第62話
三橋という生徒ほど優等生という言葉が似合う生徒もなかなかいない、それが僕の認識だ。学業成績は非常に優秀、生活態度も他の生徒の模範となるようにきっちりしており、教師からの評価も高い。
そんな彼女がまるで世界の終わりを見たかの様な虚ろな表情で机に突っ伏しているこの光景は中々にレアと言えるだろう。写真に収めようものなら一部のコアなファンに売れるかもしれない。
「お写真宜しいですかね?」
「あなたまでボケに回らないでくれますか」
擦れるような声でそう言う三橋。これは相当参ってるな、可哀そうに。
「私はただ、平凡で平穏な生活を望んでいたんです」
「ほう」
平穏を求めるのは良いことだ。僕の知り合いの「奴」は「平穏なんてとんでもない!もっと刺激的な日々こそ私の欲するものだよ!」とか言いそうだが、そんな毎日では疲れてしまう。メリハリつけてこっ、とか多分どっかの企業CMでも言ってる。
「それが実行委員になってからというもの、心休まる日々など一日もない。仕事は片付くどころか増える一方。私、今年は厄年ではなかったと思うんですが」
その発言に三橋の主戦場たる視聴覚室を改めて見渡す。
大声で笑う実行委員長。そしてその光景を左右に揺れながら眺める例のメジェド。彼らの対角線ではぷちミュージカルが開催中。地獄かな?
「ちょっと外の空気吸いにでも出たらどうだ」
そう提案してみると三橋は目の前の書類の束に目をやり数秒思案してから答えた。
「そうですね、そうしましょうか」
気だるげに椅子から立ち上がった三橋は室内に見向きもせず、おぼつかない足取りで視聴覚室を出て行く。僕はそれに付き添うことにした。
「暇なんですか」
「僕の今日の仕事は終わってるし。というか、あの場に1人残りたくない」
「それはそうですよね」
時刻は既に18時を回っている。まだ9月なので外は明るいが、文化祭の準備の間に日の入りが早くなっていくことを如実に感じられそうだ。
「今日はアリスでの打ち合わせでしたよね。どうでした?」
「順調だったよ。店長さんは個性爆発してたけど」
まあ、独特な相手ではあったが、疲労度は三橋程ではない。そもそも水津店長は僕たちに害を与えなかったし、なんなら仕事の話の間はずっと真面目モードだった。椛も一緒だったし、糖分も補給済。正直、当たりの仕事だっただろう。アリスとの打ち合わせはそう頻繁にあるわけではないのが少々残念だ。
「日暮さんはどうしたんですか?」
「自分のクラス展示準備に行ったよ」
「そうですか、立派ですね。私もできる限り顔を出したいのですが、まさかここまで忙しいとは」
先日、各クラスの展示希望調査を集計し内容が決定された。僕達のクラス展示はくじ引きの結果、創作映画に決定。既にクラスの方では台本作成に取り掛かっており、来週には初稿が行き渡る予定だ。
「クラスの方はあまり心配するな。進捗は僕もちょくちょく確認しとく」
「助かります」
そんな話をしながら歩くこと少し。校内の自販機前に差し掛かり、僕は足を止めた。
「何か飲まないか?奢るぞ」
「いえ、施しは受けません」
三橋はそう言うと財布を取り出し、自販機でブラックコーヒーを1つ購入する。疲れてるならもっと甘いのにすればいいのに、などと思ったが死んだ目が一瞬、缶の温かみで緩むのを見ると指摘するのも野暮に思えてしまった。
「世良町君、アルバイトなどはしてるんですか?」
「いや。うちの学校禁止だろ」
「そうですよね。つまり、あなたのお金はただのお小遣い。自分が稼いだものではないんです。それにも関わらず軽々しく『奢る』などと言うべきではありませんよ」
そう言うと三橋はすぐにはっとしたように手元の缶から視線をあげ、バツの悪そうな顔をした。
「すみません、決して世良町君の気遣いが迷惑だと言ってるわけではありません」
お金周りは確かにデリケートな話で、家庭環境や教育で認識が大きく変わる。多分だが、三橋のこの真面目な性格から察するに親も厳しく子育てしてきたんじゃないだろうか。僕も親からは「お金の貸し借りはどんなに親しい相手でも絶対するな。それでも貸すなら、返ってこなくても大丈夫な金額にしなさい」と言われたことがある。
「いや、気にしてないよ。確かに一理ある」
僕は軽く笑いながらそう返し、同じ自販機でシンプルお茶を購入。さっき甘いのもコーヒーも堪能したが故のセレクトである。余談だが、僕は冬場になるとペットボトルの蓋がオレンジになるのが何気に好きである。
互いに飲み物を購入した後、僕たちはそのまま3階の渡り廊下に出る。本校舎と特別棟をつなぐこの通路は屋根がなく非常に風通しが良い。天気が良ければちょっとした気分転換にもってこいだ。
「お疲れ」
「そちらも」
互いに缶とペットボトルを軽く掲げてそれぞれ口をつける。夜を纏いだす風と飲料の温もりのコントラストに、隣でほっと息を吐きだす三橋の姿があった。
「実行委員就任から約1週間。なかなかハードだな」
「ええ」
「まさか自分がこんなことする羽目になるとは思わなんだ」
天を仰ぎながらそう零す。例えば生徒会、例えばこういう実行委員。学生の間しかできない貴重な経験であるというのは理解できる。だが、それに心から納得できるのはきっとずっと後になって、過去を振り返るほどの余裕が生まれてからだ。今の段階では正直「めんどくさい」という思いがどうしてもある。
ただクラスでお祭りの準備をするのとはわけが違う。ここに伴う責任、重圧というのは少々酷だ。そしてひどいことに、真面目な子ほどそれを抱え込んでしまう傾向がある。周囲の状況によってはよりいっそうに。三橋はまさにその典型的タイプで、既に疲労感満載なのがその証拠だ。
「これで給料でないんですよ?とんだブラックです」
真顔でそんなことを、まして三橋の口から聞くものだから思わず軽く吹き出してしまう。
「なにが可笑しいんですか」
「いや、別に」
そんな真面目っ子イメージが先行しがちなこの少女だが、話してみると意外や意外、面白い。委員会初日もなかなかキレのあるツッコミと反応していたし。疲れているから少しタガが外れているというのもあるかもしれないが、たいていの人はちょっと話してすぐ距離を取ってしまうからこういう面に気づきすらしないんだろう。
「これから書類関係はさらに増えるだろうし、適度にこうやって息抜きしにこよう」
「良いと思いますよ。ただ、そのままサボったりしないように」
「いや何言ってんの三橋。一緒に休むんだよ」
「……私もですか?」
理解できないと言った表情をする三橋。この子は何で僕が一緒に出てきたのか分かっていないらしい。君が一人だと休もうとしないから、わざわざ付き添って出てきたというのに。
「愚痴言う相手とか欲しいでしょ?少なくとも僕は欲しい」
「休んでる時に愚痴なんて聞きたくないんですが。疲れます。あと、休むにしても自分のペースで休みたいです」
そういうとこですよ三橋さんや。言ってることは至極まともで分かるんだけどね?なんなら僕も近しい意見なんだけどね。というかよくよく考えれば、人にコミュニケーションどうこう言えるほどできた人間でもないな、僕。
なんか自分で考えてて悲しくなってきたので、感情と言葉を手元のお茶と共にグイっと飲み干した。少しぬるかった。




