序 章 とにかく鳴神情は悲惨な日常を送り続けていた
八月一九日。宇都宮市。
今日もいつものパターンの日を迎える。
「ち、チクショー……なんだっていつもいつも……よくないことを招いてしまうだよう!」
青天井の真下。今日もさっそく疫病神として力を発揮する鳴神情は少々お疲れ気味の様子で全力疾走中。
言っておくけど、別に警察に追われる形になったり、不良とかヤクザを怒らせてしまった訳じゃあない。そんな訳あるまい。敢えて表現するなら、強いて言えば、公共の場で独り猛ダッシュしている特殊な性癖がある少年にしか見えないだろう。または障害者とも見えてしまいそうだ。
否、そう判断されてもこちらも困ってしまうものだ。だって好きで苦労して走っていないし休憩したくても足を止められない状況。
街中。視えない奴らが平然と爆笑している姿を見ると、この野郎傍観者共め、と罵声を吐いてしまいたい――まだ一六歳の鳴神である。
何故、彼ら傍観者共は後ろの一一人ほどのオッサンパレードに着目できないのか? と疑問に思われるが、これは視えなくて当然なのだ。
「くっそぉ! こう毎日毎日祟られちゃあたまったもんじゃあねーなっ」
《霊眼》。
この眼を持つ人間は霊的なものを感ずる不思議な感覚を得る。
つまり、生まれつき――霊的存在や霊的世界と接触・交流する素質があるってことだろう。鳴神は(視える)その一人であると同時に幽霊という現実から野放しにされてしまった流浪に狙われているのだった。
日本のことわざで『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という言葉があるが、鳴神の目に視えている不穏分子は『幽霊かと思ってよく見ると枯れたススキの穂であった』というオチは願ってもそういう素敵なオチにはならない。
鳴神はそこまでわかっていながら、自らの双眸を細めて青く燃やした。
ていうか。
目映い日差しに幽霊が苦手なんてデマは誰が流行らしたんだよ。そんな事は吸血鬼だけじゃあないのか、などなど……と鳴神は悪態の限りを尽くす。
逆に独りだけ日差しの攻撃を食らい続ける鳴神はまるで僕が夜行性のナニモノじゃあねーかと思痛げな顔をしているうちに体力が徐々に奪われていくような気がしてならない。
視界が漂白されていく。
強烈なアスファルトの照らし返しを食らいながら滝谷町交差点をそのまま突っ切る。
と。
そう思っていたが、よく道端に飾られている看板を見間違えて方向を間違えてしまい、滝尾神社の階段を駆け上がってしまった。
汗と涙で走り続けた鳴神はとうとう逃げ道を失くした。そこは殺風景というべきか、フェンスで砦を囲い、赤い鳥居と小さな小屋みたいな祭壇が設けてある。建造物自体オンボロ。ライトは無い。肝試しの最後の終着点にするのにうってつけの不気味な場所だ。ちょうど日陰にあたるところなため今日みたいなギラギラした陽差しだろうがこれはもう場所が悪いというべきか――暗闇に塗りつぶされない日は到底来やしないだろう。
「何だかな……本当にこうやって一六年間過ごしてきてこれが僕の日常じゃあ……無限ループを味わっているような……そんな気がしてならないんですが……鳴神情さんの率直なご意見なのだが……まさかの寝ている合間に宇宙人の実験台にされて改造人間になっちまったパターンはないだろうな……つか、そんな現実離れしている出来事……さすがにあるわけねぇー。この状況も充分非リアルなシチュエーションだと思う…………………………」
鳴神は一人で僻む。その間にも幽霊がゾンビのような足取りで接近してきている所為か余計にパニくってしまう。
万事休す。
鳴神は馬鹿みたいに青空を、馬鹿みたいに見上げて、さして何もできなく、その場でバタンと座りたくなる衝動を我慢して、息を吸って吐く。
鳥居の真下には。
失業したサラリーマン。
交通事故で死んでしまった女の子。
タイマンではっちゃけたヤクザ二人。
火事で家を無くした家族四人。
あれ? 三人足りない。
