
深く頷いたオレに、司令の何か言いたげな気配が漂ったが、本題を優先させることにしたようだ。
「つまらん面子を優先し、印波のむごたらしい死体をあちらに届けることで殊更に、下手人としてお前の名前を刻みたくないのだ」
何か変だな、とオレは思う。今以上、あちらのオレに対する好感度が下がったところで(下がる余地があるかどうかはおくとして……)、誰も迷惑しないはずだが。
なにか、形式とか体面とか、意地の張り合いよりも重大な問題が、本部に起こっているんだろうか?
ちらっと斜め後ろを見ると、生島が僅かに首を横に振った。
生島が知らないとなると、余程の緘口令が引かれていると見て良さそうだ。しかも、話の流れを考えると、関連した何かがオレに降りかかって来る確率が……
「茅野シン大尉!」
「はっ」
司令の引き締まった声に、ぐっと顎を引き背筋を伸ばす。昔よく、道場や戦場で聞いた声なので、ほぼ条件反射だ。
「右の者、逃亡犯印波タケシ捕縛の功により、少佐へ昇進。地方治安維持軍南方師団から中央大隊へ復帰。九隊とは別に新設される、特別部隊の大隊長を命じる」
中央大隊に新たな部隊の設置!? 軍が設立され、途中『境界線』の発生等で大改編があって以来、二百余年、ついぞ聞いた記憶のない話に固まっていると、追い討ちが掛かる。
「答礼は!」
「拝命します!」
軍人である限り、他に答えはない。たとえ得体の知れない厄介事が、降ってくるのが分かっていてもだ。
「慣例通り、副官以下、大隊構成は一任する」
そこまで一気に言って、司令はふうっと息を吐いた。まるで今日の仕事が片付いたといった風情だった。
そっちはそうでも、こっちには聞きたい疑問点は山ほどある。
「時に、茅野少佐」
口を開きかけた機先を制するように、再び声が掛かり、オレは「はい」と言葉を変える。
「その上着は、星が一つ足りんようだが?」
不意を突かれて、ぎょっとする。肩にある『中尉』の階級章にちらりと視線をやると、弁解するために口を開いた。
「先刻までの作戦中、上着が破損したので廃棄しました。ですが出頭するにあたり、司令の前でシャツ一枚は失礼に当たると思い、借り物で間に合わせた次第です」
『破損』という言葉に眉が顰められたが、気を取り直したように司令は頷く。
「そうか、左遷はしたが降格した覚えはないのに、おかしいと思ってな」
声からは本気だか冗談だか分かりにくいが、口の端が少し上がっているのは分かる。
「……しかし、今お前の部下には、『中尉』はいなかったと思ったが?」
こういう突っ込みが来ると思わなかったオレは、この人を見くびって、というより、ある意味信用していたのだろう。
オレは諸手を挙げた。
「勘弁して下さいよ。分かってんでしょう、綾部のですよ。司令が派遣してくれたんじゃないですか。一緒にこっちに戻ってきました」
司令が――の部分を強調したのは、せめてもの反抗だ。
「そうか。綾部中尉は間に合ったようだな」
司令はさらっと、とりあえず表面上は無傷のオレを見て、返した。
「おかげさまで、助かりましたよ」
オレも無難に返した。
『中尉は、行き掛けの駄賃とばかりに、軽く、印波の腕をぶった切ってくれました』、とは言えない。
綾部の行方を問われたので、「参謀本部に戻りました」と返す。
司令は何かを考えるような顔をしたが、いきなり「参謀のことだが」と来た。大隊には作戦補佐として、参謀本部から士官が派遣されてくる。
「慣例に従い、本部から任命されるのでは?」
まさかな、と思ったが、一応月並みな返事をした。
そんなオレに、司令は難しい顔を作り腕を組んだ。
「生憎と参謀本部も、現在ごったがえしててなぁ……」
……いったいここで何が起こっているのか、できればそれを先に言ってくれてはどうだろうか?
