第14話:海風と諍い、太陽の領主
『クリムゾン・タイド号』が港に横付けされ、タラップが降ろされる。 いよいよ上陸という段になり、アレクシスは一歩進み出て、ステラに恭しく手を差し出した。
「足元が悪い。手を、ステラ嬢」
その所作は、逃亡中の身とは思えぬほど優雅で、洗練されていた。 王族としての教育が骨の髄まで染み付いているのだろう。彼の藍色の瞳には、彼女を気遣う純粋な騎士道精神が宿っていた。
「ありがとうございます、アレクシス様」
ステラが微笑んでその手を取ろうとした、その時だ。
「よっと!」
不意に視界が浮き上がった。 背後から伸びてきた逞しい腕が、ステラの身体を軽々と宙に浮かせ――いわゆる「お姫様抱っこ」の体勢で抱え上げたのだ。
「きゃっ!? レ、レオンハルト様!?」
「タラップなんざ渡らせて怪我でもしたら大変だろ? 俺が運んでやるよ」
犯人はもちろん、赤髪の領主様だ。 彼は悪びれもせず、ステラを抱えたままニカッと笑う。
「き、貴様……! どこまで無作法な!」 差し出した手を空中で彷徨わせたアレクシスが、顔を赤くして怒声を上げた。
「ステラ嬢は物ではないと言ったはずだ! 彼女の意思も聞かず、いきなり触れるとは何事だ!」
「あー? 堅いこと言うなよ、元王子様」 レオンハルトは鼻で笑い、挑発的にステラを抱き直した。
「あんたのエスコートじゃ日が暮れちまうんだよ。それに、今の彼女は俺の客人だ。俺の流儀で歓迎させてもらうぜ」
「ぐっ……! この、野蛮人が……!」
歯噛みするアレクシスと、勝ち誇るレオンハルト。 その間で抱えられたステラは、二人の男からバチバチと飛び散る火花に挟まれ、深いため息をついた。
(……前門の虎、後門の狼ってところね)
シルヴァリオという共通の敵がいなくなった途端、これだ。 だが、レオンハルトの腕の中は驚くほど安定しており、その心臓の音がトクトクと力強く伝わってくるのを感じて、ステラは抵抗するのを諦めた。
「……今回だけですよ。皆様が見ていらっしゃいますから」
「おう、任せとけ!」
レオンハルトは軽快な足取りでタラップを駆け下りる。 その瞬間だった。
「うおおおおぉぉぉッ!!」
「帰ってきたぞー! お頭のお帰りだー!!」
港を埋め尽くした群衆から、爆発音のような歓声が上がった。 それは、王都での整然とした拍手とはまるで違う。 地響きのように荒々しく、しかしマグマのような熱量を持った、本物の「熱狂」だった。
「よう皆! 留守の間、いい子にしてたか?」
レオンハルトが片手を上げて応えると、さらに歓声が大きくなる。
「旦那! またデカい獲物を釣ってきたんですかい!?」
「おおよ! 国一番の別嬪さんを攫ってきた!」
「ヒューッ! さすが俺たちの領主様だ!」
「こらレオン! あんたまた書類仕事ほっぽり出して!」
男たちは親しみを込めて野次を飛ばし、市場のおばちゃんたちは呆れながらも笑顔で手を振る。 そこには、支配者と被支配者という壁がなかった。 レオンハルトは、この街の「王」でありながら、同時に彼らの「兄貴分」であり「家族」なのだ。
群衆の中から、漁師風の男がリンゴを一つ放り投げた。
「ほらよ! 初物の果物だ、食ってくれ!」
レオンハルトはステラを抱えたまま、空いた片手でそれをパシッと受け止め、そのままガブリと齧り付いた。
「ん、美味い! ありがとな、ジャック!」
(……名前を、知っているの?)
ステラは目を見開いた。 王都では、シルヴァリオが平民に触れられた後、こっそりとハンカチで手を拭っていたのを覚えている。 だがこの男は、泥のついた手で投げられた果物を躊躇なく口にし、民衆一人一人の名前を呼んで笑い合っている。
その光景を後ろから見ていたアレクシスもまた、呆気に取られたように立ち尽くしていた。
「……これが、海洋都市の統治か」
彼が知る「王道」とはあまりにかけ離れている。 だが、民衆の目は輝き、街には活気が満ちている。 レオンハルト・アクア。 ただの粗暴な武人だと思っていた男が、実は誰よりも「民に愛される器」を持っていたことを、アレクシスは認めざるを得なかった。
「おい、ぐずぐずすんなアレクシス! 置いてくぞ!」
「……指図するな。今行く」
レオンハルトに呼ばれ、アレクシスは苦笑しながら歩き出した。 まばゆい陽光の下、白亜の屋敷へと続く道。 民衆の歓声と、潮騒の音。
それは、暗く冷たい王宮の地下から這い上がった彼らにとって、あまりにも眩しい「生」の賛歌だった。




