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第67話

「いだだだだだだ!痛い!痛いって三橋!」


「そうですか。私は痛くありませんが」


「心すらも!?」


 こちらの抗議を意に介す様子をこれっぽちも見せることなく、三橋は僕の耳を乱暴に引っ張る。せめてこっちを向いてほしい。「耳の穴かっぽじって良く聞け」なんて表現があるが、こちらはまさに耳の穴が開通した気分だ。おかしい、この間耳掃除したんだが。


 三橋は僕の耳を摘まんだまま、前後左右へと手を動かす。それにつられてまるで酒でも飲んだかのような千鳥足でふらつくこと数回。突然耳への感触と引力がなくなり、そのままバランスを崩した僕は倒れかける。そこで手を突くことなく、脚の力だけで耐えることができた僕は、今ならシャトルランでもいい走りが期待できるかもしれない。いや、やっぱやりたくないな。ああ、やめろぉ!思い出しただけで「5秒前……スタートレベル1」って無機質な音声がァ!


 って、そうじゃない。痛みを紛らわすべく思考がそれてしまった。


「いきなり何すんだよ三橋!」


 まだひりひりと熱を帯びている耳を押さえつつ、顔を上げて叫ぶ。しかし、返ってきたのは相変わらず冷静な声。


「逆に伺いますが、あなたはなぜ何もしないんですか?」


 そう言って、三橋は初めて僕に視線を向けた。


 何もしない、何もできない。それが今の僕だ。吹部部長を目の前にして体が強張り、喉が詰まった。威圧的なその態度に、拭いきれない苦手意識に、過去のトラウマを勝手に重ね勝手に怯えた。実際のところ、吹部部長は僕に何一つ危害を加えてなどいない。それにも関わらず人を見た目で判断し、自分の成すべき仕事を忘れ、同行者の負担を増やした。


 僕に同行してくれる時に三橋は言っていた、『時間もそんなにかからないでしょう。ずっと籠っていては息も詰まります』と。本心は僕を心配した上での行動だと理解している。優しい三橋のことだ、きっとこの状況に関しても「万が一を想定してついてきてよかった」などと言ってくれるんだろう。だが、デスクワークばかりだから少し息抜きもかねて外に行きたい、そんな気持ちも少しはあったはずだ。それなのに、不甲斐ない同行者のせいでタスクを増やされては細やかなリフレッシュにもなりゃしない。


 仕事量を心配して一緒に休もうとまで言った相手に、逆にフォローされるようでどうする?歳の変わらぬ異性の背に隠れ、がくがくと怯えるなんて……そんな情けないこと、やってられるか!


「悪い……やっぱ同行してくれて助かった」


「構いません。そのために私も来たんですから」


 ほら、やっぱり。そういうことを言う。僕は思い描いていたような単調な声と表情の返しがそのまま出てきたことに内心笑いながら、今度はまっすぐに吹部部長───浅野原2年生を見据えた。


 思えば失礼な話だ。浅野原部長は口調こそ粗いが、部員に慕われていることはちょっとしたやり取りからも分かる。実行委員へ向ける怒りも非常に正当性のあるものであり、それは根拠や謂われのない悪意ではない。この人は、あいつらとは違う。


 現に唐突な一幕、三橋の耳引っ張りから始まる一連の流れを見て、可愛らしく「きょとん」とした顔をしているじゃないか。なんで怖がる必要がある?


 痛みと衝撃、羞恥と決意。クリアになった視界と脳が次に紡ぐべきアドリブを形成する。


 もう、大丈夫だ。


「部長~そろそろ休憩開けますよ~」


 後方からかかったその声。浅野原部長がそれに手を挙げて応えた後、僕は言った。


「場所を変えましょう。すぐに終わります」







「先ほどはすいません。少し取り乱しまして」


 廊下で向かい合った浅野原に言うと、怪訝そうに返される。


「今も大概キモイけど。敬語やめてくんない?」


「あ、そう?それじゃあ気楽に。申し訳ないけど、広場の利用は1日。これは譲れない」


「だからさぁ」


 イライラを隠さない様子。やはりさっきのやり取りもあってストレスが溜まってしまっているようだ。となると、結論から言ってしまった方がいい。


「代わりになんだけど、文化祭のオープニング演奏を吹奏楽部に担当して欲しい」


「……は?」


 突然の提案に一瞬固まる浅野原。その思考の揺らぎ、空白はこちらの会話を続けるチャンス。分からないことをいきなり言われては自然と「クレームを言う」姿勢から「話を聞く」姿勢にシフトせざるを得ない。


