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転生したら魔王だった。でも何故か世界から「聖人」扱いされている件  作者: 妙原奇天


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第5話 神の審問

 王都の鐘が、昼を告げる回数を数え終えたとき、民は大聖堂の前に集められていた。

 枢機卿エリオットの布告は簡潔だった――「神託が下りた。魔王と勇者を“さばく”」。

 誰もが知っていた。昨日、血は流れなかった。だから今日こそ、血を求める者たちが“正しさ”という名の器を掲げて待っている、と。


 白い階段。白い柱。白い祭壇。

 名ばかりの白さの中へ、黒い外套の男と、銀の剣を腰にぶら下げた青年が、並んで歩いていく。

 ユウトとカイルだ。

 ざわめきは起きない。静寂は、剣よりも鋭い。


 祭壇の背後に据えられているのは、古来の神器――〈天秤の〉。

 罪と徳を量るという石の天秤。中央には小さな皿が二つあり、片方は「意」、片方は「果」と刻まれている。

 意図と結果。

 この国はいつだって、後者の皿ばかり見てきた。


「これより“神の審問”を始める!」


 枢機卿の声は、雷より高く、鐘より遠くへ響いた。

 彼の隣には、黄金の仮面をつけた巫女が立つ。

 “神託”を下ろす媒介――鴉羽からすばの巫女。

 しかし、その仮面の目の穴から覗く瞳に、カイルは見覚えを覚えていた。怯え。迷い。

 彼は眉をひそめ、ユウトに小声で言う。「仮面の下、若すぎる」

「“使い捨て”は、どの世界にもある」


 枢機卿は両腕を広げる。「民よ、見よ。魔王は神水しんすいを汚し、井戸に呪を流した。勇者は剣を捨て、魔と通じた。神は怒り、神は問う。――汝らは“善”か、“悪”か」

 祭壇の前に引き出された二人に、補佐の司祭が縄をかけようとする。

 ユウトが肩をすくめた。「手、痛いんだ。片方だけにしてくれ」

 司祭は一瞬躊躇し、片手だけ縛る。

 枢機卿の口元に、侮蔑の笑みが刻まれた。


 天秤の碑に、司祭が神油を垂らす。

 巫女が低く祈りを唱え、天秤の皿に薄い光が宿る。

 石で出来たはずの皿が、微かに呼吸をした。


「まずは魔王ユウト。汝の“意”は、何ゆえか」

 枢機卿の声に、ユウトは肩を竦める。

「楽に生きたい。残業を減らしたい。民に死なれたら、こっちの仕事が増える」

 群衆の中に笑いが走る。しかしすぐに、笑いは引っ込んだ。

 天秤の“意”の皿が、わずかに上がったのだ。

 枢機卿は眉をひそめる。「曲者め。では“果”。汝は何を為した」

「井戸を掘り、橋を直し、孤児院を作った。昨日は矢を受けた」

 “果”の皿が、ふわりと下がる。

 “善”と判定されたときに鳴る小さな鈴は――鳴らない。

 代わりに、静けさが深くなった。


「神の鈴が鳴らぬのがわからぬか! 偽善は神に届かぬ!」

 枢機卿が叫ぶ。

 カイルが一歩前に出る。「鈴を鳴らすのは、神か、それとも人か」

「黙れ。勇者カイル、汝は“意”において裏切りを為し、“果”において国法を犯した。汝の剣は、今どこにある」

 カイルは腰の鞘に触れた。「ここにある。抜かなかっただけだ」

「ならば〈天秤〉に、汝の剣を載せよ」


 差し出されたのは、布で包まれた“意図の石”。

 それを剣に結びつけ、天秤の“意”の皿へ。

 皿は――動かない。

 群衆がどよめく。

 枢機卿は苛立ち、巫女を睨みつけた。

 巫女は一瞬だけ震え、さらに祈りを強める。

 天秤の“意”の皿が、きしきしと揺れ、わずかに沈んだ。

 雨に濡れた綱を無理に引くような、不自然さ。


 その時、列の後ろで小さな声がした。「ねえ、あれ、変だよ」

 振り返ると、角の小さな魔族の少年――リュンが、人垣の間から背伸びしている。

 彼の手には、擦り切れた鐘の綱の切れ端が握られていた。

 リュンは、ユウトと目が合うと、にっと笑った。


「カイル」ユウトが囁く。「“水”を借りられるか」

 勇者は頷き、司祭の持つ聖水皿を指さした。「その水、少し」

「神の水に魔の手を触れさせるな!」

「触れるのは俺だ。神のしもべだ」ローレンス――審問のために呼ばれていた神官が、前に出た。「中立の処置として、天秤の“仕組み”を確かめねばならない」

 枢機卿の目に、怒りが走る。「貴様、教国に弓引くか」

「私は“神”に仕え、同時に“真実”に仕える」


 ローレンスは、天秤の中央柱に沿う配線のような溝を見つけ、そこへ聖水をそっと垂らした。

 石の継ぎ目から、目には見えない細い糸が浮かぶ。

 糸は台座の下へ、そこから祭壇の背後へ――巫女の足元へ。

 薄い水の線が、仮面の裾へ吸い込まれていく。


「“天秤”は、巫女の足元と繋がっている」

 ローレンスの言葉に、群衆がざわめいた。

 巫女の体がびくりと震え、仮面の孔から涙が光った。

 ユウトは柔らかい声で言う。「君、名前は」

「……セラ」

「セラ、君の足元の板、外せる?」

 巫女――セラは恐る恐る板を持ち上げた。

 そこには、小さな滑車と重り。

 足の指で微妙に牽き、天秤の皿を揺らす仕掛け。

 司祭たちの顔色が変わる。

 枢機卿は杖で床を叩いた。「異端の虚言! 巫女を欺く術だ!」

 その瞬間、ローレンスが一枚の布を取り出した。

 井戸水に浸し、絞った布。

 彼は布を祭壇の石板に押し当て、ゆっくりと引いた。


 石板に――文字が浮かび上がる。

 墨ではない。透明な薬で書かれた文言が、水分で反応し、黒へと変わったのだ。


“鈴は鳴らす。正義のために。――E”(エリオット)


