ミカエルの変化
「陛下、場所を変わりましょうか?お疲れでしょう?」
と、ミカエル様がシアン国王陛下に声をかける。
「いや、このままで良い。明日になれば暫くはアイに会えなくなる。このように体調を崩したまま離れる事は心配でならぬが、何も用意が出来ておらぬ所へアイを伴っても一緒におれないのなら、ミカエルに任したら方が良い」
と、シアン国王陛下は端に寄り座面に横になっている藍の髪を撫でる。
膝枕にクッションを置けば高過ぎて寝れず、膝枕のままでは藍が寝入ったら重くなるから嫌だと拒否をした。
トキニルが処方した眠剤は、速効性はないがお茶にしてゆっくりと飲下する。体温が上がってお薬を服用したという、プラシーボ効果もあるのか、馬車に乗って直ぐに眠けが来た。
お祖父様が膝枕に拘るが、頭の位置が高くなりすぎるし、ほど程の位置を探ると上半身をお祖父様に抱き付く形になって恥ずかしい。
お祖父様の横にクッションを枕に横たわれば、額に髪にと撫でまくられる。
全く慣れてなくもなく寝かし付けるような手付きが、伯母 翠や母 朱里にしてきたことだと、思い付くと安心して眠りが深くなる。
頭の上で、祖父 碧が向かいに座しているミカエル様と、わたしに気兼ねしながら話す音が低くて心地好い。馬車酔いに苦しんでいた時は少しの揺れでも、頭の中を掻き回されている感覚があったが、身体ごと揺れる事には慣れてきた。
ダーニーズウッド領主邸の敷地から、初めてのお出掛けで景色を見るのを楽しみにしていたのに、休憩に街道沿いに止まった時にしか外を見ることがなかった。
それも目眩に苦しみ、まともに周りも見れず外光に目の奥が痛かった。
このままこの世界で、迷子になっても見覚えある景色なんて言うことが、わたしには無いな。
「ミカエル、そのトキニルの同行者とは、気を付ける対象者なのか?」
と、シアン国王陛下が問う。
「別邸に着いてからに成りますが、アートムに先程の事を報告して、お祖父様の判断を仰ぎます」
と、ミカエルが答える。
「ロッティナの実弟とは、印象は悪く無かったが」
「そうですね。僕も陛下と同じ印象だと思います。
しかし、トキニル自身が同行者を信用しかねているようで」
「ミカエルは見たのか?どの様な印象だ?」
「人を見掛けで判断をするなと、お祖父様や父上から言われてきましたが、商人らしくないですね。旅をする上では、仕方がないのかもしれませんが、護衛と言われた方が納得がいきます」
と、ミカエルが言う。
「ルカもそう判断するか?」
「ルカは警戒対象と観ています」
「そうか、ミカエルとルカが警戒するならば、気を付けよう」
と、シアン国王陛下は答える。
「なぁ、ミカエル。アイの婚約者の話をどう思う?」
「はぁ? どうと言われましても、アイの年なら居てても可笑しく無いのでは?」
「それはそうだが、遥か彼方にいる婚約者をいつまで相手は待ってくれるだろうか? アイは元の国に帰ると言うが、いつかなんて分からぬことだ」
「シアン陛下にお聞きします。アイを帰すつもりですか?」
「…………帰したくはないが、帰る先には私の妻も子もおる場所だ。アイの話では誰にも告げること無くこのカーディナルに来たと、ならば心配しておるだろう。ましてや……これ程虚弱な娘であるならば」
と、寝息が深くなっている藍の額に手をかざす。
「前にも言いましたが、アイが身内でなくても僕も愛情は有りますよ。……その誰もが持っているだろう独占欲、独占愛ではないですが。
ケビンのことでニックに聞かれ時には、アイに対しては親愛と表現しましたが、アイに意中の人がいるいないを問わない愛情とは何でしょうか?」
と、シアン国王陛下に問う。
「アイへの情は、揺るぎ無いものだと?」
「そうですね。多分僕はアイが側にいてもいなくても持っている感情が変わる気がしません」
と、ミカエルが答える。
「…………それは、分かる気がするが……」
「僕は結構厄介な性格をしているようです。次期領主として考えないといけないことを、アイを優先的に思い付く事が楽しいのです」
「ミカエル、それは……自分の子に向ける感情、親バカというものだぞ……」
「親バカでも良いですし、シスコンと呼ばれても、アイが無事に生きていけるように守りますよ。シアン陛下と同じように」
と、ミカエル様が言葉にする。
「驚いた…………ミカエルは感情を表に出す事を拒んでいると感じていたが、それに上部だけで誤魔化しておったであろう?
