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第51話

 染谷を見送った後、僕はヘッドセットを装着し、ピンマイクを口元に合わせた。


「皆さん、準備は良いですか?」


 そう問いかけると、各班から順に「問題ない」「準備完了」と反応が返ってくる。照明、音響、司会、誘導、本部……染谷だけではない。イベントスタッフ全員で取り組み、作り上げるのがこのラストステージ。終わりよければすべてよし、なんて言うが、それは逆に最後を失敗すれば全て台無しともとれる。


 トラブルもあり本来の予定とは随分異なる現状はマイナススタートになるだろう。そのマイナスをひっくり返さないといけない。だから僕たちは、全力でこの賭けに勝たなければならない。染谷加奈を、勝たせないといけない。


「行きますよ。照明、オフ」


 そう言うと、ゴウン、と機械の停止音が響き、ステージが闇に包まれる。時刻は夕刻。完全な暗闇は作りえないが、染谷の纏った黒衣を含めれば、人の目をくらませるにはギリギリ足りる。


「え、なに?」


 観客席で生まれた困惑、波及していく騒めき。そしてその中に微かに見える期待。ライブなどに行き慣れている人は、この空気がパフォーマンスの一環だと気が付いている。その様子を見て、僕はマイクで伝達。


「アナウンス、お願いします」


「えー、すみません。機材トラブルです。復旧までしばしお待ちください」


 会場にそう知らせると、期待に満ちていた観客の目がゆっくりと閉じられた。


「ねえ、これ大丈夫なの?」


「期待して損したね」


 同時に広がる空気は全体で混乱、不安を共有する。こればかりは仕方がない。集まった客は、芸能人のことで頭がいっぱいだった。一旦その期待を頭から追い出すためには、このステップが必要になる。そのために機材トラブルを演じる。暖簾に腕押し。ないものに期待してもしょうがない。


 狙いは客の期待というフィルターを取り払い、肩に入った力を抜くように誘導すること。ステージへの集中をあえて断ち切ることで可能になるのは───不意打ち。視覚外からの、強烈な一撃。観客の目が暗闇に慣れてしまうその限界時間まで粘り、弛緩した空気が最大限に行き渡ったところで、次の一手。


「音響」


 そう呟いた瞬間、キーン……と甲高いノイズが会場に響き渡る。意図的に起こしたマイクのハウリングは、緩みに緩みまくった空気の布を一気に貫通しまとめ上げる針の役目を果たす。観客の意識はおしゃべりしていた隣の友人やスマホから一気に引き戻され、会場を沈黙が支配する。


 手品の基本は、ある物をないように見せ、また、ないものをあるように見せることだ。例えばコインマジックは、実際にコインが消失したり、突然現れたりしているわけではない。もともとそこにあるコインを手や視線誘導で上手く隠し、適切なタイミングで客に開示することで、あたかも瞬間移動したかのように見せかけている。


 この会場も同じだ。作り出したこの会場の沈黙は「何もない」を演出し、これから登場するコインの輝きをさらに際立たせることができる。そのコインは、自分の裏表に差があって、片面は汚れきって綺麗じゃないなどとほざく様な呆れるほど自己評価の低い子。


 この舞台は、そんな一枚のコインが、自分を証明するための場所。自身の裏表の輝きに差なんてないことを。裏も表も、等しく自分自身であるのだと自覚するための時間。


 だから、思う存分にやれ。染谷。


「音楽、お願いします」


 今度は僕のものではない、綺麗な声がヘッドセットに届く。それを合図に曲のイントロが流れ始めた。それは、世界で知らぬ者はいない程の有名な曲。洗練された美しい旋律は崇高な祈りを体現したもの。他でもない、染谷自身が選んだセットリスト第一曲目。


「Amazing Grace, how sweet the sound───」


 客の心をわしづかみにするには、その出だしだけで十分だった。


 ステージ上に視線が注がれる。だが、そこに人影はない。当然だ。この声の主は、そこにはいない。彼女は観客に最も近いところに立っている。


 その答え合わせをするように、僕は照明班に合図を飛ばす。ガシャンとスポットライトが当てられた先は、観客席のど真ん中。


「え!?」


 驚きに観客の一部が声を上げる。その空気に動じることなく、ライトに包まれた少女は歌を続けていた。顔が見えない様に黒いベールを被り、両手は胸の前で祈るように重ねられている。全身の黒装飾と曲も合わさり、その姿はさながら教会のシスターのようにも見えた。実際はシスター服でも何でもない。ただ、集団に溶け込めるよう目立ちにくい服装にしただけ。決してステージに立つ者の衣装ではない。


 だが、そこには確かな神秘さがあった。


 少女が歩き出す、併せて照らすライトも移動する。ステージ正面のスクリーンには、予め潜んでいたスタッフのカメラがリアルタイムで接続されており、観客の中を歩く少女の姿が映し出されていた。そのため少女の近くにいない観客も、画面越しで見ることができただろう。神話のモーセの海割りのごとく、彼女の歩む先は自然と人々がよけ、道ができる様を。


 少女は歌とともにゆっくりと歩む。音楽とマイクで聞こえないはずの足音さえも聞こえるような、それほど引き込まれる歌声。込められた感情を推察しようと、あるいはそんなこと考える間もなく、神の告示をただ静かに聞く信仰者のように人々は彼女を見守っている。