 名前の頭文字。

 群衆の空気が、初めてはっきりと変わった。

 枢機卿の顔から血の気が引く。

 彼は怒りではなく、恐怖に震えた。

 「偽りだ! 魔王の奸計だ!」


「奸計? じゃあ、これはどう説明する」

 カイルが、腰から解いた白銀の剣を祭壇に置いた。

 刃には、昨夜の灯籠の煤が薄く付いている。

 彼は剣の平に水を垂らし、祭壇の光の下にかざした。

 刃の面に、昨日、北門で浮かんだ水文字の残りかす――“敵ではない”の薄墨が、再びにじむ。

 それは、人の手で拭う前に刻まれた、確かな痕跡だった。


「俺は、魔王に“救われた”勇者だ。剣を抜かずに済む未来を見せられた。

 そして今、ここで“正義”の仮面を剥がしたのは、神ではなく、水と光だ」


 民の中から、ひとりの老女が叫んだ。「鐘を鳴らしたのは、この子だよ!」

 人垣から押し出されるように、リュンが前へ出た。

 彼は胸を張って言う。「ぼくは鐘を鳴らした。ただ知らせた。戦いじゃないことを」

 枢機卿が吐き捨てる。「魔の子の言葉に価値はない!」

 その瞬間、老女が杖で石畳を叩いた。「水も鐘も、魔も人も、喉が渇けば同じだよ!」

 短い言葉が、どっと拍手に変わる。

 拍手は次第に大きくなり、やがて大聖堂の天井へと沸き上がっていった。


 枢機卿は引かない。「神は、沈黙しておられぬ!」

 彼は巫女の肩を掴み、仮面を無理やり押しつけようとする。

 セラの体が逃げ、仮面が地に落ちた。

 透き通るような顔に、若い恐怖と勇気が並んでいる。


「……神は、静かでした」

 セラの小さな声が、奇跡のように響いた。

「鈴が鳴ったのは、人が引いたから。私が引きました。

 でも、昨夜、北門で……鐘の音を聞いたとき、胸が熱くなった。あれは、神の側に“人”が近づいた音でした」


 沈黙。

 それは、何よりも強い証言だった。


 ユウトは天秤に近づいた。

 縛られた片手のまま、皿の縁を指で軽く叩く。

「〈天秤〉は便利な道具だ。意図も結果も、重さに変えてくれる。

 でもさ……“意図”という皿は、いつだって人の手が届く場所にある。だから騙せる。

 “結果”の皿は、時間が届く場所にある。だから、すぐには量れない」


「詭弁だ!」

「詭弁で充分だ。戦争も宗教も、詭弁から始まる。なら、詭弁で止めてやる」


 ユウトは、巫女セラの手を取った。

 自分の包帯の端をほどき、彼女の手首に巻きつける。

 「君の震えは、人間のものだ。神のものじゃない」

 セラは涙を拭い、頷いた。


「審問を続けるなら――証拠を増やそう」


 ユウトは祭壇から少し離れ、広場を見渡した。

 鐘の綱の切れ端を握るリュン、杖を突く老女、そして無数の市井の顔。

 その全てが、今だけは裁く者だった。


「俺を“善人”にする呪いは、もう飽きた。

 だから、ここで宣言する。

 俺は“悪”だ」


 ざわめき。

 ぎょっと顔を上げたのは、カイルだった。「おい」

 ユウトは続けた。「善いことをしているのは、負けるのが嫌いだからだ。殺し合いはコスパが悪い。

 助けるのは、助けられたほうが後でちゃんと働いてくれるからだ。

 ――それでも、いいなら、好きに呼べ。聖人でも、悪党でも」


 “意”の皿が、すっと沈んだ。

 “果”の皿も、僅かに沈んだ。

 天秤が、両方、同時に下がる。

 石で出来たはずの天秤が、初めて音を立てて軋む。


 「見たか」ユウトが笑う。「“善”と“悪”は、別の皿だ。

 片方だけ見てれば、誰かが動かせる。両方を同時に見れば――手出しが効かない」


 枢機卿が震える指で護符を掲げた。「魔王め、言葉で世界を惑わす気か!」

 その足元に、いつの間にか水が溜まっていた。

 聖水皿が傾き、細い水路が祭壇の周囲に伸びている。

 ユウトが指を鳴らす。

 水の表面に、淡い文字が浮かび上がった。


“血をもって、戦を止めよ”


