第十二話 決闘
「当てが外れちゃったね、レイ」
「おかしいなぁ……シルがこれだけ条件が揃っていて、八百長を提案すらしないなんて」
シルはそれなりに戦闘を楽しむタイプだが、今回のような勝敗次第で自分達の今後が左右される場合は話が別だ。
勝敗やプライドは二の次。欲するは生存する未来のみ。どんな手を使っても生き残るシルの生命への貪欲さに救われた経験は、一度や二度ではない。
「陰口聞こえてるぞお前ら。全く持って人聞きの悪い」
背後から聞こえてきた自身への悪口をシルは咎めた。
陰口と言っても、うっかりと聞こえてしまったというわけではなく、そもそもレイにはシルに聞こえないよう声量を抑えるつもりは毛頭無かった。
「陰口とは、そちらこそ人聞きが悪いじゃないか」
誰が聞いても陰口と断定する内容だったのにもかかわらず、レイはまるで冤罪でもかけられたかのような強気の態度で対抗心を露にした。
「どう聞いても陰口だっただろ」
「いいかい? 僕は君に聞こえないように悪口を言ったわけじゃない。一切隠すつもりなくはっきりと君の悪口を言ったんだ。つまりこれは陰口ではなく、正真正銘ただの罵倒だよ」
一体どこから自信が湧いてくるのか、レイの己が正しいと信じて疑わない言動を見て、一瞬シルは自分が間違っているのかもしれなという気すらしてくる。しかし、冷静に考えなくても、レイの主張は何の言い訳にもなっていない。
「なんでそんな澄んだ瞳で恥ずかしげもなく下種な言動できるんだよ……親に人の悪口は言っちゃいけませんって習わなかったか」
「君の知っての通り、僕は幼い頃、親に捨てられたわけだけど、それまでに習ってると思うかい?」
「なら今ここで俺が教えてやるよ。社会ってのは皆が約束を守る事で成立してる。人を表立って罵倒するって事は、自分が同じ事をされても文句は言えないって事だぞ?」
場が凍り付くレイの爆弾発言に、一切シルは動じず説教で応じる。
シルとレイの付き合いは長い。この様な重い話題も気にせずお互い好き勝手言い合えるのは、お互いの仲がこの程度で揺るがないと知っているからだ。
「はいはい、二人ともそれくらいにしなさいな。 騎士様がお待ちだよ?」
「ああ、悪い。待たせたな、シューネ」
ノルノに指摘され、シルはようやく話の邪魔をすまいと静かにシルとレイを見守っていたシューネに気が付いた。
「いいよ別に。そういう所は変わらないね」
しばらく放置されていたにもかかわらず、シューネは肩をすくめるだけでシルの謝罪を受け入れた。
どこからどう見てもシューネの対応は寛容の一言であった。しかし、シューネの言動が気に食わない者がこの場に一人いた。
「変わらない? 幼馴染アピールですか? 言っておきますが、団長と過ごした時間は私の方が長いですからね? 今更そんな事でこのアドバンテージを覆せると思わないで下さいね。そもそも幼馴染という立ち位置は恋愛においてむしろマイナス要素になる事の方が多いと、様々な文献に記されています」
シューネとしては、特に意味も無い単純な感想であった。が、その何気ない一言が、シューネを目の敵にするリナの逆鱗に触れた。
シル達がまたか、とため息をつく一方で、いまいち何が起こっているか理解できていないシューネでも一つだけ理解できた。
自分は非情に面倒な虎の尾を踏んだのだと。
「えっと……」
突然のリナの爆発に困惑し、対処法のわからないシューネは視線でシルに助けを求めた。
こうなったリナを止めるのは非情に骨が折れるというわけでもないが、非常に面倒だ。
さすがにそろそろ決闘を始めたいシルは、今取れる最も簡単な方法を選択した。
「ノルノ、頼んだ」
「仕方ないなぁ」
リナの消火を任されたノルノは、勢い衰えずシューネに詰め寄るリナの背後に忍び寄った。
「え?」
困惑の声がシューネの口から零れた。
その困惑は、リナの正面にいたシューネですらノルノの接近に直前まで気づけなかった事に対してか、それともノルノが手に持った短刀をリナの背中に突き立てた事に対してだろうか。
「はいプスっとな」
「ノル姉⁉ これは……睡眠……」
ノルノに刺されたリナは、抗う術無く一瞬で意識を失った。
リナが最後に口走った言葉から推察するに、恐らくは短刀に毒でも塗ってあったのだろう。
「ふぅ……いつまでも手のかかる子なんだから」
「えっと……ノルノさん……? 今のは……?」
「毒で眠らせただけです。すぐに目覚めますよ。この毒は止血と治癒の効果もあるので、傷もすぐ塞がります」
(急に消えた……? いや、どちらかと言うと近づいているのに気が付けなかった……のかな? 私が……?)
