第3話:黄金の鳥籠、硝子の理性
通された部屋は、呆れるほどに豪華だった。
ふかふかの絨毯、猫足の家具、天蓋付きの巨大なベッド。 テーブルには色とりどりの果実や菓子が盛られ、壁際のクローゼットには、一生かかっても着きれないほどのドレスが並んでいる。 窓の外には美しい王都の夜景――けれど、その窓には目に見えない強固な魔術結界が張られていた。
「何か御用がありましたら、このベルを。私共は扉の外に控えております」
感情のない人形のような侍女たちが、恭しく一礼して下がっていく。 重厚な扉が閉まり、ガチャリ、と施錠される音が響いた。
完全なる軟禁。 けれど、今の私にとっては好都合だった。 私は大きく息を吐き出すと、近くのソファに深く沈み込んだ。
「……さて。状況整理と、作戦会議をしましょうか」
誰に聞かせるでもなく呟く。 混乱する感情を、冷たい理性が押さえつけていく。 私は目を閉じ、脳内に溢れる「知識」の海へと意識を沈めた。
異世界転生。聖女召喚。 フィクションの世界では使い古された設定だ。 だが、現実は小説のように甘くはない。
【現状のステータス】
身体: 鏡に映る私は、確かに私であって私ではない。 シルヴァリオが言っていた「世界を騙して作った」という言葉は、恐らく真実だ。この絶世の美貌は、人々を傅かせるための装置に過ぎない。 (魔術的なメンテナンスが必要なのかもしれない。だとしたら、シルヴァリオから離れるのは命取りになる?)
表向きの役割:「聖女」 国に豊穣をもたらし、邪気を払う象徴。 シルヴァリオは私を傀儡にして、ノワール家の支配を盤石にするつもりだ。
真の役割:「世界の鍵」 これが、最大の問題であり、私の唯一の武器。 脳内の知識が告げている。この世界には、古の時代に封じられた「大いなる力」――あるいは「災厄」が眠っている。 私の魂と肉体は、その封印を解くためのパスコードそのものだ。
私は目を開け、自分の手のひらを見つめた。 意識を集中すると、視界がぐらりと揺らぐ。 部屋の中を漂う微細な光の粒子――魔力の流れ(ライン)――が見えた。
窓の結界も、扉の施錠も、私にはその「構造」が透けて見える。
(……なるほど。物理的な鍵だけじゃなく、魔術的な概念さえも『解錠』できるのね)
これなら、シルヴァリオの結界を破って逃げることも不可能ではない。 だが、今それをやるのは愚策だ。 外に出たところで、行くあてもなければ、金もない。何より、この「作り物の体」がどうなるか分からない。
「詰んでいるわね、今のところは」
私はため息をつき、テーブルの葡萄を一粒摘んで口に放り込んだ。 甘い。悔しいけれど、極上の味だ。
次に、私を取り巻く「盤上の駒」たちについて考える。
シルヴァリオ(白の王/黒幕) 私を所有物と見なす傲慢な創造主。 今のところ、私が「鍵」としての自覚を持っていることには気づいていない。「生意気な聖女」程度に思っているはずだ。
対策: 従順なふりをしつつ、彼の魔術の秘密(私の体の構造など)を探る。彼のプライドの高さは隙になる。
アレクシス(黒の騎士) 没落した元王族。 プロローグでの彼の視線。あれは「聖女」への崇拝ではなく、もっと切実な……「同志」を見る目だった。 彼はおそらく、この国の「歪み」を知っている。
対策: コンタクトを取るべき最有力候補。ただし、彼の正義感が暴走しないか見極める必要がある。
レオンハルト(赤の覇者) ジョーカー。 王都の論理が通じない男。シルヴァリオが唯一、計算外として警戒している存在。 彼に「鍵」としての価値を売り込めば、この鳥籠を物理的に破壊して連れ出してくれるかもしれない。
対策: 最後の切り札。ただし、彼の「愛」がどれほど本気か不明なのがリスク。
「……ふう」
思考を巡らせると、頭が熱くなる。 結局のところ、私は「か弱い聖女」を演じながら、虎視眈々と情報を集めるしかない。
コンコン。
不意に、バルコニーの窓ガラスが軽く叩かれた。 心臓が跳ねる。ここは王宮の最上階だ。誰かが訪ねてくるはずがない。
恐る恐るカーテンの隙間から外を覗くと――。 月光を背に、黒い影が浮いていた。 風の魔術だろうか。音もなく窓の外に張り付いているのは、あの男。
「……アレクシス?」
ガラス越しに目が合う。 彼は人差し指を唇に当て、「静かに」というジェスチャーをした後、窓枠に手をかけた。 シルヴァリオの強力な結界が張られているはずの窓だ。開くはずがない。
だが、私の視界の中で、彼の手元にある魔力が奇妙に歪んだ。 アレクシスが懐から取り出した何かが、結界の一部を「中和」したのだ。
(王家の秘宝……? それとも、彼自身の能力?)
カチリ、と小さな音がして、窓の鍵が外された。 夜風と共に、黒衣の騎士が私の部屋へと滑り込んでくる。
「――声を上げないでくれ、ステラ嬢」
彼はすぐに窓を閉め、私に向き直った。 間近で見ると、その藍色の瞳は吸い込まれそうなほど深く、そして悲しげだった。
「単刀直入に言う。……君は『鍵』だろう?」
私は息を呑んだ。 まだ誰にも言っていないはずの、私の真実の役割。 それを、この男は最初から知っていたのだ。
「……だったら、どうするのですか?」
私が警戒して問い返すと、アレクシスはその場に片膝をついた。 それは、昼間の広間で見せた冷淡な態度とは程遠い、臣下が主君に捧げる最敬礼だった。
「俺の手を取ってほしい。シルヴァリオの野望を止め、本当の世界を取り戻すために」
彼の切実な声が、静寂な部屋に響いた。 私の「鍵」としての物語が、今、音を立てて動き出した。




