第59話
教室に入る勇気はまだなかった僕は、三橋が返ってくるまで椛と会話に興じることにした。
「推薦ねぇ」
噛み締めるように僕はその言葉を繰り返す。椛にかなり、かなーり「実行委員はやめとけ、というか僕と一緒に降りよう」と言ったのだが椛は首を縦に振らなかった。その理由は実行委員の残り1枠に関して、椛がクラスのみんなからぜひ、と推されたかららしい。誰も一緒にやりたがらず、結果くじ引きになった三橋とはまさに正反対と言って良い。それは椛の人望の高さの表れでもあるが、悪い言い方をすれば仕事を押し付けられたとも言える。だが、そんなことを口が裂けても言わない。椛のクラスメイトの考えは知らないが、僕はこの日暮椛という生徒がそんなこと、微塵も思わない性格だと捉えているからである。
「うん、だからみんなの期待に応えないと」
ほら、このようなことを言うのだ。仕事に前向きな姿勢を見せる人にとって、それを悪く言うことは決して褒められたことではない。周囲のことを考える……いや、周囲を想って行動できる椛は、本当に素敵な性格だ。
「そっか。じゃあ健闘を祈るよ。相生さん、やっぱり僕は───」
ネガティブ思考の僕はお呼びではないだろう。振り返って詐欺紛いの契約をクーリングオフするべく相生さんに声をかけようとする。しかし、書類に伸ばそうと思った僕の手は微かな抵抗を伴ってその場に残っていた。
視線を落とす。僕の制服の袖に、白くしなやかな指先が小さな皴を作っていた。
「その……匠君も一緒だと心強いなぁって。ダメかな?」
澄んだ瞳の上目遣い。そのように頼まれてしまって「嫌です」と言うにはなかなか勇気がいる。あーくそ、椛もやめるって言ってくれれば僕も実行委員降りやすかったのに。
「あらあらぁ」
そんな声を漏らした相生さん……もう「さん」いらんなこいつ。相生はニマニマしながら続けた。
「書類、いります?」
「……いらん」
そう言うと、椛は分かりやすくぱあっと顔を輝かせた。
どういうわけか、僕はここ最近、分不相応にも美少女とお話しする機会が多い。椛も無論その中の1人であるが、コロコロと変わる表情の可愛らしさはダントツだ。校内付き合いたい女子ランキングTOP10入りは伊達ではない(國代談)。
「いやぁ、良かった良かった。犠牲───まともな仲間は多い方がいいからね」
「おい今犠牲者って言いかけたろ」
誰だこいつ受付にしたやつ。……いや、今教室内にいる奴よりマシかもしれんが。
「しかし、まともって点はもちろん、組織としても経験者である椛がいた方が絶対助かるわな」
「経験者?」
なぜか首を傾げる椛に僕は軽く笑いながら言った。
「去年実行委員やってるだろ?椛、学級委員だったし」
「えっと、匠君勘違いしてないかな?私、実行委員をやるのは今年が初めてだよ」
「え?」
慌てて去年の記憶をたどる。おかしい、想起する映像では確かに椛がクラス展示でいろいろ指揮しているんだが。
「でも、去年クラスをまとめてくれてたじゃないか」
その光景を知ってるから椛を今回推薦した人もいたんだとばかり思ってた。
「それは学級委員として当然のことをしただけだよ。ほら、実行委員は他にいたでしょ」
椛は2名の名前を告げる。聞かされた名は確かに1年次のクラスメイトだが、実行委員って彼らだったのか?椛があんまり懸命に働いてくれていたから記憶が改竄されたのか。
これは何も実際の実行委員2人がサボっていたとかではなく、彼らと同等以上に椛が献身的に動いてくれていたってことだろう。話す間柄ということもあって印象が深いのもあるかもしれない。
「え、じゃあ待ってくれ。クラスから出す実行委員2名の内、1人は学級委員で固定って今年からなのか?」
相生にそう尋ねるが返答はなかった。
「こんにちは、どもども。あ、名前はこっちに」
どうも、話している間に他の実行委員も続々と集まってきたようで、相生は彼らの受付対応に追われている様子。しばらく話は出来そうにない。
受付を終えた生徒たちが順に教室内へと入っていく。ちらっと見えた教室は既に照明が点灯していることから、あのおままごとも一旦片付けたようだ。流石に人の波には抗えなかったと見える。
「入らないの?」
「あー、ペアが戻ってきたら一緒に行くよ」
椛に入室を促されたが、最初のあの光景が瞼の裏に焼き付いて離れない僕は、一歩踏み出す勇気が持てないでいた。おかしい、なんで恐怖心なんか持ってるんだろう。
「そう?じゃあ後でね」
内心ガクブルな僕の心情など椛が知る由もなく、気が付けば僕は相生と2人だけになっていた。
「会議いつから?」
「あと10分ほどだね。そっち、相棒さん戻ってきてないけど」
確かに。時間には厳しい三橋のことだ、そろそろ戻ってきても良いと思うんだが。脳内三橋委員長が「10分前行動厳守です」と言ってた気もする。アラームかな?
