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第九十三話『僕たちと大混雑』

――亜子さんに連れられて海の家に踏み込んだ時、まず感じたのはとんでもない熱気だった。


 夏よりも夏をしているような肌を焼く気配と、その中をごった返す人の波。少し息を吐くたびにお客さんが入っては出て行って、その流れは一度も止むことのないまましばらく継続していた。


「もしかして、この中をバックヤードまで歩いて行かなきゃなの……⁉」


「ごめんね、裏口はちょっと違う使い方をしなくちゃいけないんだ! 照屋君、絶対にちーちゃんの手を離しちゃダメだよ!」


 僕たちの方を振り返ることもなく亜子さんは質問に答えて、とんでもない人の波の中をずんずんと進んでいく。初対面は少し控えめな女の子と言った印象だったのに、そのイメージはこの短時間の中で一瞬にして剥がれ落ちていた。


 まあ控えめだった時も新谷さんに対してはかなり辛辣だったし、もとからその片鱗は出ていたのかもしれないな。なんか今の方が生き生きしてる気もするし、多分亜子さんもそうしているのが一番やりやすいのだろう。


 小さいはずなのに大きく見えるその背中を追いかけて、僕と千尋さんも必死にカウンターの向こう側を目指して進んでいく。何回か誰かの肩にぶつかることはあったけれど、それでも千尋さんと繋いだ手だけは離すことなく握り締めることが出来た。


「千尋さん、なんか変なことされてたりしない⁉」


「大丈夫、紡君が引っ張ってくれてるからね! ……さあ、この調子でどんどん進んじゃおう!」


 一瞬振り向いて千尋さんと視線を合わせると、その黒い瞳はとても楽しそうにキラキラと輝いている。この人だかりの中を進むことさえ、千尋さんにかかればまるで楽しいイベントのようだ。


「毎年これぐらいの人だかりはできてたし、去年まではそれを亜子ちゃんと二人で抜けなくちゃいけなかったからね。そこに紡君が加わってくれただけで百人力――いや、千人力ってところだよ!」


 人と人の間を縫いながら進んでいく僕に、千尋さんから嬉しい言葉が贈られる。そこまで言われてしまうともっと成果を出したくなってしまうのだから、つくづく僕という人間は単純だった。


「もう、ちょっ、と……‼」


 普通に歩けば三十秒もかからないであろうカウンターへの道のりも、その二倍ぐらいの時間と五倍ぐらいの筋力を費やしてようやくあと少しと言ったところまでたどり着く。ここまで来てしまえば注文するために足を止めている人しかいないから、通り抜けは幾分簡単だ。


「千尋さん、一気に通り抜けるよ!」


「うん、付いてくから任せて!」


 お互いに少し息を切らしながら、僕たちは最後の人波を一気に通り抜ける。そしてカウンターを超え、店員さんたちが働いている場所へとどうにかたどり着いて――


「焼きそばできたよ、早く前もってって!」


「あのお客さんは飲み物も一緒だ、これもトレイ乗せてけ!」


「ちょっと麺の量少ないんだけど、まだまだ調理前の残ってるわよね⁉」


――そこにあったのは、並ぶ人たちとはまた違う少しぴりついた熱気だった。


 毎秒増えると言ってもいい注文に対応すべくここにいる全ての人がきびきびと止まることなく動き、提供されるための料理がどんどんと出来上がっていく。それはまるで一つのショーを見ているかのようで、洗練され抜いたその動きはとても海の家のためだけに集まったメンツだとは思えないわけで。


「……ねえ千尋さん、毎年この海の家でお手伝いしてきたの?」


「うん、手が足りなくなるのは毎年の事だったからね! こういう時間帯だけだけど、いろんな細かいところのお手伝いは子供のころからやってきたよ!」


 少し声を震わせながら質問した僕に、千尋さんは無邪気な答えを返す。きっと毎年やってきたことによる慣れも千尋さんにはあるんだろうけど、それがない僕からしたらこの動きはもう異次元のそれだ。その中に僕が入り込めるかどうかと言われると、まあそんな気は全くしなくて――


「……これ、僕のやること残ってるのかな……?」


 純粋な戸惑いから生まれた疑問が、僕の口を突いて飛び出してきた。

 次回、海の家の手伝いが開幕します! 困惑しまくっている紡は果たしてどんな手伝いっぷりを見せるのか、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!

――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!

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