第9話:歪な銀の結界、あるいは解錠の光
螺旋階段を降りるにつれ、肌を刺すような冷気と、耳鳴りのような魔力の圧力が強まっていく。 アレクシスが私の前に立ち、松明の魔法で足元を照らしてくれている。
「……ここだ」
最下層にたどり着いた私たちは、息を呑んだ。 そこにあったのは、巨大な石造りの扉。 だが、異様なのは扉そのものではない。扉を覆い尽くすように張り巡らされた、無数の「銀色の茨」だ。
それは植物ではない。高密度の魔力が結晶化した、シルヴァリオの術式そのものだった。 美しく、繊細で、そして恐ろしいほどに強固。 まるで血管のように脈打ちながら、扉の向こうにある「何か」を封じ込めている。
「これが、シルヴァリオの結界……」 アレクシスが剣の柄を握りしめ、苦渋の表情を浮かべた。
「俺の剣で断ち切ろうとしたこともあった。だが、一本斬るたびに魔力が暴走し、逆に封印が強まってしまったんだ」
「ええ、そうでしょうね」 私は冷静に、その銀の茨を見つめた。 脳内の知識が、この術式の構造を瞬時に解析していく。
(……なんてデタラメな構成)
シルヴァリオは、扉を「閉じて」いるのではない。 この地下に流れる地脈の流れを、無理やりねじ曲げ、循環を止めることで、空間そのものを「凍結」させているのだ。 人間で言えば、呼吸を止めて仮死状態にしているようなもの。
「この結界は、壊そうとすればするほど、周囲の魔力を吸って修復します。力ずくで開ければ、反動で王都ごと吹き飛ぶわ」
「な……王都ごとだと? 奴は、そんな爆弾の上に城を築いているのか」
「彼にとっては、自分が制御できている限りは『安全』なのでしょうね」
私は溜息をつき、茨の前に進み出た。 シルヴァリオ・ノワール。 彼の魔法は、確かに美しい。けれど、そこには「生命」への敬意が決定的に欠けている。 ただ在るべき形に固定するだけの、冷たい標本箱のような魔法だ。
「ステラ嬢、危険だ」
「大丈夫。……私には、この『痛み』が分かるから」
私はそっと、銀の茨に手を触れた。 指先から、バチッとした拒絶の火花が散る。 けれど私は構わずに、意識を集中させた。
(苦しいでしょう。息ができなくて、痛いでしょう)
私は、この茨を「敵」として攻撃するのではない。 無理やりねじ曲げられ、悲鳴を上げている魔力の流れを「治療」するのだ。
『――癒やせ』
昼間、少年の腕を治したのと同じ光が、私の掌から溢れ出した。 ただし今度は、物理的な肉体ではなく、この空間の歪みそのものを癒やす光。
光が茨に浸透していく。 本来あるべき流れを思い出した魔力が、銀色の硬直を解き、サラサラと粒子になって霧散し始めた。
「……馬鹿な。シルヴァリオの魔術が、解けていく……?」
背後でアレクシスの驚愕の声が聞こえる。 破壊音も、衝撃もない。 ただ、氷が春の日差しに溶けるように、絶対的だった封印が優しく解かれていく。
ギギギ……と重苦しい音が響き、巨大な石の扉がひとりでに開き始めた。
「開いた……」
私は額の汗を拭い、大きく息を吐いた。 これが「鍵」の力。 世界を支配するのではなく、あるべき姿に戻す力。
「行きましょう、アレクシス様」
開かれた扉の向こうは、漆黒の闇だった。 そこから漂ってくるのは、腐敗臭ではなく、どこか懐かしく、そして強大な気配。
「ああ。……君こそが、真の救い手だ」
アレクシスは私に畏敬の眼差しを向け、先導するように剣を構えて闇へと踏み出した。
ついに、私たちは「古の王の寝室」へと足を踏み入れた。 だが、その時――。
ドクン。
心臓が大きく跳ねた。 いや、私じゃない。城全体が、脈打ったのだ。
「……気づかれた」
私は天井を見上げた。 遥か頭上、煌びやかな舞踏会場で優雅にグラスを傾けているはずの「あの男」が、今、グラスを止めた気配がした。
自分の作った完璧な標本箱に、傷がついたことを悟った創造主の気配が。