 〈血の条約〉の第一文。

 昨日、ギルベルが読み上げた言葉。

 だが今日は、水そのものが読む。

 民の足元で、子どもたちの掌で、兵の兜の縁で、同じ文がひらひらと現れては消えた。

 誰のものでもない声が、王都全体を満たす。


 枢機卿の護符が、手から滑り落ちた。

 彼は叫ぼうとして――声を失った。

 祈りの言葉が喉に引っかかる。

 なぜなら、その言葉を今、民が共有しているから。

 “正しさ”が、独占できなくなったから。


 やがて、枢機卿は沈んだ声で呟いた。「……敗北ではない。これは、試練だ。神は我らを試されている」

 その顔に、わずかな陰が差す。

 幼いころに身につけた“逃げ場”。

 彼は杖を振り上げ、衛兵に怒鳴った。「捕えよ! 魔王と勇者を! 神の国から追放せよ!」

 衛兵が動かなかった。

 最初の一人が目を逸らし、二人目が兜を脱ぎ、三人目が剣を鞘に戻す。

 人の列が揺れ、やがて波が白波から穏やかなうねりに変わるように、緊張がほどけていく。


 そのとき。

 大聖堂の西側から、黒煙が上がった。

 誰かが油壺を投げたのだ。

 「火だ!」

 叫びと同時に、混乱の波が押し寄せる。

 群衆が身を寄せ、悲鳴が重なる。

 ユウトの視線が、瞬時に状況を走った。炎の筋は、あまりに滑らかで、着火の手際が良すぎる。

 ――計画的放火。

 枢機卿派の過激分子だ。


 ユウトは振り返り、カイルに短く言った。「水」

 勇者は頷き、ローレンスに合図する。

 神官は聖水皿を掲げ、周囲の人々に叫んだ。「列を作れ! 井戸から水を運ぶ! “煮沸”だ! 汲んだら、ここで鍋へ!」

 先に動いたのは、子どもたちだった。

 リュンが鐘の綱を掲げる。「鐘を鳴らして! 橋へ、井戸へ、掲示板へ! “火消し”の合図だ!」

 鐘の音が、また駆ける。

 武器のかわりに桶。罵声のかわりに手渡し。

 バケツリレーが生まれ、炎の舌が鈍る。

 ユウトは手をかざし、火の上に風の渦を作って酸素を奪う。魔法ではない。空気の流れを読む昔の知恵の応用だ。

 カイルは逃げ遅れた老人を背に担ぎ、外へ運ぶ。

 セラは僧房から布をちぎって湿らせ、口に当てて人々に配る。

 枢機卿の叫びは、火の音に飲み込まれた。


 火が、鎮まった。

 煤で黒くなった石壁から、湯気のような白が立つ。

 ユウトは咳をし、肩の包帯を押さえた。

 カイルが支える。「大丈夫か」

「……善人ポイント、また上がるな」

「うるさい」

 二人の小さな笑いに、周囲の緊張が解けた。


 やがて、黒煙の向こうから、怒声とは違う声が近づいた。

 「道を開けろ! 負傷者はこっちだ!」

 それは魔王領の医療隊だった。

 角を隠しもせず、堂々と王都の中心へ入ってくる。

 先頭には、見知った顔――ギルベルがいた。

 彼は〈血の条約〉の写しを胸に抱え、ローレンスに手渡す。

 「王都の井戸ごとに配った。読み上げも済んだ」

 ローレンスは深く頷き、祭壇の上にその写しを置いた。

 火で黒ずんだ石に、血の文字が鮮やかに見えた。


一、双方の民の流した血をもって、戦を止めること。

二、勇者と魔王は共に代表し、互いの民に誓うこと。

三、破る者あらば、その者こそ真の“悪”とすること。


 枢機卿は膝をつき、肩を震わせた。

 彼の老いた体は、信仰というより、空虚に支えられていたのだと、誰もが理解した。

