第九十二話『僕は、千尋さんの』
「おかえり二人とも、静かな海はどうだった?」
「控えめに言って最高だったよ。どうしてあんなに人が来ないのか不思議なぐらい」
「だよね、静かだから分かる綺麗さもあるのに。人来たら静かじゃなくなっちゃうだろうし、実はそれぐらいの方がいいのかもしれないけれど」
人の多い方へと戻ってきた僕たちを出迎えた亜子さんの質問に、僕たちは口々の感想を返す。あの海の景色を僕は忘れることはないだろうし、来年再来年とここに来てもごっちゃになることはないだろう。そう確信できるぐらい、千尋さんと見る海はきれいだった。
「この海って人が少なめな分仲良し同士でワイワイしたいって人が多いらしくてさ、自然に階段とかと近い場所に人が集まりがちになるらしいんだよね。ホテルとかがないからとんでもない量の団体客とかもいないし、集団同士のトラブルも起こりにくいとかなんとか」
「へえ、治安のいい海になってるんだね。……それにしては千尋さんへの視線が多すぎるような気がするけど」
「それはちーちゃんが特別だからだよ。中学生ぐらいになってからは毎年視線を集めてるし、声をかけてきた人たちだっていたからね、ちーちゃん?」
「そうだね、結構ギラギラした目をしてて……。今年も見られてるなって感覚はあるけど、紡君がいてくれるおかげでずいぶん良くはなってるなって思うよ」
同意を促す亜子さんの言葉に、千尋さんは首を縦に振る。学校ではほぼ全く無意味の僕も海では他の男の人を牽制する役割を果たせているというのは、まあ何とも不思議な気分だった。
学校では僕が居ようとなんだろうとお構いなしに男子は声をかけてくるし、女子もまるで千尋さんを守るみたいにべったりくっつくからなあ……。それだけ僕へのヘイトは高いし、未だにそれを許してない人だって数多いのだろう。……多分、僕の『元』友達もそうなんだ。
「……それなら、千尋さんから目を離さないようにしないとね」
「それでも足りないよ照屋君、常にちーちゃんの隣にいるんだーぐらいの気概がなくちゃ。そうじゃなきゃ男たちは一瞬にして寄ってくるし、お手伝いがお手伝いにならない可能性もあるんだからね?」
改めて気を入れなおす僕に、亜子さんからさらに強い指示が飛んでくる。それはきっと僕じゃなきゃできないことで、亜子さんはそれを託してくれているのだろう。
きっと去年までは、亜子さんや新谷さんが千尋さんのことを守っていてくれたんだ。それがどういう形かは分からないけれど、千尋さんがこの海での思い出をいいものだと思っていてくれているのは多分その尽力のおかげもあるわけで。
それを僕に託すというのがどれだけ重いことか、それを理解できないような人にはなりたくない。……亜子さんと新谷さんは、僕を信じてその役割を乗っけてくれたんだ。まだあってから半日も立っていないような、ぽっと出の男に。
実を言うと、今まで堂々と『千尋さんの彼氏』を名乗ることには不安があった。それに見合うだけの価値があるのかとか、それを名乗ることで千尋さんに悪影響が出たりしないかとか。まだ、僕はそれを言っていいような人間じゃないんじゃないか、とか。
でも、今となってはそんなことどうでもいい。いや、最初から他人の目とか自己評価とかそんなの全部全部どうでもよかったんだ。それを勝手に僕が気にして、勝手に気持ちを弱らせていただけで。
「分かった。……千尋さんの彼氏として、悪い男の人は少したりとも近づけないよ」
だから僕は、堂々と二人に宣言する。今まで使うのを躊躇っていた言葉を思いっきり口に出して、二人と自分に約束する。……僕は、千尋さんの彼氏としての振る舞いを貫き続けると。
「うん、その意気だ! 大丈夫だよ、照屋君がちーちゃんのこと大好きなのは見てるだけで伝わってくるから!」
「うん、あたしにもちゃんと伝わってるよ! 紡君と一緒に居ると、なんだかあったかいって思えるから!」
僕の宣言に、二人はそんな心強い言葉を返してくれる。そんなに気持ちがあふれていたのは少し気恥ずかしい気もするけど、多分それでいいんだろう。……気持ちなんて、あふれるぐらいに伝えてやっとちょうどよく届かせることが出来るものなんだから。
「さて、それなら次のお手伝いも安心だね! 二人とも、体力は十分に残ってる?」
「うん、あたしは大丈夫! 心配なのは普段動いてない紡君の方なんだけど……」
「大丈夫だよ、まだまだ動き回れる。千尋さんの隣について行かないとだからね」
心配そうな千尋さんに全力の頷きを返して、僕は亜子さんの方を向き直る。すると亜子さんは満面の笑みを浮かべ、僕たちをびしっと指さした。
「うん、その意気やよし! それならきっと大丈夫だね――海の家が一番賑やかになるここからの時間帯も、さ!」
千尋さんとの出会いを経て、紡君もまた大きく大きく成長していきます。救い救われ、想い想われ合う二人の成長にもぜひご注目していただきつつ、これからもお楽しみいただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!