「見捨てられたんじゃないの~?」
「んなわけ……ない、よな?」
「わー、思ったより深刻そうな顔してる」
そりゃあ、あの恐怖の場面を共に目撃したわけだし、逃げたくなる気持ちはわかる。実際僕が忘れ物と称してこの場を離れていた場合、そのまま帰宅していたかもと思うくらいだ。僕と違って責任感の強い三橋のことだから大丈夫だとは思うが。そう信じたいが。
そんな不安に苛まれていた時。
「まだ入ってなかったんですか?」
「三橋!僕は信じてたぞ!」
「さっきまで正反対な顔してたけど」
おい、黙ってればバレないんだから言うな相生。いやあ、しっかり戻ってきてくれて嬉しいぞ三橋。思わずハグしたくなるぜ。しないけど。
「遅かったな、もう会議始まるぞ」
「すみません、これを持っていくよう頼まれまして。どうぞ相生さん」
「あれ、これ今日の資料?ありがとう!」
三橋は相生に対して書類の束を渡す。どうも今日使う物らしい。
「忘れ物ってコレか?」
「いいえ、あれは彼と一緒にいたくなかった方便です。これは偶々職員室前で掴まって持たされました」
取り繕いもしないその物言いに苦笑いを浮かべるほかない。よほどあのキノコ少年のことが嫌いらしい。僕も苦手だし気持ちはよく分かる。
「あー、多分忘れてたんだろうなぁ。仕事増やしてごめんなさい」
三橋の答えに対し相生が申し訳なさそうに言う。聞けば、どうも他の子が取りに行く予定だったらしい。
「そいつ、あの幹部連中の中にいるとか言わないよな」
「幹部?」
「あー、いや。あの初期のやばい奴ら」
僕の漫画やアニメのイメージは伝わらなかったらしい。三橋もいまいちな顔をしているあたり、この2人はそっち方面の知識は疎いようだ。三橋に関しては「だろうね」って感じではあるが。
代わりにヤバい奴と言うと相生にも通じたようで数秒考えこむ。
「スゥ───」
「いや、なんか言えよ」
考え込むだけだった。
「ま、まあこれで今日の会議は無事……かは分かんないけど、とりあえず始められるね!」
「無事は保証してほしかったんだが」
「多分大丈夫だって!」
10分後───
「では、第1回文化祭実行委員会議を始めます。まずは委員長の挨拶です」
視聴覚室にて全員がロの字に並べられた席に座っている状態。ホワイトボードを背にした席にいる人物が、進行の相生の言葉を受けて立ち上がる。
「フハハハハハ!余こそはこの宴を主宰し、支配する者!」
彼は片手を天高く突き上げて続けた。
「諸君、我につき従え!そして感動的物語の幕開けをここに!」
あ~。
世良町匠、高校2年生。現在、絶望に打ちひしがれて白目です。




