第13話:蒼穹の港都、赤髪の覇者
潮の香りが、鼻腔をくすぐる。 肌を撫でる風は王宮の湿ったそれとは違い、どこまでも乾いていて、自由の匂いがした。
「――すっげえ。生きてる心地がする」
船の甲板で大の字になっていたレオンハルトが、眩しそうに太陽に手をかざした。 彼らが乗っているのは、レオンハルトの私有船である高速帆船『クリムゾン・タイド号』。 王宮脱出から数日。追手の目を欺きながら陸路を抜け、隠しておいた船で海路を選んだ彼らは、ついに目的の地へとたどり着こうとしていた。
「見ろよ、ステラ。あれが俺の街だ」
レオンハルトが起き上がり、ニカッと笑って指差した先。 水平線の彼方に、白亜の街並みが浮かび上がっていた。
海洋都市アクア。 アルカディア王国の支配下にありながら、独自の海上貿易権と強力な海軍を持つことで、実質的な自治を勝ち取っている自由都市。 太陽の光を反射して輝く白い石造りの家々と、港を埋め尽くす無数の船のマスト。 そこには、王都の整然とした美しさとは違う、生命力に満ちた雑多な美しさがあった。
「……綺麗」
ステラは船縁に身を乗り出し、感嘆の息を漏らした。 風に煽られた彼女の金色の髪が、光の粒子のように舞う。 その横顔を見つめ、レオンハルトは満足げに鼻を鳴らした。
「だろ? あそこなら、シルヴァリオの陰気な結界も届かねえ。美味い魚と酒、それに陽気な連中が山程いる」
「随分と自慢げだな。……だが、警戒は怠るなよ」
マストの陰から現れたのは、アレクシスだ。 彼は王宮での戦闘衣から、船員から借りた簡素なシャツに着替えていたが、その腰には愛剣が変わらず帯びられている。 海上の旅の間も、彼は常に水平線を監視し、シルヴァリオの使い魔や追手への警戒を解いていなかった。
「分かってるって。だがな、アレクシス。ここから先は『俺の庭』だ。陸の王様の理屈は通用しねえよ」
レオンハルトが舵輪を握る船員に合図を送る。 帆が大きく風を孕み、船が速度を上げた。
「ようこそ、俺の街へ! 歓迎するぜ、俺たちの聖女様!」
船員たちの活気ある掛け声と共に、船は港へと滑り込んでいく。 ステラにとって、それは未知の世界への第一歩であり、三人の男たちとの奇妙な共同生活の始まりでもあった。
だが、彼女はまだ知らない。 この明るい海の都にもまた、王宮とは違う種類の「因縁」や「政治」が渦巻いていることを。 そして、レオンハルトという男が、ただの豪快な荒くれ者ではなく、緻密な計算の上に立つ「海の支配者」であることを。
「……さあ、忙しくなるぞ」
ステラは小さく呟き、ドレスの裾をぎゅっと握りしめた。 その瞳には、不安よりも強い好奇心の光が宿っていた。