何か?あったのか?」
「お祖父様とシアン陛下は、いつも僕の殻を壊そうとなさる。あの手この手でありがたいことですが、アイが意図も簡単に僕のひねくれた殻を壊してくれました。
正直に陛下に申し上げれば、僕は次期領主として陛下に媚びていたのです。
幼い時は可愛がってくれる親戚のおじさんで、お祖父様と仲が良くて、それが当たり前でした。
母上が僕を庇って目の前で傷付き、気がついた時には葬式も終わっていました。
あの時から僕は沢山ある感情の一部を何処かに封印していたのです。自覚こそ有りませんでしたが……
外見にも恵まれ、周りにも恵まれ、父、義母の愛情も感じ、異母妹弟達も可愛く感じ、善悪も判断できる僕はちゃんとした全うな人間だと思っていたのです。
それなのにお祖父様と陛下は、悪戯っ子の様に僕の奥底に封印した感情を曝そうとなさいます。意固地に何も無かったように躱しておりました」
「そうか……」
「しかし、アイのことで僕にいつもの思惑が届かないと喜んでおりましたところ、僕も巻き込まれ感情が動く事を止められませんでした。
突然現れた女性は、言葉も通じず見たら忘れられない容姿、今までされたことがない扱いに、予期なく崩す体調。礼儀正しく学習能力の高さ。
虚弱な身体を努力して維持している謙虚さ。僕の知らない世界から来た不思議ちゃんが、アイです。
この前ニックにこっぴどく叱られたのです。30も過ぎた僕に子供をしかるように、そして泣かれました。
良かったと……やっと僕らしくなって嬉しい。と……」
「そうか……」
「長い間、心配かけていたようです」
「確かにな。…………ひょっとしてあれか? ミカエルが笑いすぎて薬が必要になったという」
と、シアン国王陛下が問う。
「そうです。笑うってことがあれ程体力を使って苦しいものだと知りませんでした。死ぬかと思いましたよ。止まらない笑いにアイが追い討ちをかけるように言ってくる言葉が、何とも妙で」
「羨ましいぞ、ミカエル。アイとそこまで打ち解けているソナタが」
「陛下、打ち解けているという解釈は可笑しいですよ。あれは、アイにとっては何でもないことだったのでしょう。
僕にとっては一歩引いていた距離が陛下やお祖父様達と同じ距離になっただけです。ましてや陛下が羨ましいと思われることも何も無いですし、僕には何もありませんでしたから……」
「何も無いとは?」
「あの……アイが館の皆に配っていたのを……」
「アイが何を皆に配っていたのだ?」
「何やらアイが自分で作った物みたいです」
「ミカエルは貰って無いのだな?」
「はい。館の使用人達は、物は違っても貰ったと喜んでいました」
「何を作ったのだ? メリアーナには花束を贈っておったが」
「館の者に追及するのも可笑しいですから、物は聞いておりませんが、ニックが立ち会ってカルマが配ってたみたいです。報告にニックから聞いた時には驚きました」
「そうか…………アイの気持ちが入ったものが……」
「陛下、アイが陛下の庇護の元であると周りに知らせなくてよろしいのですか? このままアカデミーに編入試験を受けたとしても、その都度アイは説明しなくてはならなくなりますよ」
と、ミカエル様が後の事を心配して問う。
「その事は少し考えがある。アイに了解を取ってからと思っていたが、ミカエルには手配してもらう事になるなら説明するか」