第61話
実行委員就任後のとある放課後。僕は椛と並んで校外に出ていた。別にデートとかではなく、れっきとした実行委員の仕事である。
「ふんふんふふ~ん」
「嬉しそうだな」
「うんっ!私、アリスのケーキすっごく好きなんだ!」
目的地は洋菓子店アリス。今回、うちの学校の文化祭に合わせて景品となるケーキの提供を行ってくれるお店だ。僕と椛はケーキの提供スケジュールなどの打ち合わせを担当することになり、こうして赴いているわけである。
「匠君は?ケーキとか好き?」
「好きだぞ。甘いものはストレス緩和に効果的だ」
「あはは、分かる!テスト期間とかつい食べすぎちゃうんだよね」
学生のストレス三要素のうち一つか。確かに頭を酷使する状況に加えプレッシャーもかかってくるとなると糖分は欲しくなる。ちなみに残りの2つは人間関係、そして進路だ(僕調べ)。
「妹はアリスだとモンブランがお気に入りらしい。店の近くを通ったらありそうかどうかチェックしてくれって言われてる」
そう言うと、椛は一瞬驚いたような顔をして少し考えこむような様子を見せる。それからおそるおそるといった風に口を開いた。
「ね、匠くん。もしかしてなんだけど、妹さんの名前って由愛だったりする?」
椛の口から妹の名前が出たことに驚く。
「そうだが、妹のこと言ったことあったか?」
「あ、えっとね、夏のボランティアの時に中学生の子とお話ししたんだ。その時の子の1人が世良町って苗字で」
今、匠君から妹がいるって聞いてもしかしてと思ったんだと椛は続けた。そういえば、僕は家族以外で世良町という苗字の人に会ったことがない。これまで意識していなかったが意外とレアな苗字なのかもしれない。
夏の記憶を掘り起こしてみると、確かに由愛が誰かと話したとか何とか言ってて、特徴から僕が名前を当てるというくだりがあったような気がする。当時の会話を景色と共に思い出すうちに、ふと由愛の一言が脳内で再生された。
『おっぱいもおっきかったよ?』
「ぶふっ」
「ど、どうしたの!?」
刹那、盛大に噴き出しせき込む僕を慌てて覗き込む椛。それに合わせて制服越しでもきつく主張する胸元が目に入ってしまい、釘付けになりそうなのを気合で跳ねのけ顔をそむける。
「いや、ほんと何でもない……ほんと、すみませんごめんなさい」
尻すぼみになる謝罪の言葉。ほんとごめん椛。日ごろからお世話になっている君に、男の性とはいえ一瞬でも邪な感情を抱いた僕をどうか許してくれ。
「え、ええ?なんで謝るの?」
女の子はそう言う視線に敏感だと聞く。椛ほどのルックスと人当たりの良さを考えればそういう視線をこれまで幾度となく向けられてきたことだろう。僕は、そういう不快な大多数に属したくない。たとえそれが盗み見したくなるほど魅力的であってもだ。
「気にしないでくれ。それより、今言われて思い出したんだが、確かに由愛が椛のこと話してた。今度の文化祭も来るだろうし、機会があったらちゃんと紹介させてくれ」
「いいの?ありがとう、楽しみだよ!」
そんな話をしながら歩くこと少し。僕達は目的の場所へとたどり着いた。
赤レンガ造りの外観と綺麗にされた庭はどこか童話の世界を彷彿とさせる。庭の中に置かれたパラソルの下の日陰、テーブルでお茶を楽しむお客さんが数名。僕と椛は「楽しそうだね」なんて言いながら庭に敷かれた飛び石の上を歩き、店の入り口へと進む。「洋菓子店アリス」は今日も絶賛営業中だ。
カランカラン、とドアベルが響く。焼き菓子の甘い匂いがふわりと鼻孔をくすぐり、オルゴール調の穏やかなBGMが鼓膜を揺らす。木材チックな内装と相まって、醸し出される隠れ家的雰囲気に子ども心がくすぐられた。
「いらっしゃいませ」
ショーケースの向こうから一礼する店員さんに学校名を告げ、文化祭の件で来たことを伝えると店員さんは一度奥の方へと引っ込む。担当の人を呼んできてくれるようだ。
「あー、ケーキ見てると食べたくなっちゃう」
店員さんが戻ってくるまで膝に手を置きショーケースの中を眺める椛。子どもの様にキラキラと目を輝かせるその姿にくすっと笑いながら言った。
