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第63話

 教室の隅。開けられた窓から吹き込む風にカーテンが優しく揺れた。


「あっ……えへへ、なんだかドレスみたいだね」


 少女の体にそっとかけられるようにレースカーテンが覆い被さる。照れくさそうに笑う少女の頬を染めているのは感情か、あるいは夕日か。


「ねぇ、小さいころにした約束覚えてる?」


「……ああ」


 少女を前にした男子生徒は視線を逸らしながら、小さく応える。彼の記憶の中に、その約束の光景が今まさにありありと思い浮かんでいるのだ。


「じゃあさ、証明して」


 そう言うと少女は視界を確保していた手を下げ、レースの奥にその表情を隠す。瞳を閉じ、穏やかな息遣いで少女は少年を待った。


 少年は震える手でレースカーテンに手をかけ、割れ物でも扱うかのようにゆっくりとめくる。そこに現れたのは化粧を覚え、あどけなさを残しながらも目鼻立ちがくっきりし、女性としてより一層魅力的に成長した幼馴染の端正な顔立ち。緊張のつばを飲み込む。幼少期の自分はこの先、どうしたのだったか。今の自分は、どうするべきか。


 その答えはきっと、1つしかないのだと。少年は勇気を振り絞り顔を近づけていった───


「はい、カットぉ!」


 響き渡るその声にロマンチックな雰囲気は霧散し、向かい合っていた男女は同じ極同士を近づけた磁石のように離れた。


「染谷さんすっごい!演技上手!」


「そ、そんなことないよ」


 1人は僕も良く知る少女、染谷加奈。周囲からの賞賛に困ったような笑みを浮かべている様子は、先ほどまでと同一人物とは思えない。


「お前、大丈夫か」


「顔真っ赤じゃねーか!」


「う、うるせえ!……仕方ねえだろ」


 もう1人、真っ赤に染めた顔は夕日のせいではなさそうなクラスの同級生男子。10年に1人の逸材と呼ばれる少女の顔(それでも抑えている)を目の当たりにしたのを気の毒と言うべきか、幸福と言うべきか。彼らは今回の文化祭展示、創作映画における主人公とメインヒロインに抜擢された生徒たちで、今はまさに読み合わせの真っ最中。このように現在、僕達のクラスにおける展示の進捗状況は概ね良好と言える。


 脚本を担当してくれたのはクラスの文芸部所属の生徒。文化部である文芸部はクラス展示だけでなく自分たちの部活展示準備もあるのに忙しいだろうと思ったのだが、ある交換条件を呑んでくれるなら引き受けても良いとのことだった。その条件こそ、メインヒロインに染谷を据えることである。「染谷さんがヒロインなら書きたい!書かせて!絶対良いのにするから、ぐへへ……」と涎垂らしそうな顔で言っていたことはよく覚えている。


「染谷さんがここまで演技力が高いとは知りませんでした」


「クラス中みんなそうだろ」


 隣で呟く三橋に同意する。例えるなら、演技が始まると世界を撮影しているカメラが染谷にピントを合わせたかのよう、とでも言おうか。染谷を中心に世界が広がっているかのような、それほどに引き込まれるのだ。染谷が現役アイドル「相園まな」だと知る僕ですら演技力がこのレベルだとは想像もつかなかったのだから、1学期の校内の染谷しか知らない人間はそれこそ度肝を抜かれたことだろう。流石にドラマなどに多数出演しているだけはある、などと凡庸な表現しかできない。


 そんなことを考えていると三橋が続けた。


「みんな、ではないのでは?」


 三橋の言葉を受け、僕たちは教室のカメラ横で鼻息を荒くし、台本にがりがりとペンを走らせる少女に目を向ける。この少女こそ脚本担当の生徒で、今まさに染谷の演技を目の当たりし感涙にむせんでいる。染谷の卓越した変装能力や演技力を思うと、染谷の演技力まで見抜いた上でメイヒロインを打診したと言うより、単に夏休み明けの染谷のビジュアルが刺さったのではないかと思うが……あるいは文芸部という物書きの本能が反応するところがあったか。まあ、この際何でもいいだろう。結果から見ればベストな配置になったわけだし。


