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第九十話『僕たちと引力』

 千尋さんの手を引きながら、僕はできるだけ人目につかないところまで走っていく。分不相応な感情なんだと分かっていても、千尋さんに向けられる視線がこんなにも多いのがなんだか嫌だった。


 学校でも千尋さんは多くの人の視線を集めているのに、どうして海ではそれが許せないのだろう。その違いが分からないけれど、だけど嫌な事だけははっきりとわかる。だからなのか何なのか、砂浜を走り抜ける僕の足取りはいつもより五割ぐらい早いような気がした。


「……ここまで来れば、人も少ないかな」


 十五秒か三十秒かそれとも一分か、夢中で駆け抜けると周囲から人の気配はいつの間にか薄れていて、僕は足を止めながら呟く。浜から道路に続く階段が遠くに離れていることもあってか、少し行っただけで急に賑やかさは遠ざかっていた。


「うん、そうだね。亜子ちゃんも振り切っちゃったけど……それもまあ、いいかな?」


「何なら最初から追いかけてなかった可能性もありそうだしね……。どっちの方向に走っていったかはちゃんと見てただろうし、何かあったら呼びに来てくれると思いたいけど」


 何なら僕たちが走り去る時、亜子さんが満足げな顔で頷いてたのが見えた気もしたんだよな……。僕が二人のやり取りに割り込むのを避けたみたいに、亜子さんも何か思う所があっての事なんだろうか。


 そうだと思って内心亜子さんに感謝しつつ、僕は改めて千尋さんの水着姿を見返す。……もちろん分かりきっていたことではあるけれど、その破壊力は半端なものではなかった。


 僕からすると嫌でしかないけれど、皆が思わず視線を向けてしまうのもまあ納得できるというものだ。一度視界に入ってしまえば目を外せなくなってしまうぐらいの引力があって、今僕もめちゃくちゃそれに引き付けられている。……多分、海にいる限り離れられないんじゃないだろうか。


「……紡君、どうしたの?」


 その視線に何を見たか、千尋さんが一歩僕の方に踏み込んでくる。その瞬間香水みたいな柔軟剤みたいなふんわりした香りが風に乗って漂ってきて、脳みそがびりびりと痺れるような感覚が走った。


 だめだこれ、浴び続けると何かが壊れるような気がしてならない。というか現在進行形で何かが壊れていっているような気がしてならない。今の千尋さんにどうにか慣れないと、先に僕の方が限界を迎えてしまいそうだ。


「ううん、大丈夫。急に走り出したせいで少し疲れちゃっただけだよ」


 どうにか深呼吸を繰り返しながら、僕はゆっくりと答えを返す。当然その間も視線は千尋さんに吸い込まれるばかりで、遠くの景色を見てどうにか耐えようなんてできるわけもなかった。


「紡君、体育の授業とかでも結構きつそうな表情してるもんねー……。運動部とか入ったことはないんだっけ」


「昔からスポーツは全般的に苦手だからね……。唯一人並みにできるのが水泳だけど、それも別に誇れるレベルの事じゃないし」


 だから昔から体育は苦手だったし、ドッチボールは無害なせいで最後まで狙われずに残るタイプだった。翻ってアウトドアにもいい思い出はないのだけれど、今日の記憶だけで全部塗り替えられるレベルなのが千尋さんの凄いところだ。


「海でも泳げなくはないけど、アレはプールとは感覚が違うからなー……。そういう意味では千尋さんは海慣れしてるんじゃない?」


「泳ぐって意味ではね。……だけど、誰かと一緒に来る海にはまだ慣れないかも」


 僕の質問に頷きながら、千尋さんはふと海の方へと体を向ける。何となく目を背けられたような気がして悲しかったけれど、よく見たらその視線だけは横に立つ僕に向けられている――いや、引きずられているような気がしないでもなくて。


「……だめだなあ、これだけやっても目が離せないや」


 多分僕に聞かせるつもりのない独り言が、潮風に乗って僅かに聞こえてくる。……それと今の状況を重ね合わせれば、千尋さんに起きている現象がどういうことなのか何となく想像がついて。


「大丈夫だよ千尋さん、僕も今の千尋さんとおんなじだから」


 気恥しさを隠すように笑いながら、僕も千尋さんと同じように海の方を向く。だけど、目だけは間違いなく横に立つ千尋さんの姿を捉えている。……そして、同じように横目でこっちを見ている千尋さんと視線がぶつかった。


「おんなじ……って」


「うん、ここまでやっても千尋さんからは目が離せないよ。何というか、今一秒でも千尋さんの姿を見逃すのがすごく損をしているような気分になる」


 ぽかんと口を開ける千尋さんに、僕は笑顔で言葉を付け加える。普段だったらこんなキザなこと言えないし言う気にもならないのだけれど、なぜだか僕の口は躊躇なく言葉を紡ぎ続けている。これが夏の魔法の効力なんだとしたら恐ろしくてならないけれど、だけど同時にありがたいとも思った。


「……そっか。それならあたしも遠慮なく紡君のことを見れるね」


――かなり照れ臭そうではあったけれど、千尋さんがそう言って僕に笑いかけてくれたのだから。

 正反対かと思いきや、近づけば近づくほど紡と千尋さんって似通っていくんですよね。そんな気づきもまた紡に影響を与え、彼を作家として、人間として大きくしてくれることだと思います。この夏を超えた時に紡がどう変わっているか、そのあたりもお楽しみにしていただければ幸いです!

――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!

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