シューネを特に驚かせたのは、ノルノの気配遮断能力だった。
獣人は他種族よりも魔力量が少ない代わりに、五感が優れている。その獣人であるシューネの五感を全てすり抜けるのは、容易い事ではない。
しかも今しがたノルノが見せた現象が気配遮断によるものというのも、シューネの推測に過ぎない。もしかしたらノルノの持つ短刀が竜具で、何かしらの能力を発動したのかもしれない。
もしくは単に目にも留まらぬ高速移動に過ぎなかったのか。
五感においては、騎士団の中でも飛びぬけて優秀なシューネであっても、結果から曖昧な推測を行うしかできない現状が、そのままノルノの能力の高さを表していた。
「なるほど、どうやら噂に嘘偽りは無いみたいだね。一傭兵団だけで三等級破竜を討伐したっていうのは」
「正確には俺達五人だけってわけじゃないんだが……まあその話はいいじゃないか。さあ、そろそろ始めようぜ」
「では立会人は私が務めよう」
その言葉を待ちわびていたとばかりに、ローランが決闘の立会人に立候補した。
立会人は決闘が行き過ぎた時に二人の間に介入できる実力と、不正を暴く観察眼とを併せ持たなければならない。立会人候補としてローラン以上に適している者は、今この場にはいないだろう。誰も異論を挟むはずも無い。
「それでは諸々の確認をしよう。まず今回の決闘は命を懸けるものではない。相手の命を奪う事はもちろん、再起不能な傷を負わせる事も禁止だ」
あくまで今から行われるのは、この場を収めるための決闘だ。争いを回避するために命を奪い合いをするのでは本末転倒でしかない。
「他に制限は必要無いだろう。己の持ちうる全力を出して戦ってくれたまえ。もちろん竜具の使用も許可する。双方、何か質問はあるか?」
「「ありません」」
シルとシューネの声が綺麗に重なる。
それを皮切りに、今まで和やかだった二人の雰囲気が一瞬で切り替わった。
既にその視線は、再会した元恋人の成長にではなく、これから戦う敵の分析へと向けられていた。
(シューネが戦う姿なんて想像がつかんが、魔力の纏い方から推測するにシューネの基本的な戦い方は、身体能力で敵を圧倒するオーソドックスな獣人のスタイルだろう)
シルとシューネが共に過ごした時間は二年にも満たないが、普通の少女であったシューネが武器を持って戦う場面など、当然シルは目にしたことがない。故にシューネがどの様な戦い方をするのか、シルには皆目見当もつかない。
ただ一つ覚えているのは、シルがどれだけ全力を出しても、短距離でのかけっこでは一度もシューネに勝てなかった事だ。
魔力による身体強化で強化できるのは、あくまで肉体の強度のみ。もちろんその強化した肉体で地を蹴れば、強化前よりも速く走る事ができるが、短距離走で大切なのはトップスピードにいたるまでの速さだ。
獣人の中でも特に優れた瞬発力と反射神経を持つ猫人族の血を引くシューネは、親から受け継いだ才能を惜しみなく発揮し、幾度となくかけっこでシルに苦汁を飲ませた。
(シル君に勝つには、まず魔力を減らして身体強化を弱めないとまともなダメージが与えられない。と、俺の魔力量を知ってる奴なら初めに考える。確かにシューネを捕まえるのは至難の業だが、俺の魔力が減るまで逃げ続けるのは現実的じゃない)
どれだけシューネの瞬発力と反射神経が優れていようと、シルの攻撃が掠るだけでもシューネにとっては致命傷になり得る。その猛攻を躱しながらシルの消耗を待つのは、得策ではないだろう。
しかし、ローランは迷う事無くシューネにこの決闘を預けた。その理由を推測するのはそう難しくない。
(俺の魔力、もしくは身体強化に対抗できる竜具をシューネが持っていると判断するべきだろうな。まずはその能力を確かめるとしようか)
「それでは、二人のタイミングで始めてくれ」
張り詰めた空気が一瞬でその場を支配した。
ひそひそと話していた騎士達も、示し合わせたわけでもなしに一斉に口をつぐむ。誰しもが決闘の始まりを心待ちにする中、静寂を破ったのはシルだった。
「傭兵団【竜と猫】団長、シル・ノース」
「アルカス騎士団ミラー隊副隊長、シューネ・ターキッシュ」
決闘前にお互いが名乗る作法を終え、二人の手がそれぞれの武器へと延びる。
一方は希望に満ちた未来のために、一方は過去の後悔を清算するために。
今、お互いに譲れない決闘の幕が上がる。
「いざ」
「尋常に」
「「勝負‼」」




