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第56話

 チャイムが鳴り、2学期初日の昼休み。教室のあちこちで1学期と同様に人が集まり、「夏休みどうだった」などと話声が聞こえ始める。1学期と違うところがあるとすれば、例の転校生の一件でビクビクしていた生徒もいなくなり、どこか安心した本当の意味での「休み」の顔になっているところだろうか。


「世良町。飯にしようぜ」


「悪い。今日ちょっと用事あって一緒に食べれない」


「そうなのか?2学期早々忙しい奴だな」


 振り返って声をかけてきた國代に断りを入れてから、僕は席から立ち上がる。ちらりと教室の一角に目を向ければ、染谷と目が合った。すると染谷は椅子を引こうとするが、ほぼ同時に声をかけられた。


 当然染谷はその話者の方へと視線を向ける。クラスの2人の女子生徒。席に座った状態の染谷に対し、何やら喋ったかと思うと2人は深々と頭を下げた。その行為が、謝罪を意味するものだということは、言葉がここまで聞こえていなくとも容易に理解できた。


「随分気にかけてんだな」


 下から声がしたかと思うと、背もたれに身を預け國代が僕を見上げている。


「朝は否定してたけど、やっぱ友達以上の関係ではあるんだろ」


「うるせえ、汚ぇ面しやがって」


「飯食ってるだけなのにひどくね!?」


 口回りのご飯粒とってから言え。どれだけ腹減ってがっついてたらそうなるんだよお前。


 そもそも、心配なのは当然だろう。1学期の間はいじめに遭い、それでも辛抱強く耐えていたのが染谷だ。そして、いろいろ不器用だが優しいということも知っている。そんな染谷が夏以降、気持ちも装いも新たに頑張ろうと思っているのだから、多少なりとも関わった人間として心のどこかに常にとどめておくのは普通のことだ。


「それじゃ、ちょっと用事済ませてくる」


「あいよ、いってら」


 汚ぇと言われたのが堪えたのか口元を隠しながらそう言う國代に送り出され、僕は目的の第二校舎の方へと足を向けた。







 その少女は、指先で羽を休める小鳥に優しい眼差しを向けていた。チチチ、と美しい鳥の声が風に運ばれて消えていく。穏やかな音色と肌を撫でる心地よい風、そして誠に口には出したくないが「画になる」横顔。その光景を前にすると自分如きが足を踏み入れるのがあまりにおこがましく思えてしまい、声を呑み込み小さく息を吐きだす。その一呼吸と時を同じくし、その青っぽい色合いの羽を広げて小鳥は天高く舞い上がった。


 彼女が口を開いたのは、その小鳥を見送るべく空に向けた視線を下ろした時のことである。


「おや、いたのなら声をかけてくれ」


「邪魔かと思って」


「それは気を遣わせたかな。確かにあの歌の前には人の声は雑音かもしれない。私を含めてね」


 そう言うと彼女は脚を組み、両手をももの上で優雅に絡める。


「動物は好きかい?」


「動画とかで見る分には。実際に触れあいたいとはあんま思わんな」


 動物園に行ったのは多分、小学校低学年の時が最後だろう。当時ですら、園内の動物の臭いが気になった記憶はある。獣臭さとか、糞尿の臭いとかはお世辞にも好きとは言えない。身近におきたいかと言われるとそうでもなく、飼うという視点で見ればむしろ負担が大きそうだ。だからネットやテレビで動画を見る程度が一番良い気がする。


