表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

一年に二度 三人で乾杯しよう

作者: A24

八月下旬。

最後一咲きを終えた夏の花達が、来年に向け種に命を蓄える。

蝉の鳴き声も日に日に勢いをなくし、一匹また一匹と地に落ちていく。地を行く蟻達は天からのご馳走に、ここぞとばかりに行列を作り、我先にと群がる。

彼らは知っているのだ。毎年この時期になると、この木の上から大きな獲物が降ってくることを。

そして、彼らもまた知っている。毎年この時期が来ると、自分の命が残り僅かであることを。最後の一鳴きをすれば、地に落ち自然に還ることを。


……ぽとり。


また一匹、この盛夏を生ききった蝉が地に落ち、他の者と同様、自然に還る。隣で共に鳴いていたもう一匹の鳴き声が止む。残った方は何を思うのだろうか。

しばらくして、どこからかもう一匹飛んで来ると、その残った一匹はまた鳴き始める。また鳴き始めては、また同じように地に落ち、自然に還る。

木の下に二匹並んだ光景を、飛んで来た一匹はどう思うのだろうか。


二匹の夏の終わりを見届けた後、私は額の汗を拭い、家の中に戻っていった。




盆休みをずらしたのが良かったか、今年は特に大きな渋滞に巻き込まれることもなく、スムーズに帰省することが出来た。

私は途中のコンビニで買った麦茶を飲みながら、無事実家に戻れたことにホッとしていた。冷えた麦茶ではなかったが、それでも十分、失った水分を取り戻せた。


家の中を一通り見て回った後、少し休もうとリビングに入った。テーブルの上にはビールの空き缶が三つ転がっていた。

前に帰ったのは正月だったか。

ビールの空き缶を眺めながら、私は一番窓よりの席についた。四人掛用のテーブルのこの場所が、私の定位置だった。

今は誰も住んでないこの家は、正月に帰った時となんら変わりはなかった。



二年前の盆の時期、私は出張先で父が倒れたという報せを聞いた。出張先から病院に向かったが、父の最期には間に合わなかった。

病室で見た父はただただ眠っているようであり、私が今までに何度も見たことのある父の寝顔のようだった。


病院に向かう途中、父の容態も心配だったが、母のことも心配だった。もともと体が弱い人であったため、ショックと心労で母までどうにかなってしまうのではないかと不安になった。

しかし病室の母は私の不安をよそに、いつもの落ち着いた優しい雰囲気の母だった。優しい雰囲気、優しい眼差し、優しい声で私に一言。


「おかえりなさい」


それはまるで我が家に帰省した息子にかけるような、そんな『おかえりなさい』だった。




父の葬儀も終わり、一週間が経った。

私は母のことが心配で、落ち着くまでもう少し休みを取ると言ったが、母は休んでばかりでは職場の方に迷惑がかかるからと認めてはくれなかった。

私が不安な表情をしていると、休みを認めなかった代わりに、今晩はご馳走を作ってくれると言ってくれた。

その年の正月振りに母の料理を食べれるのは嬉しかったし、その時の母の表情を見れば、私の方が心配し過ぎだなとも思った。

母がどれだけ張り切ってくれたのだろか。その日のテーブルには今までで一番のご馳走が三人分並んでいた。

私も母も普段はアルコールを飲まないが、今日に限っては二人とも缶ビールを一本だけ飲んだ。ビールが大好きだった父の分も用意し三人で乾杯した。




八月も残り僅かというところで、今度は母が倒れた。私はすぐさま病院に駆けつけた。

病院に向かう途中私の頭と心は、不安と恐れと焦りでグチャグチャになっていた。

病院に着き、そのまま病室へ駆ける私。グチャグチャなまま母の病室に入った私はどんな顔をしていたのだろう。

そんな私を見ても、母はいつもと変わらず、あの優しい一言を私にかけてくれた。


「おかえりなさい」


それを聞いた瞬間に私は一気に泣き崩れた。


「少し落ち着きなさいな」


大泣きする私に、母はニッコリと声をかけた。




私が病室に駆けつけた二日後に、母は息をひきとった。




後日、父と母の両方を看てくれた看護師が二人のことを私に話してくれた。

父は意識を失う痛み止めや麻酔の類いは一切拒否したという。最期に私に話したいことがあったからだ。迫り来る死と壮絶な痛みが襲ってきても、息子が帰ってくるからと表情一つ変えず堪えていたいう。

そんな父の最期を看取った母も、直後は涙を流したものの、私のことを考えてかいつもと変わらぬ母の姿で居てくれたのだ。


母が病室に運ばれた時、母は父親に次いで母親までこんなことになってしまい私に申し訳ないと涙を流していた。看護師に息子が来たら教えて欲しいと頼んでいたらしい。いつもと同じように、無事に帰ってきてくれた息子におかえりなさいと言いたいから、と看護師に話していた。




テーブルの上のビールの空き缶を見ながら、私は二年前の夏を思い出していた。

あれから二年。私は相変わらずアルコールは飲まないが、盆と正月にこの家で飲む缶ビールは旨いと感じる。


日が傾き、蝉の鳴き声も静かになり始めた。だいぶ気温も下がり、さっきかいた汗も今は引いている。

テーブルの上の空き缶を片付け、玄関へと向かう。

今晩も三人で乾杯するため、私は近くのコンビニへ缶ビールを買いに行く。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