不測
「セイ様」
と、藍が今日はハンドメイドポシェットに入っている携帯に話しかける。
『なんじゃ、アイ。オリがすこしたまりかけておるな。なにをワレのおらぬところでしておるのだ?』
と、ポシェットから取り出された携帯の中で、セイ様はウネリながら藍に向かって文句を言っている。
「すみません。迂闊な事を……しました」
と、藍は自覚ある失敗行動に素直に謝る。
『アイがあやまるのはオリがたまることをこばまなかったからで、あっておるか?』
「はい。セイ様を当て……にして拒みに……躊躇しました」
と、藍は白状して項垂れているが、実際馬車の中で一人発熱し横になる手前で、片肘を付いて耐えている状態でセイ様が居る携帯に話し掛けていた。
『アイにまとっておるオリは、あまりよいものではない。ほんらいアイはシズがしていたやしろでウタやマイにキをもっていくのがよいのだが……シズとちがってアイはオノレでオリをチリにできぬ』
「……すみません……柏手を打ってみたのですが、間に合わなくて……」
『そうか、リンもワレとともにアイのそばになければ、ヤクにはたつまいて』
「……すみ……ません」
と、藍は発熱した身体が重たく、揺れる馬車の座面に身体を完全に横にして目を閉じた。
「アイ、無理をする事は無い。あまり顔色が良く無いと思うが……」
と、ダートル様は藍を気遣い側に付いているルカに視線を向けた。
「ほら、ダートル様に分かるぐらいですよ。館を出る前から言っているじゃないですか。そろそろアイは限界に来ています。今休まないと寝込む事になります。今日は諦めて休みを取りましょう。私が後で医師会館に行って薬を処方してもらいますから」
と、ルカの流暢な言葉は、ダートル様の後押しで止めどなく続いて出てくる。
……本当は、アイが側で文官の仕事をしてくれれば、優秀で早い仕事内容に見習いとこじつけて側にいたが、やはり無理をしていたのだろう。
私でも顔色が優れないのは分かる。メアリーやルカ程ではないが、アイの体調が分かりつつある。
アイが、仕事が出来ぬとなったら周りが煩く動かなくなるが……アイの身体の方が重要だ。
きつく言ってでも休みにさせるべきだな。
王宮でもアカデミーでも各々の家庭でも、情報の扱いや厳しさを周知するようと、早速の手配が国中に降れられた。
呼び出された四大側近とそれに従事する貴族達は、王宮にてシアン国王陛下の講習と講演が催しされ集合するまでの安穏とした空気は、各々が帰路とする頃には顔色を変えて厳しさを醸し出して帰城となったのだ。
ダートルは、王立研究所所長としてもアカデミーの臨時と言え教師としても多忙の渦中にいた。
……アイが文官としても優秀であることは、分かっていたが1を言えば10を理解し行動の先読みも文官資格のあるルカよりも早い。
ダートル様だけでなくルカも藍の情報処理能力の高さを目の当たりして、シアン陛下の評価と洞察力に驚愕の域に来ていた。
……随分時間を穏やかに努めていたつもりだったが、それでもアイには限界値が想像よりも早くに来ているな。
その都度ルカが、アイの顔色を伺っているのが気にならなかったかと言えば、成るが……預かり側の僕から止めないと、収まらない。
「アイ、折角出てきて貰ったが働かす訳にはいかないな。残念であるが今日は帰って休んで体調を整えて欲しい」
と、アカデミー教育科の臨時教師であるダートルは控え室で藍を説得している。
「でも、休憩しながらなら書類の作成は出来ると思いますよ。私より早い人はいないでしょう?」
と、藍はこの数日間でアカデミーの必要な書類雛形を全部覚えた。
雛形を応用することを此方では、前任者のやり方に沿って提出していた。
そのやり方を崩すと受け取る側も混乱することになる。やり方を雛形にして共通箇所を作り各々の提出場所で説明をして、伝達と集積の速さを変えたのだ。
それだけでも作業時間は違ってくる。
「上司命令だ。アイ、今日は仕事をすることは許可出来ぬ。アイが倒れでもしたら仕事をさせている私に責が来る。戦力不足に成るがルカ帰る用意を」
と、ルカに指示をダートル様はされた。
「アイ、いいですね」
と、ルカにも念を押される。
渋々、ダートル様とルカの説得に藍が頷けば、ルカは馬車の用意に席を外した。
館からの馬車は降ろした藍が、直ぐに帰るとは思わずにアカデミー内の厩舎に向かっていた。
ダーニーズウッド家では6台の馬車が整備されて使用されているが、御者台に座っていたレオンは違和感を感じて道具がある厩舎に来たのだ。
……なんだろうな? 朝の点検では異常は無かったが、少し油が切れているのか?
