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第七十二話『僕は怖がる』

『認知症』なんて言葉があることを知ったのは、おばあちゃんがこの世を去ってしまってからしばらくした後の事だった。これが病気の正体だったなんて、僕は微塵も考えていなかった。……いや、考える余裕なんて微塵もなかったという方が正しいかもしれない。


 その言葉を聞いた時の痛みを、僕は今でも鮮明に思い出せる。宝物だったはずの僕を忘れてしまったおばあちゃんは、僕の知っているおばあちゃんではなかった。


 記憶が人を形作るなんて理論を聞いたのはずっと後の話だけれど、僕はそれを本能的に知ってしまったのだと思う。僕に関する記憶がすっぽりと抜け落ちてしまったおばあちゃんはおばあちゃんではない。……おばあちゃんにとっても、僕は誰でもないただの子供だった。


『おばあちゃんが最後まで覚えてたのは紡の事だったのよ』――なんて、お母さんが元気づけてくれたことも覚えている。だけどそれも気休めにはならなくて、結局忘れられてしまったことには変わりがなくて。……おばあちゃんに会いに行こうという意思は、あの一度のやり取りで一瞬にして冷え切ってしまった。


 だってあそこにいるのはもう僕のおばあちゃんではない、僕のおばあちゃんと同じ顔をした別の人だ。……僕のことを『宝物』だって言っていろんなことを教えてくれたおばあちゃんが、あんなひどいことを言うはずがないじゃないか。


 結局、その後もおばあちゃんが僕たち家族のことを思いだすことはなかった。一度穴の開いてしまった記憶の引き出しは直らなくて、こぼれていってしまった記憶も拾い上げることはできない。……僕たちには、ただ忘れられていくのを見守るしかないという残酷な選択肢しか残っていないわけで。


 その時から、僕は忘れるのも忘れられるのも怖かった。いつか自分が大切な人を忘れてしまう事も、大切な人が自分のことを忘れてしまう事も。……まるで一緒に過ごした時間が否定されてしまうようなその現象が、僕は怖くて仕方がなかった。


『大丈夫よ紡、おばあちゃんは紡の思い出の中で生きてるわ』


 ふさぎ込んでどこにもいかなくなった僕に、お母さんがそんなことを言ってくれたのは今でも印象深く残っている。……もっとも、怒りの記憶として、だけれど。そんな言葉が気休めでしかない嘘だってことは、小さい頃の僕にも分かった。


 おばあちゃんが僕のことを忘れた時、僕にとっておばあちゃんは死んだんだ。いくら僕が覚えていても、おばあちゃんが僕のことを覚えていてくれないんじゃ意味がない。……僕が好きだったあの日の思い出は、僕がおばあちゃんのことを一生憶えていようと返ってこない。


 もしもおばあちゃんと孫としてちゃんとしたお別れが出来たなら、その言葉はきっと僕の中で心強いものになってくれただろう。最後にもらった言葉を糧にして、ずっとおばあちゃんの存在を支えにして進んでいくこともできただろう。


 だけど、現実はそうじゃない。……最後に聞いたおばあちゃんの言葉は、『明日も楽しみにしてるからねえ』なんて他愛ない次の約束だったんだから。その約束も最後のやり取りも、僕の中じゃ一生宙ぶらりんになったままだ。……おばあちゃんが僕のことを忘れたから、約束もお別れの挨拶も、全部が中途半端になってしまったんだ。


 だから僕は、誰かに忘れられるのが怖くなった。自分が大切に思っている人の記憶の中から、僕の存在が抜け落ちていくのが怖かった。……だから、忘れられないように頑張ろうと思った。認知症と言うしょうがないものだったことなんて、その頃の僕はまだ知らないから。


 頑張って頑張って、大切な人に覚えていてもらえる人になるべく努力し続けた。それは多分功を奏してくれて、小学生の頃は友達も多かった。忘れないでいてくれる友達も、多分たくさんいた。


――けれど、その努力さえ一時的な延命処置、ただ足掻いているだけに過ぎなかった。……そう知ることになるのは、僕が中学二年生になったころ。それはまた、別の話だ。

 二つ目の出来事が語られるのはまだ先ですが、紡の根底を巡る事情は少しずつ明らかになっていきます。この言葉に千尋の姉は何を思うのか、ぜひ次回もお楽しみに!

――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!

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