1-1 第1章:種をまく順番(三年目の春・鐘の話をしない朝)
畑と剣と、猫耳メイドの三年目
「剣も魔法も使えません。でも、種まきの順番なら決められます」
屋敷を失った日、私たちはまとめて異世界へ落ちました。
持っていたのは、エプロンと裁縫箱だけ。
剣も魔法も使えない二人が、辺境の開拓村でやったことは、
畑の種まきの順番を決めることと、毎日ごはんを作ることでした。
三年目の春。鐘を鳴らせば、正式な村人になります。
鳴らせば、もう二度と帰れません。
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1-1 第1章:種をまく順番(三年目の春・鐘の話をしない朝)
【内なる本心ログ(三年目の春、いちばん聞きたくない話)】
(――願望の層。
ご主人様。転移して三年目の春が来ました。
畑の土がゆるんで、森の向こうの雪も溶けました。
私の願いは、こちらの世界でも変わりません。
ご主人様に世界で一番愛されること……っ。)
(――本能の層。
……たりています。
おかしいんです。この村には、私を見る人が八十七人しかいません。
向こうの世界の駅前のほうが、ずっと視線が多かったのに。
なのに、ここのほうが、ずっと満ちています。
……たぶん、同じ人がずっと見ているからだと思います。)
(――思考の層。
報告。本日の作業割り当ては十二件。
種まきの順番は昨夜のうちに決めました。 北の畝から、日照の悪い順に。
懸案が一つ。村長が「そろそろ鐘のことを」と言いかけています。
転移三年目の春に鐘を鳴らせば、正式な村人。
鳴らせば、二度と元の世界へは戻れません。
――話題を逸らす手順を、三通り用意しました。)
(三つとも、私です。
そして今日、三つとも同じことを思っています。
『その話は、まだしたくない。』)
【1度目のサービスシーン:前掛けと長靴と、まくった袖】
朝六時。開拓村トコヤミの、東の畑。
ミミは前掛けを締め、長靴を履き、袖を二の腕までまくり上げていた。
純白のクラシックメイド服は、三年前に一度着たきり、木箱にしまってある。
「ご主人様。今日の作業着、これでよろしいですか」
「よろしいも何も、それしかないだろう」
「そうなんですけど。……いちおう、確認したくて」
ミミは前掛けの紐を、ゆっくりと結び直した。
背中で交差させ、前へ回し、腰のくびれのところで結ぶ。
結び目の位置を、いつもより一寸だけ下げた(視線誘導)。
「ここ。紐の位置、下げると動きやすいんです」
ご主人様の視線が、その一寸を追いかけた。
「……そうか」
「はい。そうです」
ミミは満足して、次に袖をまくった。
二の腕まで。肘の内側の、いつも隠れているところまで。
「土いじりのときは、ここまで上げないと汚れますから」
「知ってる」
「では、なぜ見ているんですか」
「……」
ミミの猫耳が、ぴこぴこと弾んだ。
この世界では、猫耳は珍しくない。 犬耳も、角も、鱗もいる。
村の誰も、ミミの耳を見て驚かない。
――ご主人様だけが、三年経っても見る。
「ふふ。ご主人様は、いつまでも新鮮でいてくださいますね……♪」
「うるさい。畝を踏むぞ」
畑の向こうから、鍬を担いだ村人が三人、こちらへ歩いてくる。
「おはようさん、ミミさん」
「おはようございます。第三畝、昨日の雨で締まってますから、
先に鍬を入れてください。 種はそのあとで」
「へえ。見ただけで分かるのかい」
「土の色です。昨日より一段、濃いので」
村人は感心したように頷いて、第三畝のほうへ歩いていった。
「……ご主人様。今の、褒められたんでしょうか」
「褒められてる」
「うれしいです。三年かかりました」
この村に来た最初の年、ミミは何ひとつできなかった。
土のことも、種のことも、獣人の子どもの名前も知らなかった。
――知らないことだけは、誰よりも早く覚えた。
【2度目のサービスシーン:踏み外した畝と、鐘の話】
「ご主人様。今日の順番、読み上げます」
ミミは手帳を開いた。 この世界の紙は分厚くて、字がにじむ。
「北の第一畝から。日照の悪い順です。豆、麦、根菜、それから――」
「なぜ日照の悪い順なんだ」
「育ちにくいものから手をかけるほうが、全部そろうからです」
ご主人様が手を止めた。
「……村長が、それを聞いて感心してたぞ」
「唸らせるつもりはありません。順番を決めただけです」
畑の入口から、村長の声がした。
「おうい。旦那さん、ミミさん。ちょっといいかね」
ミミの背筋が、ぴん、と伸びた。
(……来ました。三通りのうち、一番です)
村長が近づいてくる。 白い髭に、日に焼けた顔。 悪い人ではない。
悪い人ではないから、断りにくい。
「なあ、ミミさん。そろそろ三年目の――」
「村長さん。今年の豆の作付面積なんですが」
「……は?」
「去年より二割増やしたいんです。北の第一畝と第二畝は日照が悪いので、豆が向いています。
豆は根に窒素を溜めますから、翌年そこへ麦を植えると、肥やしが要らなくなります。
二年で一巡させれば、村全体の肥やしの消費が四割減ります」
村長が口を開けたまま、しばらく黙った。
「……四割」
「四割です。図面はこちらに」
ミミは手帳を開いて差し出した。 村長はそれを覗き込み、
鐘のことを完全に忘れた顔で唸った。
「……こりゃあ、寄合にかけんとならんな」
「ぜひ。今夜でもかまいません」
村長が去っていく。 ミミは長く息を吐いた。
「……一番で、足りました」
「二番と三番は」
「取ってあります。明日の朝も、鐘は鳴りますから」
そのときだった。
村の中央から、鐘の音が一つ響いた。
朝の作業開始を告げる、ただの合図。
けれど、その音が耳に届いた瞬間、ミミの足が止まり、
続けて――畝のふちを、踏み外した。
「あっ……!」
土に足をとられ、後ろへ倒れかけた身体を、ご主人様が受け止める。
前掛けごしに体温。 まくった袖の、剥き出しの腕に、ご主人様の手のひら。
土の匂いと、朝の冷たい空気と、三年ぶんの慣れ。
「……ミミ」
「……はい」
「鐘の音で、毎回止まるな」
「止まっていません」
「止まってる」
ミミはご主人様の首に腕を回し、耳元で"言葉に力を込める(言霊)"。
「……ご主人様。今日は、鐘の話をしないでください」
「村長は言うぞ」
「村長には、豆の話をします。三通り用意してあります」
「逃げるのか」
「――逃げます」
言霊は嘘をつけない。 だから、これも本心だった。
「三年目の鐘を鳴らせば、私たちは正式な村人です。
鳴らしたら、もう二度と、向こうへは帰れません。
私は、帰りたいわけじゃないんです。 ここが好きです。本当です。
でも……帰れなくなるのは、いやなんです。
矛盾しています。分かっています。 ずるいです。
……それでも、今日は、逃がしてください」
ご主人様の指が、ミミの首の『約束の首輪』に触れた。 鎖が、静かに引かれる。
「……分かった」
「……っ」
「豆の話を三通り、聞かせてもらおう」