車輪をバラして点検したいが、流石に1人では無理だし時間も無い。
この馬車は今日はアイ様の送迎だけだし、ナギさんに報告しとくかな。
レオンは違和感のある車輪を点検しながら、馬車の周りを見ていた。
教育棟がある方から、見知った顔が走って近付いて来る。
「レオン、悪いがアイの体調が思わしく無い。ダートル様の指示で休ませる事になった。帰れるか?」
「そうなのか! 分かった玄関口に直ぐに向かうよ」
「レオン、馬車がどうかしたのか?」
と、普段なら馬車置き場で待機している筈のレオンが居なくて、ルカは厩舎に探しに来たのだ。
「うん、気のせいかも知れないけど少し違和感を感じたから点検をするつもりで来たけど、アイ様の帰宅を優先にするよ。
ナギさんに報告をしてから細部まで点検するな。ここでは1人では出来ないし」
と、事情を説明する。
「そうか、それなら医師会館に寄って貰えるか?」
と、ルカの要望にレオンは理解する。
「アイ様の薬が無いのか?」
「後から僕が医師会館に行って処方して貰うつもりだったが、馬車を点検に回すと時間が読めない。アイが急変しても対応出来ないと困る」
と、ルカの説明にレオンは今までも何回か走った医師会館を思い出して了承する。
「分かった。医師会館に寄るよ」
と、レオンはルカに言って預けた馬を引き取りに厩舎内に入っていった。
ルカも帰る用意をするため来た道を戻って行くが、レオンに医師会館へと依頼をしたが、先に藍を館に戻すかと思案していた。
……兎に角、医師会館でティベリ先生にアイを診て貰う。
寝込む事にはなっていないが、自覚がある発熱は多い。処方された薬は解熱剤が切れているし、成るべく診察の上で処方したいと先生方に言付かっている。
ダミアン先生もアイへの偏見も誤解も無くなったし、アイの医学知識に興味を示している。
……問題は3人の先生以外なんだが……
「ルカ、ごめんね。ルカの言う通り多分発熱する手前みたい。嫌な悪寒がしてきた……」
と、ダートル様の控え室でソファーに座って待っている藍は、両腕を組んで上腕を擦っている。
……アイは無意識なんだろうが、始めに左腕に手を掛けたら疲れている仕草だ。
自覚無自覚に関わらず、細かい仕草で組み合わせが沢山あるが両腕に手を添えるだけでなく、擦っている状態であるなら確実に発熱する。
……やはり強く止めるべきだった……アイの自己管理はちゃんとしている。大概は自問して的確に自制出来ているが、アイがしたいこと頼まれたこと気に成ることが有ると疎かにしやすい。
だから、不調の読み間違いや気付きが遅くなる。
アイの不調は突然に来る。症状が一度に来るのだ。
ティベリ先生は男性よりも女性の身体の弱い人によくあることだ仰っていたが、アイ程急変は稀だとも……
ルカはダートル様の控え室にアイ用の小物を置かせて貰っている。
藍の顔色を観て厚手のブラケットを出して聞く。
「レオンが馬車から馬を外していた。まだ時間がかかるから温かい飲み物を用意しようか?」
と、ルカは藍に問いながら肩に出してきたブラケットを掛けてやる。
「う、うぅうん。さっきお茶を飲んだからいいわ」
と、初夏なのに厚手のブラケットに安堵顔した藍が答える。
……アイの不調が周りに分からないのは、アイの表情豊かさが問題なんだな。
苦痛慣れをしていて、辛くても笑顔で過ごしてしまう強靭な精神力が、アイの虚弱さが伝わらない原因だと思う。




