第10話:古の心臓、銀の執行者
扉の向こうに広がっていたのは、王宮の地下とは思えないほど広大な、ドーム状の空間だった。
床も壁も、見たこともない黒い鉱石でできており、星空のように微かな光を放っている。 そして、その空間の中央。 祭壇のような場所に、それは鎮座していた。
「これは……」
言葉を失った。 そこにあったのは、巨大な「心臓」だった。 生物のそれではない。巨大な水晶の塊が、まるで生きているかのように、ドクン、ドクンと明滅を繰り返しているのだ。
だが、その輝きは酷く濁っていた。 本来なら透き通るような蒼色であるはずの水晶は、ドス黒く変色し、その周囲には先程の扉と同じ「銀色の茨」が幾重にも巻き付き、締め上げていた。
「これが、この国の心臓……『アルカディアの核』だ」
アレクシスが呻くように言った。 彼は祭壇の前に進み出ると、悲痛な面持ちで水晶を見上げた。
「我がヴァイス王家は、代々この核と対話し、魔力の循環を整えることで国を繁栄させてきた。……だが、ノワール家にはその資格がなかった」
「だから、無理やり封印して、魔力を搾り取っているのね」
私は「魔視」を発動させた。 酷い有様だった。 シルヴァリオの銀の茨は、心臓にパイプを突き刺すようにして魔力を吸い上げ、地上へ――王宮や街へと送っている。 その代償として、心臓には汚泥のような「淀み」が溜まり続け、今にも破裂寸前だった。
(……なんてこと)
シルヴァリオの支配する「平和で豊かな王国」。 そのエネルギー源は、星の悲鳴だったのだ。
「このままでは、あと数年で核は腐り落ちる。そうすれば、アルカディアは死の土地となるだろう」
「それを防ぐために、新しい『フィルター』が必要だった……それが、私?」
「そうだ。異界の聖女の魂を使って、この淀みを浄化させ、さらに効率よく魔力を吸い上げる。……それが、シルヴァリオの描いた『聖女召喚』の真実だ」
背筋が寒くなった。 彼は私を愛しているわけでも、妻にするつもりでもない。 私は、この巨大な電池の「交換用パーツ」に過ぎなかったのだ。
「そんなことはさせない!」 アレクシスが私に向き直り、力強く言った。
「ステラ嬢、君の力で茨を解いてくれ。俺が核と共鳴し、正しい循環を取り戻す。そうすれば、君が犠牲になる必要はない!」
「ええ、やりましょう」
私は祭壇に駆け寄り、縛り付けられた水晶に手を伸ばした。 可哀想に。こんなに汚されて、苦しんで。 私は祈るように、癒やしの光を練り上げる。
『――癒やせ』
その時だった。
ヒュッ。
音が消えた。 地下空間の空気が、瞬時にして絶対零度まで凍りついた。
背後から、コツ、コツ、と優雅な足音が響く。 走ってきたのではない。 まるで散歩の途中でふと立ち寄ったかのような、あまりに落ち着いた足音。
「……困りますね、ステラ」
心臓が止まるかと思った。 聞き慣れた、甘く、そして恐ろしいほどに艶やかな声。
「ダンスの最中にパートナーを置き去りにするなんて。……おいたが過ぎますよ?」
恐る恐る振り返る。 そこに、シルヴァリオが立っていた。
煌びやかな夜会服のまま。銀の髪一本乱さず。 移動魔法を使ったのだ。 彼の表情は、激昂しているわけでも、焦っているわけでもない。 ただ、少しだけ残念そうに眉を下げ、まるで悪戯をした子供を叱る教師のような顔で私たちを見ていた。
「貴様……シルヴァリオ!」 アレクシスが瞬時に抜刀し、私の前に立ちはだかる。
しかし、シルヴァリオはアレクシスを一瞥すらしなかった。 彼の赤い瞳は、私だけを射抜いている。
「アレクシス様が手引きをしたのですか? ……いいえ、違いますね。あの扉の術式は、彼ごときでは傷一つつけられない」
シルヴァリオが一歩、足を踏み出す。 それだけで、空間全体が軋みを上げ、重力が増したように体が重くなる。
「貴女ですね、ステラ。貴女が『解いた』のでしょう?」
彼は感心したように、パチパチと拍手をした。
「素晴らしい。私の最高傑作の結界を、まさか内側から癒やすとは。……やはり貴女は、ただの『濾過装置』にするには惜しい」
「……っ、近づかないで!」
私が叫ぶと、シルヴァリオはピタリと足を止めた。 そして、深く、暗く、笑った。
「近づくな? ……ふふ、おかしなことを言う」
彼は右手を軽く持ち上げた。 瞬間、私の背後の「水晶」に巻き付いていた銀の茨が、蛇のように蠢いた。 ――否。 茨が伸び、私の手足へと絡みついたのだ。
「きゃっ!?」
「ステラ嬢!」
アレクシスが剣を振るうが、茨は鋼鉄よりも硬く、弾き返される。 私は祭壇に張り付けにされるような形で拘束された。
「ここは私の庭ですよ、愛しい小鳥」
シルヴァリオが滑るように近づいてくる。 アレクシスが斬りかかるが、シルヴァリオは指一本触れずに、魔力の衝撃波だけで彼を壁際まで吹き飛ばした。
「がはっ……!」
「アレクシス様!」
「邪魔だ、雑種。……今は、妻との教育の時間だ」
シルヴァリオが私の目の前まで来る。 甘い香水の香りが、死の匂いのように鼻孔を満たす。 彼は拘束された私の頬を優しく撫で、その親指で私の唇をなぞった。
「一つだけ、教えてあげましょう。ステラ」
彼の顔が近づく。 その赤い瞳には、私の姿が映っているけれど、そこには一切の慈悲がなかった。
「貴女たちがしようとしている『解放』はね、正義などではない。……ただの『自爆』ですよ」
「……え?」
「この核は既に死にかけている。私の茨がなければ、とっくに崩壊して王都ごと消滅しているのです。……それを解くことが何を意味するか、分からないほど愚かではないでしょう?」
彼は耳元で、甘く残酷に囁いた。
「さあ、部屋へ戻りましょうか。……今夜はたっぷりと、罰を与えなくてはいけませんね」




