第四十四話「ライゼルという人」
馬車の中に、第一王子ライゼルはいた。
三十代前半の男で、軍服を着ているが似合っていなかった。体格は良くないし、姿勢も軍人のものではない。疲れた目をしていて、頭の横に書物の痕がついていた。移動中も本を読んでいたのかもしれない。
アリエルが乗り込むと、ライゼルの顔に初めて感情が見えた。
「アリエル」と彼は言った。
「お兄様」とアリエルが答えた。
二人がしばらく向き合ったあと、ライゼルが蒼に目を向けた。「転生者か」
「はい。天宮蒼といいます」
「マルクスが追っていた転生者か」
「そうです。昨夜、調律炉の封印を維持しました」
ライゼルの目が変わった。感情的な反応ではなく、情報を処理する人間の目だった。
「炉の逆転は止まったのか」
「止まりました。マルクスは管理局が拘束しています」
────────────────────────
ライゼルが長い沈黙に入った。外では騎士たちが待っていて、後ろには五千の軍が南下してきている。その全部が今、馬車の中の沈黙に圧縮されていた。
蒼は冊子を差し出した。「殿下、これを見てください」
ライゼルが受け取って表紙を見た。手が、止まった。
「ヴァルク村、記録……」
「管理局の資料とエムさんの持参した記録をもとに、今朝作りました。不完全ですが、村の実態と消された経緯、炉との関係がまとまっています」
ライゼルが冊子を開いた。一ページ、二ページと目を走らせる速度が、明らかに普通ではなかった。内容を吸収しながら次に進む、学者の読み方だった。
「これは」とライゼルが言った。「どこから」
「炉から直接聞いた情報と、オルティスが残した断片を繋いでいます。《知識蓄積》というスキルで、炉の言語が読めたので」
ライゼルが冊子から目を上げて蒼を見た。「炉と話せたのか」
「はい」
「炉が話しかけてくる、という伝説が古代史の文献にある。それが実際に起きたということか」
「そうです」
────────────────────────
ライゼルがまた冊子に目を落とした。今度は最初からゆっくり読み直した。誰も何も言わなかった。アリエルがじっと兄の顔を見ていた。
読み終えて、ライゼルが目を閉じた。長い沈黙があった。
「マルクスは」とやがてライゼルが言った。「炉を解放すれば、消された記録が全部戻ると言っていた。ヴァルク村のことも、他の消された歴史も、全部取り戻せると」
「嘘ではなかったと思います」と蒼は言った。「炉の解放で得られる力を使えば、記録の復元はできたかもしれない。ただその力の代償が、王都を消し飛ばす可能性があった。マルクスはそれを言わなかった」
「知っていたのか、マルクスは」
「知った上で、殿下の望みに乗じたと思います」
ライゼルが目を開けた。怒りとも悲しみともつかない表情をしていた。
「私は」と彼は言った。「七年間、使われていたということか」
「動機は本物だったと思います。歴史を取り戻したいという気持ちは」と蒼は言った。「ただ、方法を間違えた」
「その間違いが、五千の軍を動かした」
「止められますか」
ライゼルがアリエルを見た。アリエルが頷いた。ライゼルが外に向かって騎士を呼んだ。
「全軍、停止。撤退の準備をしろ」