 ステージへ続く階段をゆっくり上るころには歌は終盤。


「Than when we've first begun」


 ラストフレーズと共に、曲は終わりを迎える。お客さんはステージに上がったばかりの少女の背中を茫然と見つめていた。しーんと微かな余韻が残る中、少女は丁寧な所作で振り返り、観客たちに正面から向き直る。そして、深々とお辞儀をした。


「わあああああああ!!」


「すっげー!」


「鳥肌立った……」


 観客の反応から疑うまでもない。掴みは成功だ。


 拍手が収まるのを待ってから、少女は自らのベールに手を伸ばし、ゆっくりと頭にかける。そうして自らの顔を露わにした。


「みなさん、こんにちは。本日はイベントへ足を運んでいただきありがとうございます。私は加奈。何者でもない、ただの一学生です」


「え?」


「学生?」


 ざわざわと困惑する観客に、染谷は続ける。


「まずは皆さんに謝罪をさせてください。本来、ここに立っているのは私ではなく、ある芸能人の方でした。しかし、急遽来ることができなくなってしまい、代わりに私が歌をお送りさせていただいた次第です。楽しみにしてくださっていた方には本当に申し訳ないと思っております。すみませんでした」


 染谷がそう言うと同時に、統括責任者が舞台袖から飛び出す。そして、染谷の隣に並んだ。


「本イベントの責任者の室川です。この度は、本当に申し訳ありません」


 そう言って、同じように頭を深々と下げた。


 観客の反応は「え、どういうこと?」「代打ってこと?」といまいち状況を呑み込めていない人が多数。困惑が勝っているか。だが、それは想定内。困惑が生じたということは、観客の間で期待していた芸能人が見られないことへの落胆や怒りが和らいだということを意味するからだ。圧倒的歌唱力を見せつけられた後の、歌手本人と責任者の謝罪。そこに、観客たちはこちらが提示した以上の誠意を感じてくれる。


「もし皆様が許してくださるのならば、最後までお楽しみいただけるよう、精一杯歌わせていただきます。どうか、皆様の思い出の末席に、私を加えては頂けないでしょうか?よろしくお願いします」


 ……これが本物、か。


 僕も以前、体育祭で涙を交えた演技をしたことがある。だが、染谷のそれは僕のものと比べるのもおこがましいほどに自然で、感情を揺さぶられる。あるいは、紡がれた言葉が演技ではなく本心なのではないかと思えるほどに。


 そう感じたのは、舞台袖の僕だけではなかったようで。


「素敵な歌をありがとう!!」


「もっと聞きたい!聞かせてくれ!」


「頑張って!!」


 観客から次から次に送られる拍手と声援。もう彼らには当初の芸能人なんて頭にない。歌と態度で魅せた染谷加奈に、この場の誰もが釘付けになっている。エールは徐々に広がり、大きくなっていく。そして───


「アンコール!アンコール!アンコール!」


 一体感。会場全体が波打ち、心臓の鼓動のように感じられるほどの纏まりが生まれる。……もう、僕からの合図はいらないな。


 身に着けたヘッドセットを外し首にかける。そして僕自身、手拍子と共に大きく叫んだ。


「アンコール!」


 責任者さんが染谷に軽く目配せして退散。ステージに1人残された染谷は、ゆっくり会場全体を眺める。信じられないという目もつかの間。一度瞬きした後には、その瞳には光が満ちており、天高く腕を突き上げて言った。


「まだまだ盛り上がって行っくよー!」


「おおおおおおおおお!」


「ミュージック、スタート!」


 次の曲は打って変わって流行りのJ-POP。特別ゲストフィルターを取り払った今、もう選曲に制限はない。これは確か、今年大ヒットしたアニメの主題歌だったか。合いの手が入れやすく、ライブ受けしやすい曲といえる。初っ端のアメイジンググレイスのような聞き入る曲と、こうやって全体が盛り上がる曲では当然歌い方も違ってくると思うのだが、染谷はどちらも非常に高レベルでやり遂げるのだから全く凄いものである。


「こんな子、今までどこにいたんだか」


 舞台袖に戻ってきて、僕の隣に立ちながらステージを眺める統括責任者がため息交じりに言った。僕はそれに答える。


「ずっといましたよ。誰も気が付かなかっただけで」


 ただ、あの子は少し手品が上手かっただけ。弱音や不安を誰にも見せないように立ち回って、弱点皆無で完全無欠のアイドルを演じていたのだ。でも、そのマイナス感情は消えたわけではなくて、違う時、違う場所で背負っていた。そしていつしか、その自覚がなくなって、己の中で大きな自己矛盾を抱えるという悲劇を生んだ。


 だから、そういう嫌な気持ちを吐露できる場所が他にあるのなら、相園まなと染谷加奈は解離しない。自分を過度に追い詰めることも、傷つけることもない。輝きと栄光は染谷の物でもあるし、苦悩や困難は相園まなも経験している。2人は決して別人なんかじゃない。それが答えだ。


 マジックの種はいつだって、気が付けば単純なもの。コインには裏表がある、それも当たり前のこと。そういうことに悩む過程もまた、青春の一幕なんだろう。僕らはそうやって成長していくのだ。


 今この場で誰よりも輝く、ステージ上の少女のように。

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