「この任務や、お前の適性その他で参謀を選んでいる暇がない」
「はぁ」
大隊付きの参謀というのは、本来戦場での作戦補佐で、平時は本部からのお目付け役のようなものだ。
別に、ゆっくり任命してくれてもいいのだが、こんな特別な部隊を作るくらいだから、そんな余裕すらないということだろう。
「そこで過去の事例を参考にして、お前と大隊に合わせやすい人事で対応する」
という事は……
「前中央第四隊現参謀本部所属、綾部ユキト大尉が、暫定的だが、今後お前の参謀となる」
……という事か、やはり。さりげなく告げられた階級が上がっているのは、オレの左遷中に綾部が何かしでかしたんだろう。
そうでなければ、いかに『周芳』の後押しがあっても、参謀本部へ行って、まだ半年足らずのぺーぺーが外へ出てくる訳がない。
「これでかなり動きやすくしたつもりだ。全身全力を挙げて、職務に励むよう」
司令の暖かい根回しの結果でもあるらしい。だが、ここで放り出される訳には断固いかない。オレは縋るように言った。
「その『職務』の内容について、ご説明を願います!」
「これから説明する」
当然だろうと言わんばかりの口調に、オレの顔が笑う。感情を抑えこむと笑顔になるのは、ここ数年の努力の賜物だ。
綾部も呼んでもらったほうが、手間が省けると思わないでもなかったが、参謀本部ならここよりもっと詳しい話が聞けるはずだ。
いったい何が起こったのかと、待ち構えるオレに、司令は薄く微笑んで、淡々と言った。
「先日、首相府に、『隣人』から連絡が入った」
言葉の意味を捉え損ねて、オレは首を傾げる。
「新設される部隊は、軍がその件に対応するための機関だ」
「え……ちょっと待って下さい?」
上官の台詞を遮るという、軍人にあるまじき行為を気に掛ける余裕はなかった。告げられた言葉の意味が浸透するにつれ、頭が混乱してきて、言葉がろくに出て来ない。
「軍が対応する、り……『隣人』とは、いったい」
明瞭さを欠いた発言を咎めず、司令は平然と嘯いた。
「この星の原住民だ。彼らのことは、一部始終を士官学校で習ったはずだ」
「小学校で習ったことと、大差ありませんでしたよ!」
どちらも、『おとぎ話』にしか聞こえなかった。士官学校での授業では、『童話』が『小説』っぽくなっていたくらいだ。
はっとして振り向くと生島も、『私たちの先祖は、空から降りてきたんだよ』と、初めて知らされた小学生のような顔になっていた。
自分の常識の方が、間違っているんじゃないと確かめて、司令に詰め寄る。真夜中の中央本部の司令室で、からかわれる可能性などほとんどないはずだが、それでも一応は聞かずにいられない。
「真面目な話なんですね……?!」
司令は重々しく頷いた後で、深く息を吐き出した。
「安心しろ、茅野。……聞いた時は、オレも耳を疑ったよ」
司令の声に呆れた響きを感じ、思わずほっとした。
「上層部の間での、公然の秘密でもなかったんですか?」
「実際に存在する『らしい』というのは、私も聞いていた」
それなら自分にも許容範囲だった。
「はっきりと認識していた――つまり、あちらと、連絡を取り合っていたとかではないのですね?」
司令は頷いた。
「私はそう聞いている。ただ政府は、あちらと連絡を取り合う努力はしていたらしい」
そりゃあまぁ、本当に『いる』のなら会ってみたいだろう。オレは、重大な事実を思い出した。
「『隣人』が実在するというなら、北方の『境界線』は? あれは磁場とかでなく、本当に彼らが何かをやってるんですか?!」
「彼らが『いる』んなら、そう解釈した方が自然だろう」
「じゃあ、政府がしていた努力というのは」
司令は少し口の端を上げた。