「このまま帰っていいなら買ってくんだけど、学校戻らないといけないからな」
「こんなの生殺しだよぉ」
頬を膨らませる椛だが、僕も表に出さないだけで気持ちはよく分かる。デパートで時間つぶしにぶらっと服屋や雑貨屋に入るのと、ケーキ屋に入るのとは違う。ケーキ屋に入店するときは買わないという選択肢は基本ないのではなかろうか。幼少期、母親は目的のケーキが品切れでも「じゃあ代わりに」と別のを買っていた記憶がある。まあ、子どもを連れて入った以上何も買わないというのが、子どもにも店にも悪いと思ったという気遣いの面もあるかもしれないが。
そのまま2人で宝石のように輝くケーキたちを眺めながら雑談に興じていると声が掛けられる。
「おまたせしました、こんにちは」
その声に顔を上げると……筋肉もりもりの屈強な男の人が立っていた。いやなんか声が野太いなとは思ったが、まさかこの人じゃないよな店長さん。
「店長の水津です」
店長だったわ。キャラ濃いな~。この店自体は何度か来てるけど、店長さんの顔見たの初めてか。第一印象はお髭がダンディ。あと筋肉。そして筋肉。僕を背負ってくれた丸山先生でも相手にならなそうな見た目だ。
内心動揺している僕に対し、ちらりと横目で見た椛は一切動じることなく差し出された名刺を受け取っている。すげえ、流石のコミュ力です、椛パイセン。
「日暮です。今日はお忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございます」
「せ、世良町です。よろしくお願いします」
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞこちらへ、座ってお話ししましょう」
水津さんは渋い声でそう言って店内の奥にあるテーブルに案内してくれる。その際、太い腕が周囲の物に当たらないかヒヤヒヤしながら眺めていたのだが、流石に店の主。ベストフィットなサイズで通過していくものだから何度か「おお」と感嘆の声を漏らすほど。4人掛けのテーブルに僕と椛は並んで、水津さんは対面に座ってさっそく打ち合わせを始めた。……同じ椅子なのにサイズ小さく見えるな、水津さんの分。
文化祭展示の優勝賞品である特製ケーキはクラス1つ分が必要。人数にして40名分を文化祭当日に用意してもらう。誕生日ケーキでさえ予約必須なので、大人数分ともなればその分入念なすり合わせが求められる。
「こちら、ケーキの号数と人数の対応表になります」
「この感じだと……8号サイズで4つかな?どう思う世良町君?」
アリスで提供しているケーキで最大サイズの8号は直径24cm、目安人数として10~12人と表にはある。1つ下の7号サイズでは直径21cm、8~10人が目安とのことらしい。
「担任の先生の分もいるだろうし、それでいいと思う」
このように打ち合わせは椛のコミュニケーション能力の高さもあって滞りなく進んでいった。
「大体煮詰まりましたかね」
「はい、ありがとうございます」
「いえいえ。では、お二人ともお飲み物でもいかがですか?」
「そこまで気を遣っていただかなくても」
僕はそう言って断ろうとするが、水津さんはにこっと笑って言った。
「まあまあ、私が振舞いたいだけですから。お仕事の話が終わったなら、少し雑談でもしませんか?」
水津さんが身を乗り出してきてそう言うものだから、僕と椛はその勢いに押され、お言葉に甘えることにした。しばらくすると僕の頼んだコーヒーと椛の頼んだ紅茶、そしてケーキまでも運ばれてくる。予想だにしない甘味の登場に「流石にケーキは」と僕も椛も最初は断りの意志を見せたのだが、水津さんが「もう皿に乗っけちゃったから食べなさいな」と押してくるものだから、ありがたく頂戴することにした。
ちなみに出されたのはショートケーキなのだが……めっちゃ美味い。口当たりの良いスポンジと、それを包む滑らかで口の中で溶ける様なクリーム。しっとり触感の中、瑞々しいイチゴが大きめのカットということもありしっかり主張を絶やさない。コーヒーの苦みと生み出されるマリアージュ。フォークが進む進む。
