第15話:太陽の傷跡、月夜の晩餐
通された領主館は、王宮のような威圧感とは無縁の、風通しの良い白亜の建物だった。 大きな窓からは常に海が見え、廊下には高価な美術品の代わりに、航海図や異国の珍しい武器が飾られている。
「へっ、殺風景なところだがな。自分の家だと思ってくつろいでくれ」
レオンハルトは玄関ホールで、ようやくステラを床に下ろした。 執事が恭しく上着を受け取ろうとした時、レオンハルトが一瞬、顔をしかめたのをステラは見逃さなかった。
「……レオンハルト様?」
「ん? ああ、なんでもねえよ。ちょっと肩が凝っただけだ」
彼は笑って誤魔化そうとしたが、ステラは強引に彼の背中へ回り込んだ。 シャツの背中部分が焼け焦げ、滲んだ血が生地に張り付いている。 地下での戦い――シルヴァリオの魔力波を正面から受け止めた時の火傷だ。
「これのどこが『肩凝り』なのですか! こんな酷い怪我を隠して……!」
「かすり傷だ。これくらいで騒いでたら、海の男は務まらねえよ」
「いいえ、ダメです。じっとしていてください」
ステラは有無を言わせぬ口調で彼を椅子に座らせた。 アレクシスも心配そうに見守る中、ステラはそっと傷口に手をかざした。
(……なんて無茶な魔力の巡り)
「魔視」で見ると、彼の体内の魔力は、まるで暴れ馬のように荒れ狂っていた。 シルヴァリオの洗練された魔術とは対極にある、生命力を燃料にして燃え盛る炎のような力。その反動で、彼の肉体は悲鳴を上げている。
『――癒やせ(ヒール)』
ステラが祈ると、柔らかな光が溢れ出した。 それはただ傷を塞ぐだけではない。 荒ぶる彼の魂の熱を優しく撫で、ささくれ立った神経を鎮める、極上の鎮静剤。
「……っ、おお……?」
レオンハルトが目を見開いた。 焼けるような痛みが引いていくのと同時に、鉛のように重かった体が、羽が生えたように軽くなっていく。
「すげぇ……。傷が治っただけじゃねえ。力が、身体の芯から湧いてくるようだ」
彼は自分の腕を不思議そうに握りしめ、そしてステラを見上げた。 その瞳から、揶揄うような色は消えていた。
「王都の噂は眉唾だと思ってたが……アンタ、本物なんだな」
「……ええ。便利でしょう?」
「馬鹿野郎。便利なんて言葉で片付けていい力じゃねえよ」
レオンハルトは真剣な表情で、ステラの手を、壊れ物を扱うようにそっと握った。
「アンタはすげぇよ。俺が命懸けで守る価値がある」
その真っ直ぐな称賛に、ステラは頬が熱くなるのを感じた。 アレクシスが、こほん、とわざとらしく咳払いをするまでは。
***
夜。 テラスに面したダイニングルームには、獲れたての魚介類と、芳醇なワインが並べられていた。 波音をBGMにした優雅な晩餐。だが、テーブルを囲む三人の表情は真剣そのものだった。
「さて……飯も食ったことだし、現実の話をしようか」
レオンハルトがワイングラスを揺らしながら切り出した。
「まずは情報の共有だ。アレクシス、地下で何を見た? シルヴァリオが何をしてやがった?」
アレクシスはナイフとフォークを丁寧に置き、沈痛な面持ちで語り始めた。 王国の地下に眠る「核」の存在。 それが腐敗し、崩壊寸前であること。 そしてシルヴァリオが、ステラを「使い捨てのフィルター」にしてそれを維持しようとしていたこと。
話を聞き終えたレオンハルトは、バンッ! とテーブルを叩き割らんばかりの勢いで拳を叩きつけた。
「あの野郎……ッ! 腐った電池のために、女一人を生贄にするだと!? ふざけるのも大概にしやがれ!」
「同感だ。だが、それが今の王国の現実だ」
アレクシスが静かに続ける。
「我々が逃げたことで、シルヴァリオは自らの魔力で核を抑え込むしかない状況だ。奴は今、身動きが取れないはずだ」
「じゃあ、しばらくは追手は来ないってことか?」
「いや、逆だ」
ステラが口を開いた。 彼女には分かる。あの男の執着の深さと、プライドの高さを。
「彼は動きません。……いえ、動けません。だからこそ、『代わり』を寄越すはずです」
「代わり?」
「自分の手足を汚さず、けれど確実に私を捕らえるための『刺客』。……それに、彼は焦っているはず。核の暴走を止めるには、一刻も早く私という『鍵』を取り戻さなければならないから」
場の空気が重くなる。 ここはシルヴァリオの支配が及ばない自由都市だ。だが、国一番の魔術師が本気になれば、海を越えて呪いを飛ばすことなど造作もないだろう。
「上等じゃねえか」
レオンハルトが不敵に笑い、立ち上がった。
「刺客だろうが魔獣だろうが、俺の領地に入った瞬間に海の藻屑にしてやる。……ステラ、アンタは俺が守る。この街の全てがアンタの味方だ」
「俺もいる」 アレクシスもまた、静かに、しかし力強く頷いた。
「ヴァイス家の名にかけて、二度と君をあの鳥籠には戻させない」
二人の男の力強い視線。 ステラは胸の奥が熱くなるのを感じながら、居住まいを正した。
「ありがとうございます。……でも、守られるだけでは嫌なのです」
彼女は自分の両手を見つめた。 癒やしの力。解錠の力。 まだ使い方は分からないことだらけだが、これが世界を救う――あるいはシルヴァリオの野望を挫く切り札になることは間違いない。
「私も戦います。この『鍵』の力、使いこなしてみせます。……だから、協力してください」
月光の下、三人のグラスが重なる。 それは、新たな戦いに向けた結束の誓い。 そして、奇妙な三角関係の共同生活の幕開けでもあった。




