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第8話:ワルツは檻の中で、裏切りは静寂の塔で

 王宮に戻った私を待っていたのは、煌びやかなドレスの山と、シルヴァリオの満足げな笑顔だった。


「今夜、貴女を正式に貴族たちへお披露目します。舞踏会ソワレの準備を」


 拒否権はない。 街での「奇跡」はすでに噂となって広まっているだろう。今夜の夜会は、ノワール家の権威を不動のものにするための仕上げの儀式だ。


 侍女たちによって磨き上げられ、純白のドレスに身を包んだ私は、鏡の中で完全に「聖女」として完成されていた。


(……綺麗。本当に、お人形みたい)


 ため息をついたその時、ふと鏡台の宝石箱の下に、小さな紙片が挟まっているのに気づいた。 侍女の目を盗んで抜き取る。 そこには、見覚えのある端正な筆跡で、短い暗号だけが記されていた。


『今夜、鐘が鳴る刻。メインタワーの裏口にて待つ』


 アレクシスだ。 彼もまた、この舞踏会を利用して動くつもりなのだ。


 心臓が早鐘を打つ。 今夜、私はシルヴァリオのエスコートを受けながら、彼を裏切る準備をしなくてはならない。 そして、あの「完璧な策士」の目を欺いて、アレクシスと合流しなくてはならない。


「ステラ様、お支度はよろしいですか?」


「ええ、今行きます」


 私は紙片を握りつぶし、手の中の小さな炎魔法で灰にした。 鏡に向かって、微笑みの練習をする。 シルヴァリオ直伝の、本心を隠すための完璧な仮面を被って。


「さあ、踊りましょうか。……私の運命を賭けて」




 王宮の大広間は、数多のシャンデリアの光で昼間のように明るかった。 着飾った貴族たちが、私たちが入場すると同時に一斉に頭を下げる。 その光景は壮観であり、シルヴァリオの権力を無言で物語っていた。


「参りましょう、ステラ」


 シルヴァリオが、自然な動作で私の腰に手を添える。 彼は今夜、私に対して「人形」だの「所有物」だのといった言葉は一言も発していない。 ただ、エスコートが完璧すぎるのだ。 私が誰かと話そうと視線を向ければ、絶妙なタイミングで身体を入れて遮り、私がグラスを持とうとすれば、頼む前に新しい飲み物が差し出される。


 私の行動のすべてが、彼の予測と配慮コントロールの中にある。 その心地よさが、真綿で首を絞められるような息苦しさを生んでいた。


「一曲、願えますか?」


 音楽が始まると、彼は流れるような所作で私をダンスフロアへと誘った。 私はダンスなど習ったことはない。けれど、「鍵」としての知識と、シルヴァリオの完璧なリードが、私を舞踏の名手へと変えてしまう。


 ターンをするたび、純白のドレスが花のように開く。 周囲からは感嘆の溜息が漏れる。


「……良い式になりそうだ」


 シルヴァリオが、耳元でポツリと呟いた。 私の顔を見ていない。彼は、私越しに広間の貴族たち――彼が支配する盤面全体を見て、満足しているのだ。 私の隣にいながら、私の心など最初から不在であるかのように。


(――ああ、無理だわ)


 私は確信した。 この人の隣に居続ければ、私は「私」でいられなくなる。 思考を停止し、彼に委ねることが「幸せ」だと錯覚してしまう。


 曲が終わると同時に、大きな拍手が湧き上がった。 貴族たちがシルヴァリオへ挨拶しようと押し寄せてくる。


「ノワール公! 素晴らしい聖女様ですな!」


「次期国王の座は揺るぎないですぞ!」


 シルヴァリオがそちらへ対応するほんの一瞬。 彼の腕が、私の腰から離れた。


(今だ)


 私は人混みに紛れ、するりとその場を離れた。 シルヴァリオは気づかない。 なぜなら、彼は「私が逃げるはずがない」と信じているからだ。 彼の用意した完璧な鳥籠から、自分から飛び立つ小鳥などいるわけがないという、無自覚な傲慢さが私の勝機だった。


 私は喧騒を背に、回廊を走った。 目指すは王宮の北側にそびえる、月光に青白く浮かぶ塔。 「静寂の尖塔(サイレント・スパイア)」。


 警備兵の配置は、昼間のうちに「魔視」で確認済みだ。 薄暗い庭園を抜け、塔の裏口にある古びた扉の前へたどり着く。


 そこには、闇に溶けるようにして一人の男が立っていた。


「……来たか」


 アレクシスだ。 夜会服ではなく、動きやすい黒の戦闘衣を纏っている。 彼は私を見ると、ホッとしたように、けれどすぐに表情を引き締めて頷いた。


「無事か? シルヴァリオに見つかっていないか?」


「ええ。彼は今頃、自分の権力ショーに酔いしれているわ」


 私は呼吸を整え、塔を見上げた。 近くで見ると、その塔は異様な威圧感を放っていた。 窓はなく、入り口には厳重な封印魔法が施されている。


「この地下に、『古の王の寝室』がある。……シルヴァリオが封じた、世界の『本来の力』が眠る場所だ」


 アレクシスが剣の柄に手をかけた。


「俺が露払いをする。君は後ろに」


「いいえ」


 私は彼の隣に並んだ。 脳裏に浮かぶのは、複雑な解錠の術式。 これは、アレクシスの剣では斬れない。私にしか開けられない扉だ。


「ここは私がやります。……アレクシス様は、背中を守ってください」


 私が手をかざすと、扉の封印紋が淡く光り始めた。 アレクシスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微かに口元を緩め、剣を抜いて背を向けた。


「……承知した。君の背中は、俺が守る」


 信頼の契約。 シルヴァリオとのダンスでは感じられなかった、対等な熱がそこにはあった。


 カチリ。 重い音がして、決して開かずの扉が、ゆっくりと内側へと開いていく。


「行きましょう。……本当の王様を起こしに」


 私たちは暗闇の奥、地下へと続く螺旋階段へと足を踏み入れた。 背後で、遠く夜会の音楽が聞こえる気がした。 華やかな嘘の世界を捨てて、私たちは真実の闇へと潜っていく。

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