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第40話

 ガチャッと後ろ手で部屋を施錠。ため息一つ。その瞬間、急に大荷物を持たされたように体が重く感じ、私はその場でよろめいた。背中が扉にぶつかると、じゃらっとチェーンロックの揺れる金属音が鳴り響く。


 今日の疲労は、アイドルとしてのライブ以上だ。むしろ、肉体的疲労はライブの方が数段上を行く。にもかかわらず、これほど体がだるく、重い。これは間違いなく精神的な疲労に由来したものだ。しかも、その根本の原因は他でもない私自身にある。それを自覚してしまい、天井を見上げて、再度ため息をついた。


 見えもしない透明な息を天井まで見送るように、ボーとすること数秒。背中と扉が一体化してしまう前に、私は重心を移動して室内へと歩みを進めた。


 一般的な旅館の、ややグレード低めの部屋。ツインタイプなのは本来2人1組で部屋を割り当てられていたから。だけど、私と同じ部屋になってくれるはずだった唯一の友達は、今朝いきなり、ボランティアに来られないことを告げてきた。あの時の衝撃は、一種の立ち眩みの様で。寝耳に水、ともすれば熱湯をかけられたようだった。


 そんな事態になったのに、自分も「休みます」と先生に電話の一つもできない臆病さが嫌になる。自分にとってこの2泊3日が、どれほど過酷なものになるか想像できなかったわけではない。……あるいは、分不相応にも、変われるかも、なんて考えてしてしまったのだろうか。


 荷物を置き、中からポーチを取り出す。そのポーチを抱え、洗面台へと向かった。


 鏡に映る、シミとそばかすにまみれ、目元にはひどい隈。ぼさぼさで手入れの行き届いていない黒髪。ああ、いつもの自分だ。その、お世辞にも綺麗とは言えない見た目に、心の中で安心感を覚える。それは、先ほどまでの自分の思考をある種、肯定しているかのように感じられるから。


 数秒鏡とにらめっこしてから、私はまず頭に手をかけ、ウィッグを外した。黒髪の下から、さらっと流れるブロンドの髪。コンタクトを外せば、蒼の眼が鏡の中に現れる。顔にいくつか張ったテープをゆっくり順に剥がし、ポーチの中に手を伸ばす。コットン、化粧水……様々な道具を慣れた手つきで自らの顔に当てていく。朝描いたシミや、そばかすが消えていき、濃く塗ったメイクが落ちていく。その向こうから、白い肌。


 シュル……と衣擦れの音。服を脱ぎ去れば、幾重にも巻いたサラシ。多少汗を吸い、べっとりした感触に気持ち悪さを覚えながら、丁寧にそれを取り外していく。押さえつけられていた自身の胸部が解放されていき、呼吸が楽になる。


 長い時間をかけて毎朝被る、メイクという名の仮面。誰も見ない、見られないための舞台衣装。それを脱ぎ去れば、誰もが褒めてくれる、だけれど私にとっては少し不気味とも思える笑顔が現れる。


「……こんにちは、相園まな」







 メイクを落とし、変装を解いた私はそのまま部屋に備え付けのお風呂に入った。大浴場があるらしいけれど、もしも他の客さんがいて、メイクなしの私を見らたらと考えると、迂闊に行けない。正体がばれてしまう。そもそも、大きいお風呂はあまり好きではない。どこか……不安になるから。自分の一挙手一投足が、誰かに見られているように感じてしまう。広い空間にぽつりと残された自分の孤独感が増長される様な気持ちになる。


 だから、狭いお風呂が好きだ。脚を延ばせない、膝を抱えて体操座りするくらいの大きさの方が落ち着く。この座り方が落ち着くのはお風呂に限った事ではない。だけれど、アイドルとして活動している時は、背骨が曲がるとプロデューサーさんに指導されてしまう。実際、一度注意されてからは、背筋をまっすぐに座るようにしているため、こういう1人の時間にこっそりやってしまう。結局、根は変わっていない。


 お風呂は上がってからのヘアケア、スキンケアまでがセット。メイクさんは、1日の怠りが、3日老化を進めると言っていた。アイドル寿命はとても短い。その短い生命の中で、1日たりとも無駄にしまいと、多くの子たちが懸命になっている。その懸命な在り方に、気づいてくれる人がいる。……その奥の苦悩には、目が向けられないことがほとんどだけれど。


「よしっ」


 鏡の前で自分の姿を確認。問題ない。続けて指導された柔軟運動を終えて、時刻を確認すれば22時。あっという間の一日だった。


「……」


 普段ならもう寝てしまうところ。だけれど、今日は。今日ばかりは。


 ───気づけば、私はある番号に電話をしていた。


 普段はおよそ5コール。今日は10コール近い呼び出し音の後、聞き慣れた声がした。


「加奈?珍しいねこんな夜中に」


 なんで私は電話をかけたのだろう。何を言おうとしたのだろう。思っていたことはたくさんあったはずなのに、そのどれもが出てこない。スマホを耳に当てたまま、私は沈黙する。その静寂を破ったのは、優しい声音。


「怖かったのかい?」


「……うん」 


 私の気持ちを端的に言い表した言葉へ、涙交じりの声が漏れた。


「改めて、すまないね。いきなり休むことになってしまって」


「仕事なんでしょ?仕方ないよ……だけど、私、怒ってる」


「今度お詫びするよ」


 今朝の待ち合わせ場所に友人の姿がなくて、私がどれほど心細かったか。連絡してやっと「行けなくなった」の文面が返ってきたとき、どれほど絶望したか。分からない人じゃない。


「でもさ、加奈」


「?」


「私は常に君と一緒にいられるわけじゃない。私が横にいないと動けないというのは、今後、加奈にとってもっと重要な場面で。避けようがない場面で大きな課題になるかもしれない」


「それ、は」


 分かっている。


「アイドル、相園まなの輝きは永遠だろう。人々の心に残る伝説になるかもしれない。だけど、君自身がいつまでも続けることはできない」


 わかってる。


「染谷加奈としての人生も───」


「分かってるよ!!」


 それは、私に似つかわしくない大きな声だった。


「そんなこと言われなくても分かってるよ!!でも、どうすればいいの!?私だってなりたくてこうなったんじゃない!!それでも、なんとかしようって、ちょっとずつでも変わろうって……それでこのボランティアに参加したのに。『応援する』って言ってたのに、当日いきなり『来ない』なんて言って!いきなり梯子外された私の気持ちが分かる!?それで、不安で怖くて、電話したら偉そうに説教?ふざけないで!!」


「ま、まて加奈───」


「知らない!!しょーちゃんなんて、仕事に追われて潰れちゃえ!!」


 そう叫んで、私は通話を終了する。その勢いのまま、彼女からの着信を拒否した。


「はあっ、はあっ」


 呼吸が荒い。額に汗がにじむ。そのいずれもが、ライブ終了後の爽やかな達成感ではなく、不快感を伴ったものとして表れる。苛立ち。嫌悪。不満。やるせなさ……これまで、全く抱かなかったわけじゃない。達観してて、いつも正しい。けれど、ちょっとデリカシーにかける。通話相手はそういう人だと分かっている。ちょっとムッとしたことだって、ゼロじゃない。だけど、ここまで声を荒げたのは初めてだ。それほどまでに、私は怒っていたんだ。


 ……いや。


 その怒りの矛先は、本当に友達に向いているの?


 思考が渦巻く。色んな言葉が、考えが現れては消えていく。感情に手を伸ばすも、雲を掴むようにすり抜ける。


 私は、何を、どうしたいんだろう……


 思考の海に沈むにつれて、私の瞼は重くなっていった。

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