第2話:回廊の影、支配者の囁き
大広間の重厚な扉が閉ざされた瞬間、世界から音が消えた。
先程までの喧騒が嘘のように、王宮の回廊は静まり返っていた。 コツ、コツ、とシルヴァリオの靴音だけが、不気味なほど規則正しく響く。
「……」
「……」
会話はない。 彼は私の手を取ったまま、迷いのない足取りで進んでいく。 その握り方は、エスコートと呼ぶにはあまりに力がこもっていて、手錠のようだった。
護衛の騎士たちは、彼の無言の合図で遠ざけられたらしい。 長く、薄暗い廊下には、私とこの男の二人きり。
(怒っているのかしら……)
先程の私の立ち回りは、彼の顔に泥を塗ったも同然だ。 私は緊張で強張りそうになる背筋を必死に伸ばし、彼の横顔を盗み見た。
その時だった。
「――ふッ」
突然、シルヴァリオが足を止め、小さく息を漏らした。 それは、押し殺した笑い声だった。
「シ、シルヴァリオ様?」
「いや、失敬。……驚きましたよ。まさか、あのような場で牙を剥くとは」
彼はゆっくりと私に向き直った。 窓から差し込む月光が、彼の銀髪を冷ややかに照らし出す。 その顔に、怒りはなかった。 あるのは、新しい玩具を見つけた子供のような、無邪気で残酷な「愉悦」の色。
「ただ美しいだけの『人形』を喚び出したつもりでしたが……どうやら、予想以上に良い『素材』を引いたようだ」
「……素材?」
聞き捨てならない言葉に眉をひそめると、彼はすっと距離を詰めた。 甘い香水の香りが鼻を掠める。 逃げようとする私の腰を強引に引き寄せ、彼は壁際に私を追い詰めた。
「ええ。意思なき人形は美しいが、退屈だ。……だが、意思ある聖女を『躾ける』のは、骨が折れる分、愛し甲斐がある」
彼の長い指が、私の頬をなぞり、そのまま首筋へと滑り落ちる。 ひやりとした指先の感触に、ゾクリと背筋が凍った。 脈打つ頸動脈の上で、彼の指が止まる。命を握られているような錯覚。
「ステラ。一つ、教えてあげましょう」
彼は私の耳元に顔を寄せ、歌うように、しかし絶対零度の声で囁いた。
「貴女が今、息をしているのも、その美しい姿でいられるのも、誰のおかげだと思っていますか?」
「それは……貴方が召喚したから、でしょうけど」
「違いますよ」
彼は私の言葉を遮り、首を振った。
「私が『世界』を騙したからです」
「……え?」
「本来なら、異界の魂などこの世界には定着しない。貴女という存在をこの世界に繋ぎ止めるために、私がどれだけの『代償』を払い、どれだけの術式を書き換えたか。……貴女には想像もつかないでしょうね」
彼の瞳が、赤く妖しく揺らめいた。 そこには、底知れない知性と、狂気じみた執着が渦巻いている。
「貴女の髪一本、吐息の一つに至るまで、すべては私の魔術によって構成されている。言わば、貴女はこの世界において、私の作品と同義なのです」
(――狂ってる)
知識として与えられた「宰相」のイメージが崩れ去る。 この男は、ただの政治家ではない。 目的のためなら世界の理さえもねじ曲げる、傲慢な創造主なのだ。
「レオンハルトやアレクシスが何を言おうと、関係ありません。貴女は私のものだ。……この意味が分かりますか?」
彼は私の顎を指先で持ち上げ、逃げ場のない瞳で見下ろした。
「貴女には自由などない。私の許しなく、死ぬことさえ許さない」
それは愛の告白などではない。 魂に刻み込まれるような、呪いの契約だった。
けれど、私は震える唇を噛み締め、彼を睨み返した。 ここで怯えて涙を見せれば、本当に彼の「人形」になってしまう気がしたから。
「……随分と、狭量な創造主様ですね」
「ほう?」
「私が貴方の『作品』だと言うなら、勝手に動き出すのも想定内でしょう? それとも、貴方の魔術はその程度なのかしら」
精一杯の強がり。 挑発的な言葉に、シルヴァリオは一瞬きょとんとして――次の瞬間、今日一番の深い笑みを浮かべた。
「……ハッ、あははは! 素晴らしい。本当に、素晴らしいですよ、ステラ」
彼は愛おしそうに私の髪に口付けを落とすと、満足げに目を細めた。
「いいでしょう。その生意気な口が、いつまで利けるか試してあげましょう。……さあ、行きましょうか。貴女のための『鳥籠』が待っています」
彼は再び私の手を取り、歩き出した。 その足取りは先程よりも軽く、そして握られた手は、二度と離さないと言わんばかりに強く、熱を帯びていた。
私は暗い回廊の先を見つめながら、覚悟を決める。 この美しくも狂った男の手から逃れるには、ただの「聖女」でいては駄目だ。 私が本当の意味で「世界の鍵」になった時こそ、この呪縛を解く唯一のチャンスなのだと。
お読みいただきありがとうございます。本日から22:40枠にお引越ししました。
この後22:50からは、別ベクトルの愛の物語(新作)も始まります。
「愛する君を殺したくない」と王子様から断罪されたので、大人しく殺されに行ったら、私の愛が重すぎて呪いが壊れました
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シリアスな余韻の後に、よろしければそちらも覗いてみてください。