「そうだ。接点はあそこだけだ。大きな質量を跳ね返す『境界線』。あの状態の研究と称して、毎年少なくない予算が編成されている。そこに、『隣人と連絡を取る努力』が計上されていたんだろう」
死活問題に繋がることから、この星の生態系を調べることに費やす研究費は、どれだけ大きくても当然という意識がある。それが目くらましになったわけだ。
「実際には、どんなことを?」
「境界線の向こう側へ人の派遣。もちろん、戻ってきてしまうが、その距離や頻度の測定分析」
そこまでは、『隣人』の存在を信じていようがいまいが、やらざるを得ないことだろう。
「および、『隣人』への呼び掛け」
「……森へ向かって話しかけた、とか?」
頭の中に再び、童話の挿絵のような光景が浮かぶ。
「最初はそうだったんじゃないか? おそらく」
神妙な表情で、司令も同意した。
「人間じゃ、当番制にしても疲れるだろうし、もともと極秘事項だ。人員もたくさんは割けないだろう。そのうち、音声再生装置を置くようになったらしい」
何もない空間に話しかけるのもつらいだろうしなと、司令は彼らの苦労を思いやるように溜息をついた。
「そういえば、あちらに人がいると、確信するに至った事実は何ですか?」
さすがに、確信しないで、そんな聞くからに空しそうな任務はやらせまい。
「受け継がれていた、とのことだ。『隣人』が現れたとされる、建国一五〇年目の記念日から、代々の首相に」
してみると、『おとぎ話』には、かなり真実が含まれていたようだ。
「その存在を疑うな――、とな」
「政府の一部の人間しか知らなかった、というのは……」
「情報操作だろう。むやみな恐怖心を煽らないための」
「好奇心、とも言い換えられますね」
「そういうことだ」
境界線を越えて行方不明になった人間の数は、毎年、報告されているだけなら十人足らず。実際には、優に五倍はいるだろうと言われている。
もし本当に『隣人』がいるとなれば、その数は更に十倍に跳ね上がるだろう。
「録音して流したもの、というのは?」
「私も聴かせてもらったが、代々の首相の、『こちらに害意はない。友好的な未来に向けた話し合いがしたい』、というような意味の演説だ」
「代々ってことは、この二百年くらいずっと? 繰り返し、再生していた訳ですか?」
「バッテリーの問題もあるだろうから、ずっとという訳にもいかなかっただろう」
その問題もありますね……と、ごにょごにょオレは呟いた。もし、エンドレスリピートの音声を、隣人側で聞いていたとすれば、さぞや鬱陶しかっただろうなとの感想は飲み込んだ。
「その演説の最後に、政府への連絡の入れ方、通信機械の使い方などもあって、今回の連絡は実にその回線からだったらしい」
不謹慎にも、口笛を吹きたくなった。
「地味な努力が報われた、ということですか。発信機はどうなってたんですか?」
「その再生機が、発信機としても使えるもので、そこからだ」
「成程、矛盾はありませんね」
話としては、よくできている。
「内容は? 友好的なものだったのですか?」
そういえば、『言葉』はどうなっているんだ。昔話ではその辺りを、はっきりさせていなかった気がする。
「一応は友好的なものだと、政府は判断している」
「はっきりと友好的なものではなかった、と?」
「微妙だな」
「その『連絡』の音声は、聞けますか?」
「後で渡す。こちらの人間数名があちら側にいるらしく、そいつらをこちらに返したいと告げる内容だ」
「……確かに、微妙ですね」
「しかも話しているのは、どうもその連中の一人らしい」
「それは本人が、連絡の中で言ってきているのですが?」
「そうだ。要約すれば、『自分たちは、こちらへ密入国した者で、現在、彼らの国にいる。彼らは、我々をそちらへ帰したいという意思がある。一度、会見の場を設けてくれないか?』だ」