「世良町君もどうやって染谷さんを説得なさったんですか?」


「え?」


 僕の記憶は文化祭のクラス展示が決定した日まで遡る。




『わ、私が!?で、できないよ!無理だって!』


『どうしてもダメですか』


『荷が重いよ。それに、ら、ラブコメなんて私には……』


 三橋が頭を下げても当初は拒否反応を示していた染谷。しかし、本を読まない、文を書かない、映画も見ない、そんな人材にまともな台本作成、特に受賞を狙えるような作品作成が務まるわけもなく、三橋としても簡単に引くわけには行かなかった。展示準備の円滑な進行のためには文芸部の生徒が頼みの綱だったのだ。


 説得材料を探し考え込む三橋を一旦置いておき、僕はそっと染谷に小声で話しかけた。


『なあ、染谷』


『なに?世良町君』


『確かに負担が大きいと思うけど、ここはひとつ僕たちを助けると思って引き受けてくれないか?特に三橋、実行委員の方の負担が異常で』


『そうなんだ……でも、うーん』


 心優しい染谷のこと、気の毒そうな表情で三橋を一瞥するがおいそれと受け入れるわけにもいかない様子。染谷のこれまでの学生生活を鑑みれば負担の大きな役目であることは間違いない。ならば、こちらもただお願いするだけでは筋が通らないだろう。


『僕に貸し1つってことでどうだ?』


『え、貸し?』


 目をぱちくりさせた後、染谷はずいっと顔を寄せてきた。息遣いすら感じられるほどの距離間で、染谷は恐る恐るといった様子で続ける。


『それって、世良町君が私の言うことを何でも聞いてくれるってことでいいの、かな』


 くすぐったくなるので染谷に「ちょっと近い」と告げると染谷は顔を紅くして距離を取る。相変わらず人との距離の取り方は不慣れな様子に、僕は小さく笑いながら答えた。


『何でもは言いすぎだが、常識的範囲かつ僕にできることなら。100万円欲しいとかは無理だぞ?』


『し、しないよそんなお願い!でも、そっか』


 現役超売れっ子アイドル相園まなが望むものを僕なんかが用意できるわけないか、と冗談を続けるつもりだったのだが、意外にも染谷は長く、何十秒と「うーん、う~~~ん」と思案してくれ、そしてついには小さく息を吐いた。


『私で良かったら』


 


 記憶を振り返った後、世良町は一言だけ述べた。


「強いて言えば誠意が通じたのかな」


「……私も誠心誠意お願いしたのですが、伝わらないものですね」


 表情こそ変わっていないが落ち込む様子を見せる三橋。世良町は別に三橋を責めてるわけじゃないんだが、と苦笑いした。


 そんなことをしていると、教室の戸がゆっくりと開く。ひょこっと顔を出したのは日暮椛だ。


「あ、2人とも!今良いかな?」


「椛、どうしたんだ」


 世良町が椛、と呼んだ瞬間、教室内の生徒の1人が視線をそちらに向ける。だが、その仕草に気が付く者は殆どおらず、入り口付近で会話する3名も同様だった。


「相生ちゃんがヘルプって!文化部の教室確保申請でちょっと手間取ってるらしいの」


「はぁぁぁぁ」


「露骨なため息」


 盛大にため息をついた三橋は呆れ交じりに言う。


「パソコンに打ち込めばすぐでしょう、そんなもの」


「それが、担当の子がタイプライター?を持ち込んでて」


「バカなんですか?」


「なんかずっと、カチャカチャチーン、カチャカチャチーンって音が鳴ってて作業に集中できないって職員室からクレームが」


「場所そこなんですか!?」


「くっ……!ふふっ」


「笑ってる場合ですか!」


 その場面を想像したのか笑いをこらえきれずに噴き出している世良町と、それを窘める三橋。そのわちゃわちゃとしたやり取りは、とても仲睦まじく見える。だが、同じように賞賛と級友たちに囲まれて明るいはずの少女は、その様子に何とも言えない目を向けていた。


 とある文芸部員はその時の少女を後にこう表現した。「まるで、1人舞踏会に行けず屋敷の掃除を命じられた灰被りのようだった」と。

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