「これ、覚えてる?」


「昨日書いたやつでしょ」


「そう。吹奏楽部、それに科学部の双方見させてもらった。広場を希望する理由っていうのは、展示をできるだけたくさんの人に見てもらいたいから」


「そんなん当たり前じゃん。誰だってそうでしょ」


 誰だって一生懸命準備したならやはり人に見てもらいたい。だけど、吹部はそれだけじゃない。自分たちの練習の成果を見せるだけなら他にも機会がある。なぜ広場にこだわるのか、落としどころを練る際にはそこを考えればいい。幸い僕の近くには幅広い人脈を有し、現在の校内の情報に加えて過去の先輩の話まで拾ってきてくれる椛という存在がいた。だから手札は十分にある。後は僕がカードをどんな順番で、どんな言葉を添えて出すか、だ。


「でもそれだけじゃない。多分だけど……新入生勧誘の目的があるでしょ?」


 そう言うと、浅野原は目を見開いた。


「実は、過去の文化祭の展示について少し調べた。吹奏楽部の最後の利用は10年ほど前。これまでずっと同じ場所で展示をやっていたという話なら場所にこだわるのは分かる。だけど、吹奏楽部が今回こだわる理由は別にあると大体想像がついた」


 浅野原は今度は口を挟むことなくを黙って聞いている。そのため僕も続けることにした。


「うちの吹奏楽部、長年強豪だったみたいだね。凄い時は全国で優勝もしてる。そこに当然生徒の努力はあっただろうけど、陰の立役者はおそらく指導教員、織戸先生だ」


 強豪校の大会以外での演奏の機会。地域に住んでいる人なんかはあまり聞く機会がないもので、文化祭という地域の人々を受け入れる場では吹奏楽部の演奏を目的にやってくる人すらいたそうだ。それゆえ、わざわざ広場なんかでやる必要はなく、場所を確保していればそこに人がやってくる。むしろ、じっくり鑑賞してもらうためには、広場よりも椅子などを置いていても邪魔にならない室内の方が適しているくらいだ。


「だけど、織戸先生は数年前に別の高校に赴任。その次の年から吹奏楽部の成績は下がり始めた」


「……い」


「今年の夏、3年生の引退がかかった大会では残念ながら───」


「うるっさい!!」


 俯いていたかと思った浅野原が突然叫び、僕は口を止める。上げられた顔には、涙が浮かんでいた。


「そうよ!今年はここ数年で最低の成績!全国どころか地区予選での入賞すらできなかった!何の結果も残せないまま、先輩たちは満足に涙すら流せないまま楽器を置いたの!」


 涙すら。その言葉は、高校で部活動に打ち込んでいない僕にも少しぐっとくる重さがあった。惜しくもない試合結果というのは悔やむことすらできない程に、ただただ虚しくなることもある。


 そう、目の前にいる浅野原という生徒もまた、そういう感情と向き合って今を必死に駆けている青春真っただ中の生徒。堪え切れずに零す涙で、化粧を落としてしまうくらいに情に厚い生徒。決して、僕の嫌いで苦手な人なんかじゃない。あいつらとは違う。


「なるほど」


「なるほど?あんたにこんな気持ち、分かんないでしょ!」


 こちらを睨みながら言う浅野原。適当な相づちに腹が立つのは当然だ。だが───


「確かに、浅野原さんや吹部の先輩の悔しさや無念は分からない。だけど、それでも君が部のことを考えていることは伝わってる。だからこうして僕たちに怒りを向けたはずだ」


 適当にやろうなどとは端から思っていない。利用しようとも、煙に巻こうとも思っていない。お互いの交渉を通して最大限納得のいく、妥協のできる落としどころを探す。そのために僕が来たのだ。