「美味しそうに食べてくれて嬉しいわぁ。世良町君、だったわね。本当はあなたの好きなモンブランを出したかったんだけど、午前で品切れなのよ~ごめんなさいね」
その発言に僕はコーヒーを飲む手を止めて反応した。
「ご存じなんですか?私、店内で水津さんをお見かけしたことなかったと記憶してるんですが」
「だって、私が出たらお客さん逃げちゃうし……」
なんかすみません。
いやまあ、裏からこの人出てきたらパティシエじゃなくて用心棒かと思うだろうけど。……ケーキ屋の用心棒ってなんだよ。
しょんぼりする水津さんになんて声をかけようかと思っていると、水津さんはこぶしを握って立ち上がった。やっぱ立つとデカいなこの人。厨房で肘とかぶつけてそう。
「でも、ええ!私はめげない、しょげない、挫けない!いつか直接、たっくさんのお客さんから直接、美味しいって言葉を頂くんだから!」
熱く語る水津さんに、僕と椛は一瞬顔を見合わせてから言った。
「美味しいです!」
「はい、妹もいつも嬉しそうに食べてます」
すると、水津さんは「ぶわっ」という効果音が付きそうな泣き方をした。
「あらあらあら!もぉーう!嬉しくなっちゃう!サービスしちゃうわ!」
「いえ!もう十分ですから!」
椛が慌てて止める。なんか暴走しがちだなこの人。
「じゃあせめてお二人の好きなケーキの数増やそうかしら。世良町君なんか、モンブランありますかって尋ねてなかったときの落ち込み様に胸を痛めるのよぉ……あ、でもでも、買うことができた時の嬉しそうな顔は堪らないわ!」
頬に手を当てうっとりしながら言う筋肉もりもり水津さん。由愛ごめん。今後、僕はこの店に来れないかもしれない。店長怖いわ。悪い人じゃないのは凄い分かるんだけど、怖いわ。
いや、文化祭の仕事の都合上来ないって選択肢なかったわ。なにこれ詰みか?それとも僕に罪があるのか?
「そうなんだ……私もお菓子あげたら喜んでくれるかな」
「え?ごめん、なんて?」
「ううん、何でもないの!」
椛が何か言った気がしたのだが、水津さんのインパクトが強すぎて拾い損ねた。視界占有率が高いし脳のキャパまでとってくるのやめてくんない?
しかしその後も水津さんのマシンガントークは留まることを知らず。
「あ、そうなの~?あの料理研究部まだ続いてるんだ~。ここだけの話、あの部の創設者私なのよ~」
「え、そうだったんですか!?」
話の中で水津さんは僕たちと同じ高校出身らしいことを知った。今回、文化祭のケーキ提供を受けてくれた理由でもあるらしい。
「そうよ~。それで色々お菓子とか作って、当時の同級生の胃袋掴んだのよぉ。今は私のコ、レ」
そう言って薬指を見せてくる水津さん。パティシエだからか作業中は指輪をしていないようだが、その意味を理解できない程僕達も子どもではない。
ところで、そろそろその口調ツッコんでもいいですかね?なんか態度砕けたと思ったら口調も砕けてるのよ、メレンゲか?この人と結婚したお相手も絶対変わり者だろ、いい人なんだろうけど。
「店長~そろそろお二人を解放してあげてください!いい時間ですよ!」
奥の方からそんな店員さんの声が聞こえる。
「え?あら、もう!ごめんなさいね、つい話し込んじゃったわ」
「こちらこそ、お話楽しかったです!」
「ケーキごちそうさまでした」
ありがとう店員さん。心の中で店員へも感謝を述べながら僕たちは店を後にした。
所要時間の比率、文化祭関係の話の倍の時間雑談してたような……気のせいだ。うん。
「ねぇ、匠君」
「ん?」
「店長さんの手、見た?」
「ああ」
薬指を見せてくれた時、店長さんの手元が良く見えた。手首や指先のあちこちに、傷や痣、やけど跡のようなものがいくつも。治りかけの物からついて間もないんだろうなというものまで。
「店長さんの奥さん、あの手に惹かれたのかな」
「……そうかもな」
お世辞にも綺麗とは言えない手だった。だが、それを見てそのような感想が述べるこの少女が……日暮椛が多くの人から好かれるわけだと改めて実感した。




