第二十一話「訓練場の朝」
管理局の地下に、小さな訓練場があった。
石畳の床に木製の的が並んでいて、壁には魔法の標的が設置されている。主に局員が体を維持するために使う場所らしく、朝の早い時間は誰もいなかった。蒼はその訓練場を、クルトに許可をもらって使い始めた。
建国神殿の調査まで二日ある。その間に、できる限り《限界突破》の発動条件を理解しておきたかった。
「本当にやるの?」とリーナが壁に背をもたれながら言った。
「やります」
「あなた今、肋骨はどうなの」
「ほぼ治ってます」
「ほぼ、ね」リーナがため息をついた。「で、わざと痛めつけてスキルを上げるつもり?」
「効率的に《限界突破》を引き出す方法を探したいんです。毎回魔物に殴られるのを待つわけにいかないので」
リーナがしばらく蒼を見て、それから壁から離れた。「わかった。付き合う。ただし、本当にやばいと思ったら止めるから」
「ありがとうございます」
────────────────────────
最初の一時間は、リーナが蒼に向かって木剣で打ち込む形で進めた。
もちろん加減はしている。それでも当たると普通に痛くて、三回目の打撃を腹に受けたとき、蒼は膝をついた。情けないという感覚は、もうあまりなかった。今の自分はこの程度だ。ただそれより、スキルが動くかどうかの方が気になった。
発動しなかった。
起き上がって、また打ちかかってきた木剣を受ける。今度は肩に当たって、鈍い衝撃が走った。まだ発動しない。
どういう条件だ、と頭の中で整理した。これまで《限界突破》が発動したのは、魔物に爪で吹き飛ばされたときと、Sランクの魔物から全力で逃げたときだ。共通しているのは、本気で死ぬかもしれないと思っていたこと。木剣の打撃では、死の危機を感じていない。
なるほど、と蒼は思った。このスキル、加減された痛みじゃ反応しないのか。
「リーナさん、もっと本気で打ってもらえますか」
「……正気?」
「さっきのでスキルが発動しなかったので。もっと本気の痛みが必要みたいです」
リーナが木剣を構えたまま蒼を見た。何かを言いかけて、やめた。そして小さく息を吐いてから、構えが変わった。さっきより低く、鋭い。
次の打撃は、今までと全然違った。
腹に受けた衝撃で、今度は壁まで吹き飛んだ。
────────────────────────
《限界突破》発動
体力:E− → E
────────────────────────
壁に背中を打ちつけながら、蒼はステータスの変化を確認した。発動した。体力がわずかだが上がっている。
「発動しました」と蒼は壁から滑り落ちながら言った。
「よかったね」とリーナが言った。声が少し固かった。「で、今度はどうする」
「もう一回お願いします」
「……」
リーナが何も言わずに構え直した。蒼は立ち上がって、正面から向き合った。
この訓練を繰り返すこと自体が馬鹿げているとわかっている。普通に考えれば、戦える仲間に守ってもらいながら後方で頭を使う方が効率的だ。それでも今、自分自身の限界を自分で書き換えたかった。誰かに守られているだけでは、守りたい人を守れない場面が必ず来る。
そのときのための、今だった。
リーナの二撃目が来た。蒼は今度は逃げなかった。
────────────────────────
一時間後、訓練場の床に大の字になりながら、蒼はステータスを確認した。
────────────────────────
天宮蒼
体力:E 筋力:E− 速度:E−
魔力:0 魔法適性:なし
スキル:《限界突破》《知識蓄積》
────────────────────────
体力だけだが、確かに上がっていた。転生直後のF評価から、少しずつ、確実に変わっている。
リーナが隣に座って水を渡してくれた。「もうやめなさい」
「わかりました」と素直に受け取って一口飲んだ。
「痛くないの」とリーナが聞いた。
「痛いです。めちゃくちゃ痛いです」
「なんで笑ってるの」
「笑ってますか?」
「笑ってる」リーナがしばらく蒼を見て、それから前を向いた。「……バカみたい」
バカみたい、というのは否定ではないと、蒼は受け取った。そういうことにした。




