第四十話「夜明け前」
炉の封印再起動が完了したとき、地下空間が一瞬だけ完全な白に包まれた。
目が開けられないほどの光だったが、痛くはなかった。温かい光だった。エムが小さく声を漏らした。アリエルが息を飲んだ。そして光が静まると、炉の表面の文字が全部消えて、代わりに新しい文字が浮かんでいた。
「封印 維持」
たった二言だったが、それで十分だった。
マルクスが床に膝をついていた。魔力が全部消えたような抜け殻の表情だった。カインが近づいて剣を突きつけると、マルクスは抵抗しなかった。
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蒼は炉に両手を当てたまま、しばらくそのままでいた。
炉が話しかけてきた。今までより静かな声だった。
「終わったぞ」
「ありがとうございます」と蒼は言った。
「礼は要らない。ただ、一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は怖かったか」
蒼は少し考えた。「怖かったです」
「なのに来た」
「来ないと後悔すると思ったので」
炉が少し沈黙した。
「初代のオルティスも、同じことを言っていた」
「どんな人物でしたか、初代は」
「怖がりで、諦めが悪くて、笑い上戸だった」と炉は言った。「百二十年ぶりに、そういう人間に会えた」
蒼は少し笑った。エムが以前言ったことと同じだった。
「炉は、ずっと誰かを待っていたんですか」
「待っていた。ただ、こんなに時間がかかるとは思っていなかった」
「お疲れ様でした」
炉は何も答えなかった。ただ光が一度揺れて、それから静かに落ち着いた。
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地下から地上に上がると、夜の王都に星が出ていた。
リーナが壁に背をもたれて、傷の手当てをクルトにしてもらっていた。蒼が出てくると、彼女が顔を上げた。
「終わった?」
「終わりました」
「炉は?」
「止まりました。封印が維持されています」
リーナが長く息を吐いた。緊張が解けた音だった。
アリエルがカインに抱きついていた。カインが妹の頭に手を置いて、何も言わなかった。言わなくていい場面だった。
エムが蒼の横に来た。
「やりましたね」と彼女は言った。
「やれました」
「最後の接続、かなり深かった。炉は相当あなたを信頼していたと思います」
「俺を送り込んだのも炉だったと聞きました」
エムが少し驚いた顔をした。「炉が言いましたか」
「そう言っていました。《知識蓄積》は炉が世界に流していたもので、必要な人間に届いたんだって」
エムがしばらく考えてから言った。「そうか、炉は準備していたんですね。百年かけて」
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ガーレン局長が建物から出てきて、全員の顔を確認した。怪我人がいることを見て、すぐに医療班を呼んだ。
「終わりましたか」と局長が蒼に言った。
「炉の封印は維持されています。逆転は止まりました。ただ」蒼は局長を見た。「一つお願いがあります」
「なんですか」
「ヴァルク村の記録を復元してほしいです。オルティス・ヴァーン老人との約束でもあります。消された歴史を、正式に記録に戻してほしい」
ガーレンが少し間を置いてから、静かに頷いた。「わかりました。それは私がやるべきことです」
夜が深まっていく中で、王都の灯りが静かに揺れていた。建国神殿の方向から、遠くヴァーン老人が出てくる姿がうっすらと見えた。老人は地上に出て空を見上げて、それから深く息を吸った。
蒼はその姿を見ながら、地面に座り込んだ。体中が痛くて、立っているのが限界だった。
リーナが隣に座った。何も言わずに、肩が触れるくらいの距離で。
しばらくそのままでいると、リーナが静かに言った。
「お疲れ様」
「ありがとうございます」
「次は何をするの」
蒼は星を見た。残った問題はまだある。マルクスの後ろにいる存在、第一王子派との力関係、調律炉の本来の百年ごとの調整という問題。全部が片付いたわけではない。
ただ今夜は、それを考えなくてもいいと思った。
「次は、ちゃんと飯を食います」と蒼は言った。
リーナが吹き出した。
その笑い声が、静かな夜の王都に響いた。