「私は結構好きだよ」


「へぇ」


 まあ、さっきの光景も随分と画になっていたし、触れ合うのが好きなんだろう。その手に興味はなさそうという従来の僕のイメージとはずれるが。


「ペットは従順だし、飼い主なしでは生きられないという非力さが大変良い」


「神秘掻き消えたな」


 数秒前の西洋映画のお姫様みたいな光景は幻だったらしい。自分の中で勝手に脚色したのだろうか。


「おや、その言い方だとさては君。ミステリアスな私に見惚れてて声をかけなかったね?」


 少し首を傾げて揶揄う様に言う彼女に、僕は一際大きくため息をつき話題転換を図るべく告げた。


「聞きたいんだが」


「無視は寂しいなぁ。なんだい?」


「うちのクラスから転校生が出た。しかも3人同時だ」


 僕がそう言うと、彼女は目をぱちくりさせて言った。


「珍しいね。三つ子とかいた?」


「仮にいたとしても別クラス配属に決まってんだろ。教師大変だわ」


 これは風の噂だが、学校のクラス分けというのは完全ランダムというわけではないらしい。例えば合唱コンクールとかに備えてピアノの弾ける子は全クラスに散らすとか、球技大会などを加味して運動能力に大きく差が出ないようにするとか。同様に双子、三つ子ともなれば同クラスに所属させることはないだろう。教室内に瓜二つな存在複数とか、ただでさえ過労気味な教師の脳に負荷をかけないで上げてほしい。


「って、そうじゃない。お前、何か知らないか」


「知るわけないだろう。何言ってるんだ君」


 両手を上げて首を傾げるその仕草。Hun?とフリー素材の写真のような顔は煽りだろうか。整った顔崩してまでやる表情でないのは確かだろう。


「その転校生、全員が染谷へのいじめに関与していたとしてもか?」


「……へぇ、面白い話だ。生憎と心当たりはないけど」


 彼女は肩をすくめる。そして足を組み替えた。


「なら、聞き方を変える。お前が転校させたんじゃないのか」


 偶然にしてはデキすぎている。染谷が夏を経て心身共に成長した。そんな染谷を快く思わないであろう人物たちが夏休みが終わるや否や一斉に染谷の周囲から消滅。それで「良かったね」となるほど、ぬるま湯思考になったつもりはない。


「随分突拍子のないことを言うね」


「僕はむしろ、お前の冷静さが気になるな。いつもならものすごい勢いで食いついてくるようなネタだ。それなのにお前は茶化すばかりで深堀も追及もしない。不自然にもほどがある」


 いつもの彼女なら「何それ何それ!どういうこと!?」と目を輝かせて質問攻めするような話だ。それを全くしてこないということは、既に彼女がこの情報を持っているということに他ならない。


 数秒の沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。


「仮にそうだとして───」


 顔を上げる。


「何か問題あるかな?」


 僕に向けられた瞳は、ひどく澄んでいた。


「せっかく加奈が前向きになれたところ、いじめに加担するような奴に邪魔されるのは友人として快くない。そんな奴らを排除する手立てをもし私が有していたとして、それを実行することを憂うと思うかい?もしも、だけど」


「……いや、ないな」


 明言こそ避けられたが、彼女の言葉と態度が言外に告げるものを僕は感じ取る。それだけで十分だ。


 僕は少し力を抜き、彼女の隣へと腰かける。背もたれに身を預け、天を仰げば、優しい木漏れ日がいっぱいに広がっていた。


「意外な反応だね。バカみたいな正義感のある君なら『やりすぎだ』とか責めると思った」


「別に僕は聖人君主じゃないし。モヤモヤが残るのは嫌だったから聞いただけ」


 夏の間に精神も外見も一皮むけたと解釈できる染谷。以前苛めていた、いじめの加害者側にとってそれは面白いことではないだろう。あれでもまだメイクでレベルを落としているにもかかわらず、現在の染谷の容姿は校内トップクラスに属する。これは、僕が染谷に肩入れしているとかではなく、忌憚のない意見のつもりだ。いじめていた相手のステータスが第三者から判断される形で上回るというのは屈辱以外の何物でもない。


 それで、大人しく引きさがってくれるのなら良い。だが、例えば今回転校した中に含まれる蛇口なんかは、この目の前の少女の揺さぶりで取り乱し手を上げるに至った。この事例からも分かるように基本、いじめをする側は自分自身で制御ができない程に精神状態が未熟なのだ。そんな所謂「幼稚」な存在が自ら抱える劣等感などを逆なでされることになれば、どんな手に及ぶか、時には想像の域を出ることもある。今回転校したのはいじめの主犯格に当たる者ばかりなことを考えると、その手の懸念が払しょくされたのは嬉しいことだ。


