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第8話

 あれからどれほどの時間が経ったのか、僕には分からなかった。けれど、きっとほんの数秒の出来事だったのだと思う。ともすれば白昼夢かなにかと思えてしまいそうなほどに。そんな風に呆ける僕に言葉を届けてくれる彼女の姿は、初めて出会ったあの時の少女のようで。


「どう?どう?ドキッとした?」


 目の前でいろんな角度からこちらを覗き込むようにしながら揶揄ってくる人物がさっきまでの人と同一人物とは思えなかった。


「実はお前、多重人格だったりしない?」


「診察されたことないから分からないけど、多分違うんじゃない?」


 それはそれで面白そう、いや苦労するかなぁ、などとぶつぶつ言う彼女は僕からすればいつもの雰囲気を感じさせる。本当に不思議な奴で、それこそ実は人間じゃない、と言われても驚かない気すらしてきた僕は、ひとまずその思考を頭の隅に追いやった。


「とりあえず、さっさとあいつを探しに行こう」


「それは構わないけど、そもそも見つけたとしてどうするの?」


「僕が何かするんじゃなくて、できればお前に謝ってほしいんだけど」


「えー」


 露骨に嫌そうな顔と声を見せる彼女。いや、実際自分やいじめられていた少女のことも含め、9割9分向こうが悪いとは思うのだが、それでも彼女の発言が一線を越えたものなのは変わりない。


「我慢するなって言ったのはお前だろ。僕は結構後まで引きずるタイプなんだ」


 そう、今ここであの発言を謝罪しておかないと、僕が後々思い返してしまいそうなのだ。


「別に君が言ったわけじゃないんだし、君が引きずる必要なくない?」


「うっ」


 それを言われると返す言葉がない。あくまでこれは、僕の我儘でしかないのだ。それゆえ僕は彼女を上手く説得するだけの材料がない。言葉に詰まる僕を見て、彼女はため息交じりに言った。


「はぁ……分かった。あの発言については謝るよ。ずっとそんな顔されちゃこっちが困るしね」


「……ありがとう」


 どうやらひとまず折れてくれるらしい。会話を終えた頃には、僕達は昇降口までたどり着いていた。この学校の靴箱は蓋とかが付いているわけではなく、ただの棚のようになっている。そのため、外から見て上靴があるのか、外履きがあるのかでその人物が校舎内外どちらにいるのか判断が可能である。靴箱に視線を滑らせると……


「ああ、蛇口(へびぐち)だったか」


 自分のクラスで唯一外履きがないところ、そこに名前が記されていた。言われてみればそんな名前だった気がする。


「蛇口?珍しい苗字だね」


「確かにあんまり聞かないかもな」


 その割にすっかり忘れてたんだから、僕自身結構余裕がなかったのだろう。ただ単に周囲に興味がないだけかもしれないが。


「それじゃあ、私たちも外に出ますか。あまり遠くにいないと良いねー」


 流石に学校の敷地の外にいるとは考えにくい。昇降口から出て左手は体育館。体育をしているクラスがいたらそっちの方向には行かないだろう。となると……


「出て右手の駐輪場あたりから見てみよう」


「おっけー」


 互いに少し離れた場所で靴を履き替え、僕達は校舎から足を踏み出した。







 普段は徒歩での登校なので駐輪場を訪れない。だから、こうして所狭しと自転車が並ぶ光景はそこそこ新鮮だった。


「自転車登校の人、多いんだな」


「ん?世良町君は違うの?」


「僕は家が近いから基本歩きだよ」


 まあ、今週は歩きですらないんだけど。


「しかし、あの日は随分落ち着かない様子だったのに、今となっては堂々と授業をサボって外を出歩くなんて……成長したねえ」


「成長とか言うな。好きでサボってるわけじゃないし」


 多種多様な自転車を横目に、そんな会話をしながら歩む。今日は天気が良く、時間帯もあって気温が心地よい。駐輪場付近は風通しも良好で、暖かな陽気を感じられる。何を思って教室から駆け出して行ったのかは知らないが、この天候なら少しは女帝様の気分も落ち着いているかもしれない……