しかし、もうかれこれ一〇キロ近く走っている。少しくらい幽霊を振り切っても特にオカシイ点はないよな、鳴神は心の中で疲れ果てた様に囁く。と、うん、よくやった自分、と褒めてやりたい鳴神は本当に素人なりに皮膚から蒸気が出し切るようなくらい頑張って走ってきた。さすが、一六年間逃げ回って来たかえあって肺と筋力が平均越えである。これで微々たる結果がなければ自分の唯一の取り柄を失くすところである。絶望というものだ。案の定、そのおかげで死人特有の浮いて動く何だかチートみたいな輩から数々の危機を、難を、逃れてきた。
つっても。
――その全てが僕に原因がある訳で………。
「………、」
両手を視る。そこに宿る力は全ての霊を成仏させるもの。右腕は半透明な波動を発している。これの能力はどうやら霊気を集める力ということらしい。そして左腕は漆黒の波動を発していてあらゆる煩悩をほぼこの手『一撃』で晴らすことができる代物。『一撃』と言うからには当然のように触れるだけで霊を黄泉に返すことなく無にすることが可能。霊にとっては天敵という訳だ。ここでこの得体も知れないものを天から授かった鳴神が疫病神の力を使ってあいつらを倒すことは安易なことだが、しかし便利品にも実は気づいていないだけで欠陥があると言う。例えるとまさにこの疫病神の力だ。一回使用するたびに自分の運の比率を低下させる。
これが限界まで来ると最早死亡フラグが起つのと同じ意味を表す。
と言っても過言では無い。
折り良くと呼ぶべきか。生憎と呼ぶべきか。
その日自身に向かって交通事故を連続多発させるほど、実に六六六回である。まさしく悪魔の数字を経験してビビりながら街中駆けずり回った経験者の――鳴神実体験である。
「まぁ、それも二四時間リセットなのだが……つか、何故幽霊のくせして……この僕が死ににいくようなマネしなきゃあならないんだ……。大体なー無益に、こんな疫病を流行させる自体使いたくねーんだよう。安心して学校に行けねーじゃん。うわ、僕はナニゾンビみてぇーな顔している賞味期限切れの輩に問いかけている…無意味なのに……とほほ…」
こうした体験は万年経験している所為か、経験値が上がる一方である――きっと今頃の鳴神のレベルは一六〇ぐらいだろうと思う。
一年で一〇レべ……よーやるわ鳴神。
思い返せば――ある日は自分が通っている高校をキリスト信者に塗り替えられ。その張本人ザビエルの執念亡霊をこの左腕を使い、一撃で成仏させ。またある日は奮発してまで頼んだサーロインステーキを食おうとしたその店でアンラッキーなことに地縛霊と遭遇してしまうほど、右腕には悪い幽霊を引き寄せる(集める)力が秘められている。もうこれは自身を疫病神としかいいようがない。
無論、鳥居の真下にいる彼らの正体が幽霊と言っても『無念』が晴らされていない浮遊霊。しかし、幽霊を救済するにも実は賞味期限があり、期限が切れてしまったプリンと一緒のように霊体が腐って自我を喪失してしまい悪い霊に成り下がってしまう。それを、《亡霊》というのだが。
「あーなるほど……道理で今日のめざましテレビの運勢が悪い訳ですか…………」
悔恨の情にかられる鳴神は思い出したかのように昨晩から残っている運(悪)の比率(運)が解消されていないことに気づき。祭壇の前で立ち尽くす鳴神は自分のドジと方向音痴にとほほ、我ながら恥ずかしい気持ちになる。今時の小学生だって見慣れた街並みを得意げに徘徊できるというのに今時の現役高校生である疫病神は何を仕出かしているのだろうか。
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そこで、鳴神は頭を抱えた。
そう、昔からこうなのだ。
そう昔から。
ま。
覚悟を決めるしかないか………。
そうやる気ない顔立ちの中でも鳴神は目の前の宿敵に身構えるのであった。
「なんつーか、仕方がねーから今日も疫病神の役やってやんよ。
さぁかかってこいよ! 死にぞこないども!」
大いにこの後嫌な予感しかしない、と鳴神センサー(アホ毛)がビビってなっている。
言動が乱暴で礼を失している鳴神の心境はもうどうにでもなれって具合に不機嫌そうに誰かに泣きつきたい気分。こう切羽詰っていると、あちこち止むことのない蝉の声が、津波のように押し寄せてくるため、よく呑気に茶化せるよな、と言いたくなる鳴神だが、それはわざわざ叫ばなくてもいいんじゃあないかと思った。
そんなこんなで今日も絶対的に地獄逝き勧誘されそうな鳴神情の波乱な日々が幕を開けるのであった。