第32話
「ごめんなさい。ちょっと取り乱して……何かあったの?」
しばらく互いに無言で茶を啜っていると、染谷が戻ってきて声をかけてくる。その声に応じて、僕は顔をあげた。
「ちょっと……な?」
僕は言葉に詰まった。なぜか。顔をあげた先に見知らぬ美少女がいたからだ。くるりとした可愛いらしい目、長いまつ毛。高い鼻と、ぷっくりした唇。あどけなさを残しながらも、大人の色気を徐々に獲得しつつある、まさに成長途中の美少女、華の女子高生とも言うべき存在が立っていたからだ。
「どうかしたの?」
きょとん、と首を横に傾げるその美少女に、僕は見覚えがない。
「えーっと?どちら様?」
「え!?わ、私だよ!染谷!」
ん~~~~!??!?
え、声は確かに染谷だけど……外観が似てもつかない。え、は?どういうこと?
思考が停止し、ぽかんと口を開けていると、彼女がゆっくりと染谷の方を向いた。
「あ~、加奈。変装忘れてる」
「え!?……あ!!」
彼女の指摘を受けて自らの顔をペタペタと触った後、染谷(と名乗る人物)は焦った様子で踵を返す。化粧室の方から何やらドンガラガッシャンと大きな音が聞こえた後、息を切らし様子で1人の女子がやってくる。
よく見知った、染谷だった。
「……?」
「ははは!これは傑作だ。あの世良町君がこんな間抜けな顔晒すとは!写真とっとこ」
「う、うう~~~!」
パシャパシャと全く悪びれる様子もなくスマホでシャッターを切る彼女と、顔を覆いながら俯く染谷。
ゲラゲラと笑う彼女の声を聞いて、イライラに伴って少し冷静さを取り戻した僕は、額に手を当てながら、ゆっくりと口を開いた。
「えっと、つまり、どういうことだ?」
「ふふ、私から説明しようか」
写真撮影をやめた彼女はスマホを少し操作すると、何かの画面を表示して僕に見えるように机の上に置いた。
───そこに映っていたのは、先ほど確かに会った美少女。
「加奈はね、アイドルやってるんだ。それも結構売れっ子」
「はあああああ!?」
「うるさいなぁ。静かにしてくれたまえ」
「いや、だって……ええ?」
スマホの画面をかじりつくように見つめる。「10年に1人の逸材」だとか、「若き天才」などという謳い文句のあしらわれたポスターの写真。元気よく片腕をあげて飛び跳ねたベストショットとも言うべき写真がそこにある。輝く笑顔、人を惹きつけるオーラ。写真越しでも、別格の何かを纏った存在だということに疑う余地もない。
一方、テーブル席の向こうにいるのはそんなアイドルとはかけ離れたほどに、どんよりした空気を纏う染谷。これが、同一人物?
「ちなみに世良町君。『相園まな』は知ってるかい?」
「あー……聞いたことくらいはある」
相園まな。数年前からテレビに出るようになり、ここ最近ではアイドルとしての歌やダンス、ライブだけでなく、ドラマなどにも引っ張りだこの売れっ子。テレビでニュースを見ていれば、嫌でも目に入るような人物だ。特段芸能界に興味のない僕でも知っているのだから、相当人気なのは容易に想像がつく。
「ほ、本当なのか、染谷?」
「う、うん……」
肯定の返事を受けて、僕は乗り出していた身を引き、背もたれへと体を倒す。天井を見上げて、大きくため息をついた。
「だ、大丈夫?世良町君?」
心配そうな染谷の声に僕は軽く手を挙げて答えた。
「ああ……ちょっと情報量に脳の処理が追い付いていないだけ」
数秒かけて頭の中を整理した後、僕は体を起こして、再び彼女たちを見た。
「えーっと、僕の勘違いじゃないなら、染谷。意図的に自分が『相園まな』であることを学校では隠してるってことだよな?」
「うん、そうだよ」
「その理由って、聞いてもいいのか?」
僕がそう尋ねると、染谷はコクリと小さく頷いた。
「うん。世良町君には、聞いてほしいって思ってたの」
そう言って、染谷は自分のことについて語り始めた。
染谷がアイドルとして活動し始めたのは、今から数年前のこと。街中でスカウトされたことをきっかけに、芸能界へと足を踏み入れたらしい。最大の理由は、「今の自分を変えたい」という思いだったそうだ。
プロデューサーや運にも恵まれたようで、芸能界へ入ってから芽を出すのにそんなに時間はかからなかった。歌やダンスもトレーニングを重ねるにつれてメキメキと上達し、歌唱、映像ともに優れたMVはランキングに乗ることも増え、アイドル「相園まな」は瞬く間に世間の注目を浴びるようになった。
だが───
「もともと、私はそんなに人前で何かするのが得意じゃなかったの。プロデューサーさん達はみんな私に才能があるって言ってくれるけど、私はそれを完全には信じられななかった。世間で愛される、応援される『相園まな』は、本当の私『染谷加奈』とは別人なんだって」
