第66話
例のクレームの件から一日。迅速な会議を経てこちらから提示できる条件をまとめた。あとはこれを科学部、吹奏楽部にそれぞれ伝え了承を貰うだけである。
「というわけで、伝達についてなんだけど世良町君は確定ね」
「なんで」
「だって発案者だし。それに、何かあっても上手い事対処できるでしょ、多分」
相生からそう言われ、僕は肩をすくめる。対処できるかはさておき、条件の大元の提案者としては確かに僕が赴く方が良いか。はあ、嫌だなあ。怖かったんだよなあのクレーマー達。
「もう1人は日暮さんにお願いしたいんだけど、どうかな?」
「うん、大丈夫だよ!」
お、一気に安心感が出てきた。ここまで頼りになる同行者はそういないぞ。内心胸をなでおろしていると……
「あ、じゃあ俺も行くっす」
「榎本君?」
がたっと椅子を引いて挙手する榎本に相生が反応すると、榎本は説明を始めた。
「科学部と吹部、別れて行った方が早く終わるっしょ。先公も最終決定は早く教えて欲しいって言ってたし?」
一理ある、が……僕、あんまお前に安心要素持ってないんだよなぁ。いや、仕事ぶりは割とまとも寄りだけど。一応こっちがやらかした側なので軽い雰囲気の人が交渉に行くのは適してないと思うんだが。
おそらく相生も同様の考えなんだろう、少し思案しているところに榎本はさらに続ける。
「俺と日暮さんが科学部で、なるなるが吹部でどうっすか」
「え、僕1人なの」
いきなりの2-1の振り分け、しかも当然のように1側に振り分けられたことに思わずぼやくも、榎本はけらけらと笑いながら言った。
「大丈夫っすよ、どうとでもなるなる!くくっ」
いちいち腹立つなこいつ……ダジャレ組み込んでくるなよ。あとそのあだ名やめろ。防犯ブザーの商品名か?鳴らないけど泣くんだぞこっちは。
「つーわけで善は急げってことで!ほら、日暮さん行くっす」
「え?わわっ」
こちらの返答を待つことなく榎本は椛の手をとって意気揚々と視聴覚室から出て行く。去り際に残念そうにこちらを振り向く椛の顔を最後に、教室内には打って変わって静けさが戻った。
「はぁ……1人で大丈夫そ?世良町君」
「まぁ───」
椛が消えてしまったのは痛いが、多分どうにかなるだろうと校庭の返事を返そうとするも、その声を凛とした声が遮った。
「私が付き添います」
「三橋?」
手を挙げる三橋に対して相生が言う。
「三橋さんは他の仕事も多いし、やめておいた方が」
「時間もそんなにかからないでしょう。ずっと籠っていては息も詰まります」
淡々と告げる少し素直じゃない同級生に僕は口元を緩めながら言った。
「ありがとう、正直助かるよ」
「いえ」
「そっか、それじゃあそう言うことで!各自今日も仕事頑張っていきましょう、解散~」
相生の言葉でミーティングは終わり、各々今日の業務に向けて動き始めるのだった。
場所は変わって特別棟3階、音楽室前。吹奏楽部の根城であるここは放課後、練習中の音楽が外に漏れだし、帰宅する学生の耳に届くこともあるのだとか。
隣に立つ三橋と軽く目配せしてから、コンコンと扉をノックし戸を開く。ノックの音は聞こえていなかったのだろう、ドアが開くと同時に中の演奏が止み音楽室内の吹奏楽部の面々がこちらに視線を向けた。
「練習中のところ失礼します、文化祭実行委員会です」
「お、昨日の今日なんて早いじゃん」
見覚えのあるギャル系女子生徒がそう言いつつ、持っていたクラリネットを置いて椅子から立ち上がった。他のメンバーに「少し休憩ー」と告げてからこちらへ歩み寄ってくる。見た目の割にしっかり部長をやっているらしい。
「で?」
もっともその余裕あるリーダーシップやカリスマ性を僕たちには向けてくれることはなく、ガラの悪い絡みのような第一声を放たれた。