オレが黙っていると、それまで黙って聞いていた生島が、控えめに口を挟んだ。
「この国の人間の狂言という可能性は、どうですか?」
「電波が発信された場所は、境界線から北へ、ずっと奥深く入り混んだ領域だ」
「そんな場所から、電波がよく届きましたね」
森の中に、中継地点がある訳もないだろう。
「首府の宇宙船に使っている、星間連絡用のアンテナを中継するよう設定してあったらしい」
ご先祖様が乗ってきた船は、その中で暮らす年代が終わった後、一隻は石背に、一隻は周芳にと運んだ。
だが、最後の一隻は、元々降りた場所――この首府の近くの湖で、壮大なオブジェとなっている。
中身はもうボロボロだが、その先に付けられたアンテナだけは宇宙に向けられており、年に数度は点検を行っている。言うまでもなく、いつか同胞からの連絡が届くかもしれないという、微かな希望によるものだ。
とはいえ、今度のような役に立つなら、それに掛ける(結構バカにならない)予算も無駄じゃないらしい。
「こちらの人間の自作自演にしろ、そこまで行っている人間の話を聞けるなら悪くないですね」
司令も軽く頷いた。
「政府も軍も、この提案を受けることに異議はない。それで、会見場所なんだが……」
「首府にお出でいただく、という手は?」
何の手妻かは知らないが、二百年前はいきなり首府に現れたはずだ。
「今回は、こちらの人間を連れて来ると言っているせいか、勝手が違うようだ」
「つまり、前回に使った、瞬間移動のような特技は『隣人』限定であると?」
「私はそう思った。だが、実際どうかは分からん」
当然だが、相手に関しては、分からない所だらけだ。公開されている記録には姿の記載さえない。
理由を考えると怖い想像も湧くが、何はともあれ、相手が本当に『異星人』なら、人類の新しい歴史がここから始まるのかも知れない。
(あまりに話が大き過ぎて、実感が湧いてこないな……)
取りあえず現実的なことの確認かと、口を開いた。
「……で、場所なんですが、もう決められたのですか?」
少し間を置いてから、返事が戻ってきた。
「相手が指定してきた」
向こうから言い出してきた以上、それもありえない話でもないだろう。だが、何となく意外な話で、オレと生島は顔を見合わせた。
「もしかして、彼らの国に呼んでもらえるんですか?」
生島が司令に訊いた。
「いや、彼らは、こちらの地図に書かれている標準計測線で、場所を指定してきた」
これにもオレと生島は顔を合わせる。生島は思考を纏めるように顔を顰めながら、ぽつりと呟いた。
「現在、あちら側にいるというこちらの人間は、どのくらいまでこちらの内情を話しているんでしょうね」
例えば、『隣人』を仮想敵と見なしていれば、詳しいこちらの情報を渡すことは、利敵行為になるんだろうが……敵か味方かの判断は、参謀本部でさえまだ出せないだろう。
「瞬間移動のようなテクニックが使えるのなら、向こう側が知ろうと思えば、幾らでもこちらの事情は分かるんじゃないか?」
地図の一枚くらい、いつだって手に入れられるだろう――とオレが言うと、司令も頷いた。
「そういうことだな……向こうからの指定ポイントは」
司令は、何気ない口調で本題に入った。
「北緯三十二度、東経七度五分」
不意に、司令の声が遠くなった。
「指定された場所は、こちらの地名でいう周芳郷葉前……」
さっきまで、確かに踏みしめていた足元が、ぐにゃりと緩んだ。
昔どこかで聞いた言葉を、今、目の前でもう一度、同じ相手が言っていた。逸らされていた視線が合い、断罪の言葉が告げられる。
「お前の故郷だ、茅野」
その言葉が咀嚼され脳に浸透するにつれ、笑い出したくなる衝動を、オレは必死に抑えた。
まるで、腕を斬られた時の印波のようだと、頭のどこかで感じた。