「僕だって被害者なわけだし。相手に(ばつ)を望んだって(バチ)は当たらないだろう」


 僕も染谷同様、いじめを受けた立場として思うところがある。彼女の策略で強制的に転校させられたのだとしても気の毒だとは思わない。よく「嫌なら逃げてもいい」なんて言葉を耳にするが、そもそもどうして悪くない側が逃げなくちゃならないのだろう。そんな考えの僕にとって、たとえ褒められないような手だったとしても、強制的に追いやったのだとしても、それを悪く言うつもりはない。


「正直だね」


「今日の登校、不安がなかったと言えば嘘になるからな。肩の荷が下りたんだろ」


 不登校、あるいは更なる悲劇。若者でそれらが最も多いのはこの9月1日、夏休み明け初日だという。忘れていた、離れていた苦しみに向き合うというのは大人でも辛い事なのに、子どもではなおのこと。僕もその例に漏れることなく、元気よく両手を振って通学路を歩いてきたわけではない。


「なるほど」


 ぎしっとベンチが軋む音が聞こえる。顔はそのまま目だけでちらりと横を見ると、彼女も僕と同じように、しかし少し上品に葉とその先の空を見上げていた。


「意外と言えばお前もじゃないか」


「私がかい?」


「お前のスタンスって、不干渉だろ。実際、染谷のいじめも直接は止めなかったわけだし。今回、なんで助けるような真似をしたんだ」


「……驚いた、私への解像度が高いね君。私のこと好きなの?」


 そう言ってくる少女に頭は動かさず、目だけで抗議を訴える。すると「ふふ、手厳しい」と小さく笑って彼女は続けた。


「ただの気分、と言っても納得してくれないか。とはいえ、動機は気分だしなぁ」


「というと?」


「確かに君の言う様に、私は周囲の物事にあまり手を出したくない。あくまで『観る』のが楽しいからね。加奈のいじめに関しても、彼女の性格含めて自分で乗り越えてほしいと思っていた」


 そう言うと、彼女は体を起こし僕の方を見やった。


「でも、状況は変わった。私以外に加奈を想ってくれる人が出てきて、幸運にもその人物と共に加奈は己を克服した。となれば、これまでそこにあった困難はもはや加奈が乗り越えるべき試練ではなくなったんだよ」


 こいつの性格は多少なりとも理解している。物事を俯瞰的に、時には舞台のように『面白いかどうか』と人の生を消費しているような奴だ。こいつは染谷のいじめの加害者すら、物語にメリハリをつける「役」と捉えていた。無論、友人と言うくらいだし、最悪のケースにはならないように注意していただろう。それでも根本は変わらない。


 しかし、染谷はその悪役たちの登場するイベントとは別のイベントで成長を果たした。となれば、こいつの想定する物語の中で、その悪役たちの存在価値はなくなる。


「君は夏の一件以降、加奈と会ったのは今日が初めてだろうけど私は何度も会ってるんだ。そして思うに、今の加奈の前に立ちはだかる壁として彼らはあまりに力不足。無意識下で踏み潰される虫だね」


「なんちゅうこと言ってんだお前」


 人を虫呼ばわりとか。いやまあ、同情する余地ないと言えばそうだが。というか、お前本当に染谷好きだな。言ってること「今の加奈めっちゃ強いからもう大丈夫!」ってことだろ。厄介オタクか。


 しかし、僕の予想とは少し外れる。てっきり染谷にこれ以上の被害が及ばぬように処分したのだと思っていたが、そもそも彼女は染谷がやられるなどとは思っていないらしい。染谷は負けない、折れない。こいつにとって染谷といじめっ子の勝負は分かりきったもの……いや端から勝負にならないと確信できるものなのだ。


「だから転校させた?」


「いやぁ、役もこなせなくなったら残るのはただの不快感だし、いらないでしょ?……ま、もしも私がやったならそう思うだろうなって仮定の話だけどね」


 ここまで喋っといてまだ自分が転校させたんじゃありません理論が通じると思ってんのかこいつ。


「それじゃ僕達は今、妄想に花を咲かせる頭のおかしい連中なわけだ」


「ははは、全く持ってその通り。やーい、君の脳内花畑ー」


「喧嘩売ってんのか」


 そんな話をしている間に、昼休みはあっという間に過ぎて行った。

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