「先輩方の意志を引き継ぎたい。過去の栄光をもう一度掴みたい。でも、そのためにはそもそも部員がいないと始まらない。だから文化祭で人目を引こうとしたんだ。やってくるであろう受験生たちの目にも留まってほしいと」


 今の吹部はかつてのように勝手に人が集まってくるほどの実力を備えていない。少し調べてみたら年々入部者は減少傾向にあるらしく、次の新入生の入部者確保は目下大きな課題。吹奏楽部のように人数が必要になる部は、そもそも人がいなければ存続すら危うくなる可能性があるからだ。だから広場という訪問者が必ず通る場所でのパフォーマンスを希望した。うちの高校を受験する中学生なんかは必ずやってくるから。だが、その目論見は人為的ミスによって台無しにされかけた。故に浅野原はこれだけ怒っているのだ。


「その願いを、広場でのパフォーマンスとは別の形で叶えたい。例えばコレ」


「……堅真面目に見えたけどいいんだ」


「時と場合で臨機応変にね」


 実際僕は真面目な側だと自負している。だが、過度な化粧や制服の着崩しをするような相手と話すにあたらってはやはり近しい態度の方が深層心理で受け入れやすい。スマホの使用は校則違反だと重々承知したうえでそれを取り出し、画面を浅野原に見せる。表示されているのは僕たちの高校のホームページだ。


「あんまり見たことないでしょ」


「まあ」


 当たり前だ。普通、高校生は自分の通う高校のホームページやら運営SNSなんか見ることはない。面白くもない近況報告があればまだマシで、事務方がサボっていれば更新すらされていないこともザラだ。だが、学内の学生にとっては大した価値のないものでも、新入生とその保護者にとっては重要な情報源。


「今年は学校運営のホームページ、SNSで文化祭の様子を掲載する。実施されていることのすべてを投稿することはできないけど、オープニングだけは確実に写真と動画が乗る」


 原則、ホームページもSNSも学校側が管理・運営する。だが、文化祭においては投稿前に教員のチェックこそ入るが、実行委員も投稿内容に手を加えることが可能だ。実際、実行委員は文化祭当日の見回りで適宜現場を撮影することにもなっている。


「学生は現地に来ても親御さんが来るとは限らない。でも、親御さんに関してはホームページの方はほぼ確実に閲覧し、目に入る。長期間保存されるから印象にも残りやすい。SNSの方も、そっちの工夫次第ではバズりってのも狙えるかも」


 実際に見ることの感動というのは確かにある。僕だって旅行に行った際の景色とかは写真を撮るのではなく目に焼き付けたいタイプだ。だが、それはそれとして話題性という観点でネットには圧倒的なものがある。そして浅野原がはじめとする吹部が欲しているのは話題性の方だ。


「広場でのパフォーマンスに制限がかかるのは申し訳ない。でもその分こういう方向でサポートさせてほしい」


 これがこちらから提示できる条件だ。


「これ、1日で考えてくれたの?」


 少し驚きを含んだ声で言う浅野原。その反応は決して悪いものではない。


「色々調べて、色んな人に頭を下げたよ。できるだけたくさんの人が快適に・楽しめるようにするのが実行委員の仕事だからね。それに」


「?」


「僕は結構、帰宅時に聞こえる吹部の演奏好きなんだよ。少し肩入れしてでも残したいくらいに」


「……はっ。世辞も言えるんじゃん」


「失礼だな、本心だよ」


 そう返すと、浅野原は小さく笑って言った。


「いいよ、その提案を呑む」


「ありが───」


「ただし!」


 指を立てられて遮られる。


「他の部員が了承したらね」


 ニカっと笑う浅野原。その笑顔は、確かに人がついて行きたくなる様なものだった。

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