第九話「カインという男」
出発の朝、馬車に荷物を積み終えたとき、兵士が四人近づいてきた。
先頭の男は三十代半ばで、他より装備がいい。「出発前に荷物の確認をさせてもらいます」と告げると、クルトは「構いません」と答えたが、背中が少し固くなったのが蒼にはわかった。
兵士たちが荷台を調べ始めて、クルトの書類袋を手にした兵士が「中身を見せてもらえますか」と言った。
「公文書です。担当者以外が見ることはできない」
「検査の権限があります」
「検査の権限は王家の令状を持つ者にのみ発生します」とクルトが静かに言った。「第一王子殿下の旗を掲げていても、令状なき検査は越権行為になる」
先頭の男の目が細くなった。周囲の兵士が間合いを詰めて、リーナが剣の柄に指を近づけた。空気が張り詰めたそのとき、後ろから落ち着いた声がした。
「止めろ」
────────────────────────
声の主は、蒼と同年代か少し上の若い男だった。兵士の装備を着ているが、その質が他と段違いだ。彼が現れると先頭の男が姿勢を正して一歩引いた。
「カイン様」
「管理局の職員に無用な検査をするな」と男、カインが言った。「公文書への干渉は問題になる。下がれ」
先頭の男が不満そうな顔をしたが、黙って兵士たちを引かせた。カインはクルトに向かって小さく頭を下げた。「ご不便をおかけしました。どうぞ」
馬車が動き出してから、蒼はずっとカインのことを考えていた。第一王子派の中に、管理局との衝突を避けようとする人間がいる。それは派内が一枚岩ではない可能性を示していた。
「あの人は?」と蒼が聞いた。
「カイン・アルノード。第一王子派の中では珍しく穏健な立場を取る人物です」とクルトが答えた。
「敵じゃないんですか」
「敵か味方かは状況次第です。この世界の政治はそういうものです」
蒼はその言葉を頭に収めた。敵でも味方でもない人間がいる。それは思ったより重要なことかもしれなかった。
────────────────────────
街道を半日進むと、道の脇に分かれ道があった。左の先に遠く煙が上がっているのが見えた。
「村があります」とクルトが言った。「ただ、量が多い」
リーナがすでに荷台から立ち上がっていた。蒼も地面を確認すると、草地に大型の魔物のものと思われる足跡が残っていた。
「寄り道できますか」と蒼が聞いた。
「管理局の任務は王都への情報伝達が優先です」
「わかりました。自分とリーナさんだけ行きます。合流地点を決めてくれれば追いつきます」
クルトが長い間黙っていた。それから合流地点を告げて、馬車を先に進めた。リーナが荷台から降りて村に向かって走り始め、蒼もその後を追った。
村に着くと、外れの納屋が一棟燃えていて、隣の家に延焼しかけていた。魔物ではなく失火だった。蒼は燃えている納屋と隣の家の間の木製の柵を壊して防火帯を作るよう村人に伝えた。全員で柵を引き倒し、リーナが魔力で風の流れを変えた。火は三十分で収まった。
村長の老人が二人の手を握って泣いた。蒼は礼を断ろうとしたが、老人は離さなかった。
帰り道、リーナが前を向いたまま言った。
「クルトに怒られるね」
「そうですね」
「後悔してる?」
蒼は少し考えた。あそこで通り過ぎていたら、あの老人の涙を一生覚えていた気がする。
「してないです」と答えると、リーナが小さく笑った。それがどんな笑いだったのか、蒼は横を向く前に見逃してしまった。