濃い目の化粧。染められた髪。スカートは折りたたまれ、上着もボタンを留めていないなど、制服の着こなしも規定を満たしているとは言えない。それでいて、キッと鋭い目つきで見下ろしてくる顔。
その有り様が、僕は───怖かった。
おかしい。いろいろ考えていた。ロジックの組み立て、会話の流れ、想定される返し……その全てが、いきなり水でもぶちまけられたかのように頭の中から跡形もなく消え去っている。
それはまるで本能的な恐怖のごとく。時間も経ち、とっくに消え去ったと思っていたそれが急に喉元を締め付ける。冷たい。怖い。背中を嫌な汗が伝う。
「あ、えと……」
言葉が、出てこない。呼吸が微かに乱れている。
───その時、視界に少女の背中が映った。
「結論から言いますと、科学部と1日で展示交代ということにしていただきたいです」
僕の異常を察知したのか、まるで庇うかの様に僕より半歩だけ前に歩み出た三橋。その三橋の動きに合わせて吹部部長の視線も誘導される。
僕よりも小柄な三橋に、さらに高い位置から声が降る。
「は?」
低く、重い声。じっとりと込められた感情がある空気の揺れ。明確な敵意がそこにある。
「オッケーしたのはそっちじゃん。何でうちらが譲んないといけないの?」
「確かにその通りです。こちらがミスしたことは申し訳ないと思ってます。ですが、これが精一杯の対応です。それに───」
「は、きも。マジ意味わかんないんだけど」
三橋の言葉を遮るように大きくため息をついてから、頭をガシガシと乱暴に掻く吹部部長は続ける。
「こっちは2日取れる前提でパートの割り振りと練習してんの。今更言われたって無理なんですけど。それともなに、うちらの練習なかったことにしろっての?勝手すぎんでしょ、マジ萎えるわ」
「申し訳ないです」
「だーかーらー!謝って済む問題じゃないっしょ?どうすんのって聞いてんの?日本語分かる?」
きつい物言い。だが、三橋はそれでも一歩も引かない。僕と共に立つこの少女は仕事に熱心で、バカが付くほどに真面目で、損な役回りの多い人だ。苦労人だ。今もまさに、隣にいる男子がロクに言葉も発せないせいで、本来やるはずじゃなかった仕事をやる羽目になっている。
見えもしない自分の背中がとても小さく、頼りなく見える様な。あまりにも情けない姿。
───僕は、何をしに来たんだっけ。
「ねぇ、あんた聞いてんの?」
「……」
「そこの男子!あんたに言ってんだけど?」
部長さんの少し張った声と突然視界に現れたギャル顔に思わず一歩後ずさる。同時に背中に伝わる手の感触。慌てて振り返れば今しがた来たのであろう、吹部らしき女子生徒がいた。
「す、すいません」
入り口で立っていたのが邪魔だったらしい。一歩横にずれると、その女子生徒は怪訝な目で僕を一瞥したのち、なにも言わずに室内へと入ってきた。
「あんたさ、何しに来たのか知んないけど棒立ちされると目障りなんだけど」
「……すいません」
「あー、もういいって。とりあえず謝っときゃいいんでしょ、っていうのウザイから」
吐き捨てるように言われ、僕は押し黙った。
確かに、こんなことならいない方がマシだ。僕が部長さんの立場だとして、自分に用があって来たはずの人間が、ずっと俯いていたら邪魔にしか思わない。
ここは三橋に任せて退出しようか。
「おっしゃる通りです。少し失礼します」
そんなことを考えている折に、突如横から声が聞こえる。そして、それとほぼ同時に……耳に痛みが走った。グイっと耳が下に引っ張られ、視界も併せて下降する。
「いっ!?」
痛みに見開いた目を横に向ければ、一切表情を変えることなく、こちらを向くこともなく。手だけこちらに伸ばしている三橋がいた。