 それでも、ユウトは彼に近づいた。

 静かに言う。「あなたの“意図”を、否定はしない。国を守りたかったのだろう。

 ただ、結果が違った。

 ――だから、降りてくれ。あなたの正義、ここまでだ」


 老人はユウトを睨み、そして、視線を落とした。

 「……神は、沈黙されるのか」

 ユウトは頷いた。「多分ね。だから、俺たちが話す番だ」


 その言葉に、民の間からすすり泣きが起こった。

 誰かが拍手をし、それがゆっくりと輪になって広がり、大聖堂の白い天井を震わせた。

 拍手は祈りに似ていた。

 祈りは、言葉に似ていた。


 ローレンスが前へ出て、堂々と宣言する。「本日の“神の審問”は、ここに閉廷する。神は沈黙された。よって――人が決める。

 〈血の条約〉を、王都は暫定的に受け入れる」

 この言葉は、神学の敗北ではなく、宗教の成熟だった。

 誰もが、その違いを、ゆっくりと理解した。


 夕陽が、祭壇を赤く染める。

 ユウトは肩の痛みを堪えながら、祭壇の縁に腰を下ろした。

 そこへリュンが駆け寄り、濡れた布を差し出す。「魔王さま、血、でてる」

「今は“陛下”より、それが嬉しい」

 ユウトは笑い、布で汚れを拭った。

 カイルが隣に座る。「お前の“悪”、今日もよく働いたな」

「お前の“善”もな」

 二人は拳を軽く合わせた。

 拳の硬さは、石より柔らかく、水よりも確かだった。


 そのとき、セラが仮面を抱えて近づいた。「この仮面……どうすれば」

 ユウトは仮面を受け取り、祭壇の脇にそっと置いた。「そこに置いておこう。誰かがまた、神の声が必要になったら――“人の声”で代わりに話せるように」

 セラは微笑む。「それは、僧の仕事でしょうか」

 ローレンスが頷いた。「そして、民の仕事でもある」


 鐘が、夕刻を告げた。

 今日は、戦の始まりを告げる鐘でも、勝利の鐘でもない。

 暮らしへ戻れ、と告げる鐘。

 ユウトは空を見上げ、深く息を吸った。

 煙の匂いと、水の匂い。血の匂いは――ない。


「……次は、税の話だな」

 唐突な一言に、カイルが吹き出す。「色気ないにもほどがある」

「色気より、持続可能性。――戦を止めたら、暮らしが始まる」


 暮らし。

 言葉にすると、やけに大きく、そして手のひらに収まるほど小さい。

 大聖堂の広場に、盆のような月が昇る。

 月は、善も悪も、等しく照らす。

 いい月だ、とユウトは思った。


 その夜。

 王都の外れで、黒い影がひとつ、長い路地に溶けた。

 枢機卿の私室から、封蝋の束が消えていた。

 細い手首、速い息。

 仮面を置いた少女――セラが、暗がりの中を走っていた。

 封蝋には、一文字ずつ、こう彫られている。


“E にあらず”


 偽の印章。

 明日、彼女はそれを民の前で砕くだろう。

 神の声は静かに、しかし確実に、人の喉へ戻りつつあった。


 ユウトが眠りにつくころ、遠くの村でまた鐘が鳴った。

 遅い鐘。

 それに耳を傾ける者は少ない。

 それでも鐘は鳴る。

 ――“剣を置け。水を汲め。言葉を持て。”


 “聖人扱い”という呪いは、まだ解けない。

 だが、呪いの外側に、歩ける道が一本、増えた。


(つづく)

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