素晴らしい絵
売れない画家が、息子と二人きりで暮らしていた。彼は画業では食べていくことができなかったので、日々の大半を掃除夫として一生懸命働いて過ごした。そして、一週間のうちわずかに一日を休みとしてもらい、その日はずっと絵を描いた。
彼の息子はカーティスといい、五歳になったばかりだった。親に甘えたい、遊びたい盛りだったが、母親が死んだことや父親が必死で働いていることをよく理解していたので、わがままを言うこともなく、家ではいつも一人で遊んでいた。休日も、父親が絵を描くのを邪魔することはない。そんな息子の聞き分けの良さに画家は感謝していたが、やはり子どもに我慢をさせていることを辛く思っていた。
ある休日に、画家は一枚の絵を描き上げた。遠い田舎の風景を描いたものだ。若草が茂る丘を、嵐が吹き抜ける様が生き生きと映し出された絵だった。じっと見ていると、風が草をなでる音が聞こえる気さえした。
画家はカーティスを呼び、その絵を見せた。
「どうだ、なかなか良い出来だと思わないか?」
カーティスは答えず、まじまじと絵に見入っていた。画家は息子の頭を撫でて、自分も絵を眺めた。
不意に、カーティスは絵を指さした。
「狼の声がする」
「何だって?」
画家も耳をすました。すると、どこからともなく、狼ののんびりとした遠吠えが聞こえてくる気がした。
「ははは、絵の中に、狼の群れがいるのかもしれないな」
画家はそう言って、まだ絵を見つめ続けているカーティスに、時間ができたから一緒に遊ぼうと提案した。
次の日、画家が掃除をしている銀行の重役が、彼の家にやってきた。雇用の話をするためだったが、家の中に飾ってあった絵を見て、感心して言った。
「見事な絵だ。君が描いたのかね?」
「は、はい」
後日、重役から、絵を高値で買いたいという依頼が来た。画家は飛び上がって喜び、家に帰るとカーティスと二人でお祝いをした。
「いいかい、あの絵が偉い人に売れたんだ。だから、じっくり眺められるのも今夜までだぞ」
その夜、カーティスは、絵の前に来て、風に吹かれる草花や、丘の上に差す太陽の光を眺めた。行ったこともない場所の、何の変哲もない景色だが、見つめていると何故だかうきうきした気分になるのだ。
カーティスの目の前で、狼の群れが丘を登り、てっぺんで吠えた。カーティスは目を丸くして、絵の中の狼たちを見守る。狼はいきいきと丘の上ではしゃぎ回り、時には飛び跳ね、転がり落ちた。
カーティスは犬が好きだ。家で飼うことはできないと分かっていたが、道で飼い犬に出会うたび、触らせてもらえないかなと思っていた。だからこの時も、狼の群れの中に飛び込んで、思いっきりなで回したいと思った。
そうカーティスが願った時、風が強く吹いた。絵の中からだ。その風に誘われるように、カーティスは歩き出した。いくらかも歩かないうちに、足下にはふかふかの若草が生え、頭上は温かい日の光が差し、カーティスは絵の中の丘にいた。
カーティスはすっかり嬉しくなり、わっと叫びながら遊んでいた狼の群れに駆け寄った。すると狼たちはぴたりと遊ぶのをやめ、一斉にカーティスの方を見た。
狼たちは腹を空かせて、よだれを垂らしていた。そして、ぎらぎらしたどう猛な目で、カーティスに近づいた。
寝る時間になって、画家はカーティスを探した。いつものように一人で遊んでいるのかと思っていたが、家の中のどこにもいない。絵が売れた喜びはすっかり冷め、たんすや戸棚の中まで探したが、カーティスの影も形も見つからない。
ふと、画家は自分が描いたあの絵を見た。そして驚いた。絵の中に、躍動感たっぷりに駆ける狼の群れと、群れから懸命に逃げるカーティスそっくりの少年の絵が描かれているではないか。
とっさに画家は絵筆を取り上げ、絵の中、逃げる少年の側に一頭の犬を描き足した。
カーティスは逃げていた。狼が吠えまくりながら、少年を食べようと迫る。何頭かの狼がカーティスの正面から回り込み、牙を剥きだした。カーティスは悲鳴を上げた。
その時、一頭の犬が狼に飛びつき、喉元に噛みついた。狼はぎゃんと鳴き、犬から逃げた。犬はカーティスを守り、毛を逆立ててうなる。狼たちは何度も飛びかかろうとしたが、そのたびに犬が立ちはだかった。
とうとう、狼は皆逃げていった。カーティスは守ってくれた犬を撫でながら、ぶるぶる震えた。画家の声が聞こえる。犬が励ますように鳴いた。カーティスはゆっくり立ち上がって、父親の声のする方向へ帰っていった。
気がつくと、カーティスは元通り家の中にいて、画家に抱きしめられていた。絵を見ると、一頭の犬が丘のてっぺんに立ち、カーティスをじっと見ていた。
犬を描き足したことが重役の好みに合わず、絵を売る話は白紙となった。画家はこの絵を息子に贈ることにしたが、また絵の中に行ってしまっては危険なので、普段は紙で包んでしまっておいた。だが、カーティスは時々、あの時助けてくれた犬の遠吠えを聞くのだった。