第6話 沈黙の神殿
秋の風が、焼け跡に吹いていた。
大聖堂の白壁は半ば黒く煤け、崩れた屋根の隙間から、薄い陽が差している。
その光の中に、魔族も人も、疲れ切った顔で瓦礫を運んでいた。
昨日まで互いに剣を向け合っていた手が、今は同じ石を持ち上げている。
「不思議なもんだな」
カイルが汗をぬぐった。「昨日まで“悪”と呼んでいた連中と、今こうして肩を並べてる」
「呼び方が違うだけで、やってることは同じだよ」
ユウトは腰を伸ばし、手に持った木槌を置いた。
肩の包帯はまだ外せない。それでも動かずにはいられなかった。
「仕事をしないと、“聖人ポイント”が減る気がしてな」
冗談に、カイルが呆れたように笑う。
「減らしていいだろ。もう十分稼いだ」
「そうもいかない。あれが、今の世の“通貨”だからな」
◇
修復作業が一区切りしたころ、ローレンスが神殿の奥から出てきた。
「奇妙なものを見つけた。――これだ」
差し出されたのは、煤けた石板。
欠けた部分をつなぎ合わせると、かすかに読める古文字が浮かんでいる。
「“神の声は、沈黙のうちに降る”……?」
カイルが読み上げた。
ローレンスが頷く。「神殿の創建記に記された文だ。
神は、声を上げる者ではなく、声を“聞こうとする”者の耳に宿る――そう書かれている」
ユウトは小さく息をついた。「皮肉だな。みんな声を張り上げてたのに」
「沈黙こそ神の言葉、か」カイルがつぶやく。
「それ、うちの世界でも似た格言があったよ。――“上司が黙るのは、だいたい問題が起きたとき”ってやつ」
「……台無しだ」
三人の笑い声が、崩れた屋根の向こうへ抜けていった。
◇
夜。
街は、ようやく灯を取り戻していた。
魔界と王国の職人が一緒に立てた木の街灯が、通りをやわらかく照らしている。
リュンがその下で、鐘の綱を磨いていた。
「明日、また鳴らしていい?」
ユウトは頷く。「好きなだけ鳴らせ。誰も止めない」
「でも、もう戦は終わったよ?」
「戦が終わっても、知らせることは山ほどあるさ。誰かが泣いてるとか、パンが焼けたとか。
――鐘ってのは、“誰かに伝えたい”って気持ちを鳴らすもんだ」
リュンは嬉しそうに笑い、綱を胸に抱えた。
◇
そのころ、王都の旧枢機卿室。
瓦礫の下から引き上げられた古文書の束を、セラが一枚ずつ広げていた。
彼女の手は震えている。
「偽の神託……偽の印章……でも、ここに、ほんとの“信仰”はなかったのかな」
ローレンスが静かに答えた。「あったさ。恐れも、祈りも、全部、信仰の一部だ。
間違った言葉を消すことが、次の祈りを始めることになる」
セラは仮面を見つめた。
「神は沈黙する。――なら、人は何を語ればいいんだろう」
「たぶん、“これから”の話だろうな」
彼の言葉に、少女は小さく頷いた。
◇
翌朝。
城下の広場に、新しい井戸が完成した。
周囲には、魔族と人間が一緒に並び、初めての水を汲む瞬間を見つめている。
ユウトは手を合わせ、軽く祈るように頭を下げた。
「この水が、誰のものでもなく流れますように」
ローレンスが笑う。「それは立派な祈りだ。――神が聞いているよ」
「それは困るな。また“善人ポイント”が上がる」
「いいじゃないか。今度は、その“善”で税を取れる」
「なるほど、“徳税”か」
ふたりの冗談に、周りが笑った。
リュンが井戸の縁に腰かけ、水面を覗き込む。
そこに、風に揺れる空と雲が映っていた。
「ねえ、魔王さま。あの雲、なんて名前?」
「“積雲”だ。――雨を連れてくる」
「じゃあ、次は雨の神殿を作ろうよ」
「いいな。それができたら、次は風の学校だ」
カイルが口をはさむ。「その次は?」
ユウトは考え込み、少し笑った。「“沈黙の神殿”」
「神が沈黙するための?」
「いや、人が耳をすますための、静かな場所を」
風が通り抜け、鐘がひとつ、遠くで鳴った。
その音は、誰の所有物でもなく、ただ空気の中にあった。
◇
夕暮れ。
丘の上に立つユウトの背に、カイルが声をかけた。
「この世界は、やっとゼロに戻ったんだな」
「そうだな。あとはプラスにもマイナスにもできる。好きにすればいい」
「お前はどうする」
ユウトは空を見上げた。
「少し休む。それから……“悪”の続きを考える。
――今度の悪は、“働き方改革”だ」
カイルは苦笑した。「お前らしいよ」
ユウトは肩をすくめた。「善人設定のまま、ブラック企業をホワイトにしたら、さすがに呪いも解けるだろ」
日が落ちる。
鐘の音が遠くから届く。
その音に混じって、誰かの笑い声、パンの焼ける匂い、子どもたちの歌。
戦を止めた世界の音は、静かで、あたたかい。
ユウトは最後にひとことつぶやいた。
「……悪も、案外、いい仕事だな」
その言葉を聞いた風が、どこかで鐘を鳴らした。
(完)




