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第39話

 時刻は20時過ぎ。確か、宿泊客の中で一番遅い夕食の予約時間が20時だったと記憶しているので、大多数は食事を終えた頃だろう。それは例の学生団体客も当てはまり、団体客の食事の後片付けを終えた僕たちボランティアは本日の業務終了。実質稼働時間は13時から19時といったところか。


「ふぃ~初日からそこそこハードだったなぁ」


 今回ボランティアとした参加した僕たちは2人1部屋が割り当てられている。僕のルームメイトは國代だ。顔なじみがいて良かったと心底思う。さっき夕食を終えたばかりだというのに、畳の上に仰向けになっている國代に、僕は呆れながら声をかけた。


「おい、食べて間もないのに寝転がるな。豚になれ」


「そんなおふくろみたいな……ちょっと待て。豚に『なれ』って言わなかったか?」


「そんな、友人に『豚になれ』なんて願望交じりの命令するわけないだろ。人を童話の悪い魔女みたいに言うな。毒りんご食わすぞ」


「モロ魔女じゃねえか!やっぱ言っただろ!」


 ガバッと起き上がって文句を言う國代を横目に、僕は机の上のパンフレットを手に取って、座椅子に腰かけた。旅館に必ずあるこの案内。非常口はどこ、ショップの開店時間、ルームサービスなど、知りたい情報の多くがここに表記されている。特にwi-fiパスワードを知るべく、最初に手に取るのがこれだと言っても過言ではない。最近ではテレビに直接表示されているパターンもあるが。


 すると、パンフレットの間から、はらりと一枚のチラシが落ちる。青色鮮やかなそのチラシには、明日開催のイベントに関しての告知が書かれていた。


「ん?なんだそれ」


「ほら、鳩芝さんが言ってただろ。ビーチイベント」


「ああ、なんか芸能人も呼ぶとか言ってたな」


 僕の返しに國代もすぐに合点がいったようで、体を寄せてチラシを覗き込んできた。時刻とステージプログラム、会場マップなどがつらつら書かれており、端の方には海の家での割引クーポンもついている。うーん、抜け目ない。


 しかし、國代が食いついた芸能人に関しての記述はほとんどない。「サプライズゲストには今大人気沸騰中の…!?」という見出しがあるだけにとどまっている。


「世良町、誰だと思うよ、このゲスト?」


「さあ?あんまり興味ない。そもそも僕、芸能人あんまり知らないし。相当有名どころじゃないと」


 例えば、テレビで冠番組持ってる人とか、滅茶苦茶流行ったドラマの主題歌担当してたとか。CMに引っ張りだことか。そのレベルじゃないと僕は認知していないと思う。名前は知ってる、顔は知ってる。けど、それらが一致しないというタイプもいる。最低でも、ニュースで取り上げられるくらいの知名度は欲しい。


 そして、それくらいの知名度のある人が、このような初開催のイベント、悪く言えば伝統も格式もない催し物に参加するかどうか怪しいところだ。芸能界については知らないが、そんな売れっ子、大御所が、地方の営業に赴く理由など皆無だろう。ここが観光名所だという点を加味しても、そんなビッグネームが来るとは到底思えない。


「でもよ、こんだけ大々的に宣伝してるならその有名どころなんじゃねえか?」


「本当に有名どころだったら顔も名前も出してる。あえて隠してるのは、トップ層じゃないからだと思うけど」


「そんなもんかぁ」


 少し落胆したような声を出す國代。だが、そもそも僕たちが認識する「芸能人」は総じて上澄みだ。世の中、僕達が芸能人とすら認識しない、いわばただの学生みたいな存在も掃いて捨てるほどいる。そして今回イベントに呼ばれているのは、少なくとも上澄みの部類に属する人だろう。何の功績もないような人をシークレットゲストとして招いたところで、待つのは真夏の砂浜びっくりの炎上だ。会場が違う意味で熱くなってしまう。というわけで、客から最低限の肯定的反応が得られるゲストであるのは間違いない。


 長々と思考したが、結局は僕の知識不足というだけの話だが。


「というか、僕達はボランティアでステージ見る暇なんてないんじゃないか?」


「チラ見するくらいの時間はあるだろ。俺、生芸能人って見たことないから、上手い事、時間合わせたい」


「もしかみ合わなかったらその時はシフト?仕事?変わるから行って来いよ。行ってすぐ返って来いよ。2秒くらい見て」


「チラ見のチの字しかねえ。見せる気ないだろ」


 チ。芸能人のチラ見について───


「あと、手土産は忘れずに。そこら辺の草でいいから。小石も少々」


「お前芸能人になんか恨みでもあんの?」


 恨みなんか、そんな恐れ多い。興味もない。ただまあ、輝かしい舞台で活躍する彼らには、それ相応の苦悩が付きまとうはず。人を焼くような強い輝きの裏には、人を呑み込むほどの暗闇があることは想像に難くない。だから、そんな世界で闘う人々を、ありきたりな言葉ではあるが凄いと思う。僕にはできないことだ。


 その過酷な世界での闘いゆえに、歪んでしまった少女を1人知っているという事実が、そんな考えを裏付ける。それは、先ほどまでの冗談めいた考えとは異なり、あまり気持ちの良い思考ではなかった。


「はぁ」


「どした、ため息なんてついて」


「いや、疲れたなと。ちょっとお風呂行ってくる」


「あ、待てよ。俺も行く」


 ひょいっと体を起こし、備え付けの浴衣やタオルを手に取る國代。僕も同じく着替えなどをまとめ始める。この旅館は源泉かけ流しの大浴場があるのだ。


 小学校の自己紹介だったか。趣味は温泉ですと言うと「じじくせェ」と笑いモノにされた記憶がある。日本の伝統文化を自自臭いとはナンセンスな奴らだ、と思うと同時に、今後は公に口にするのは控えようと思った瞬間でもあった。しかし、根っこの温泉好きな部分は変わらない。特に夜に入る露天風呂。あの夜風とお湯とのコントラストは他では代えがたい幸せのひと時だ。あれはたぶん何か脳内麻薬が出ているんじゃなかろうか。いや、興奮ではなくリラックス効果だから脳内麻薬という表現は適切でないのか……?


 まあ、それはいいや。ともかく、こういう外出でのお風呂は楽しみの大きな比重を占めるものということ。ぜひとも満喫したい。ちなみに他に比重が大きなものは「食事」「景観」「土産」である。割とオーソドックスだな。


 僕と國代は、荷物を手に部屋を出て浴場へ向かうのだった。

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