下を向きながらそう言う染谷に、僕は尋ねる。
「アイドル活動、嫌なのか?」
「ううん、そんなことないよ。歌も踊りも、とっても楽しい。ただ……色んな仕草や言葉を、準備してもらって。人の喜ぶ表情を意識して作って。衣装や化粧で飾りに飾りつけた私は……私を、『染谷加奈』の本質を、変えてはくれなかったの』
アイドルとは人々の求める姿を体現した夢であり、理想だ。どんなに自然に見える振る舞いも、すべては計算の上に成り立っている。ちょっとしたドジっ子ムーブも笑顔を誘う演出で、「愛してる」や「大好き」の言葉は決して本心ではない。勿論、これは僕の考えに過ぎないことだが、少なくとも素の振る舞いだけで生き残れるほど、芸能界と言うものは甘くないと思っている。
これらの行いが悪いことだとは思わない。夢を見せるのが彼らの仕事で、人々がそれを求めている。マジックショーのように、人々は喜んで騙されているのだ。それこそが偶像だ。
それをすることが苦にならない、あるいは耐えられる、所謂アイドルが天職の人間も一定数いるのだろう。だが、染谷はどうだ?自分を変えられるかもしれない、と淡い期待と少しの勇気をもって踏み出した世界で学んだことは……見栄えの良い仮面の纏い方。
その仮面は彼女の内ではなく、彼女の外を変えるにしか、至らなかった。
「それが、外ではアイドル『相園まな』であることを隠している理由か?」
僕が問うと、染谷は少し間をおいて答えた。
「……うん。『染谷加奈』は『相園まな』になれないし、『相園まな』は『染谷加奈』であってはいけない。だから私は、外では必死にメイクや服装で身を隠しているの」
アイドルと素の自分をきっかり区別するため、境界線を引くために彼女はこのような振る舞いをとっている。
まるで、本当の自分を押し殺すかのように。
「ご、ごめんね。こんな話しちゃって」
染谷はそう言うと、伝票を持って席を立った。
「え、染谷?」
「ここは私に払わせて」
僕の言葉を聞かず、染谷はレジの方まで行ってしまった。
「……」
「歪んでるだろ、彼女」
行き場のない手を下げると時を同じくして、しばらく黙っていた彼女が口を開いた。その言葉に僕は反応する。
「歪んで?」
「ああ。私に言わせれば、そもそも人間は複数の面を持っていて当たり前だし、自己矛盾なんて抱えてしかるべきだ。アイドルとしての彼女も、学生としての彼女も、どちらも等しく『加奈』だと私は思っている」
彼女の言わんとすることも分からなくもない。自分探し、とでも言うべきだろうか。僕たちのような思春期に悩みはつきもの。その程度に大小はあれど。
「無理やり『まな』と『加奈』を区別しようとした結果、彼女は自分でも気づかぬうちに日常生活に影響をきたしている。気づいたかい?加奈が変装無しで君の前に現れた後、彼女、流暢に話せてただろう?」
「……確かに」
言われてみれば、最初に化粧室に行く前、彼女が僕に謝った時と、自分の過去について話した時で、話し方が全然違った。
「最初はああじゃなかったんだ。ただ、アイドルであることを隠していただけ。でも、『相園まな』が売れれば売れるほど、『染谷加奈』は自信を失い、己を卑下するようになった。まるで、眩しい輝きから影に逃れるように、ね。その結果が今。学校で友達はおらず、人との会話もままならない。自分で自分を締め付け、押さえつけている。自分を変えるために芸能界に入ったのに、かえって学生の彼女は望んだ道と反対を歩んでいる」
アイドル『相園まな』は完璧な存在。会話でまごつく、なんてことありはしない。だから、一度その姿を見せた後、彼女は話し方に余裕が出ていた。
……まさか。
「お前がさっき、彼女にいじめられる理由の一端があるって言ったのは」
「それもある。分かりやすいのはこの気持ちに起因するあのとびぬけた変装スキルさ。実際に見てわかっただろう?」
パッと見て相園まなと染谷加奈を同一人物だと認識することはできない。少なくとも僕はそうだ。学校での染谷はお世辞にも可愛いとは言えない。こういう言葉はあまり好きではないが……ブス、と言われたも仕方がないような見た目をしている。それこそ、いじめの対象となりやすいような容貌。
それが、こいつの言うように、自分を卑下する気持ちが肥大化し、アイドルバレを防ぐだけに留まらない過剰な変装の結果なのだというのなら。
確かに、染谷加奈は歪んでいる。
「2人とも、待たせてごめん。行こっか」
染谷が帰ってきたことを確認し、僕達はそれ以上会話をすることなく、スッと席を立った。