「どうしよう……」


 そうでもなかった。駐輪場を抜けた先、木や校舎の影になっているところで蹲ってぶつぶつ独り言を漏らす女子生徒が1人。その人こそ、先程教室から駆け出して行き、今まさに探していた人物だ。


「どうする?自転車ぶつける?」


「お前はバカか」


 こそっと耳打ちでとんでもないことを言う彼女に思わず大きな声で返してしまう。お目当ての女子は僕の声にビクッと反応し、慌ててこちらを振り向いた。


「な、なんで……」


「あんだけ目立っておいてなんではないだろ。これでも一応、顔を叩かれた身なんだけど」


 その一言で相手は思わず口籠る。まあ、無理もない反応だ。


「すぐに切れて人を叩いたかと思えば、その場にいられなくなって駆け出し、駆け出した先では独り言をぶつぶつ……もしかして情緒不安定?」


「お前ちょっと黙ってろ」


 全くこいつは……すぐ煽ろうとするから油断ならない。


「な、何?私は何にも悪くないんだから!」


 もっとも、言われた相手は煽られたことに気がついていないのか、あるいはそもそも聞こえていなかったのか。キッとこちらを見据えながら応える。しかし、その声は少し震えていた。悪くない、という単語が出るあたり、心の隅ではやはり罪悪感があるのだろう。強がっている感じもするが、おそらく仕返しされるのではないかという恐怖心も抱いている。


「別に仕返しするとかじゃないからそんなに怯えなくても良いよ……ほら」


 僕は隣の彼女に目を向ける。彼女は一つ大きなため息をついたのち、蛇口の前まで進み出た。無表情で近づく彼女に対して露骨に警戒心を見せる蛇口。


「さっきはごめん。あなたのご両親のことまで悪く言ってしまって」


 手を真っ直ぐに伸ばし体の横に沿わせながら、彼女は深く頭を下げた。ピシッとしたその振る舞いはさながらサラリーマンのようで。あれだけ乗り気ではなかったのに、いざその場になるとそんなことを一切感じさせない姿だ。僕でさえ随分と驚かされたのだ、謝罪を受けた蛇口本人は面食らってポカーンとしている。


「え?ちょっ、え?なに?」


 やっとのことで聞こえてきた声は上手くまとまっておらず、その混乱具合が見事に表れていた。いまだに頭を下げたままの彼女に対してどう対応したものかと空気をつかむように手を出したり引っ込めたりしている。


「言葉通りだよ。蛇口さんの家族を馬鹿にしたような発言を謝りに来たんだ」


 僕が蛇口に声をかけたのを機に彼女は頭をあげた。


「じゃあ、それだけ。戻ろうか」


 彼女に声をかけ、その場を後にしようとすると───


「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!」


「ん?」


 背中越しに蛇口が呼び止める。ある程度状況を飲み込むことができたのか先ほどより幾分か落ち着きが見えた。その表情を確認して、こちらから先に言葉をかける。


「先に言っておくけど、もし僕を叩いたことで何か思うところがあるなら気にしなくていいよ。家族のことを言われて怒るのは無理もないし、僕はたまたま足がもつれて2人の間に割って入ってしまっただけだから。ただの事故だよ」


 ただ淡々と事実を告げる。そこに何かの感情はなく、ただ起こった事を述べていく。実際、この言葉は大方嘘ではない。そもそも、僕が彼女に頼んでここにきたのはあの発言に対してケジメをつけたかったという一点だけが理由だ。蛇口に対しては良い心象を抱いてはいないので、要が済んだならさっさと解散するに限る。いじめの主犯格の蛇口を好きか嫌いかでいえば間違いなく嫌いなのだから。


「……」


 口を開いて何か言おうとしたが、また蛇口は口籠った。もっとも、僕の知る限りでは蛇口は謝るような性格ではない。今回の件はこれで終わりだろう。


「帰るだろ?」


 彼女に声をかけると、彼女は───


「あ、私はちょっとお花摘みに行くから先行ってていいよー」


「そうか……?ああ、蛇口。僕と一緒に体調不良で保健室ってことになってるから、そこだけよろしく。お互い授業の無断欠席は嫌だろ?」


 そう言って僕は返答を待つ事なく昇降口まで歩みを進め始めた。

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