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第六十五話『僕は違う』

「……あ、え?」


 言葉が出ない。聞きたいことは無数にあってそれを埋めていかなくちゃいけないのに、それを言葉にしようと思ったとたんにそれはただ掠れた息に変わって沈んでいく。思考はもうグチャグチャに混乱していて、今の言葉が悪い冗談であることを祈るしかできない。


――いいや、祈ることすらできないか。こんなにこんなに心は混乱しているっていうのに、頭はそれに納得してしまっているのだから。……小説家と言う設定を千尋さんのお父さんに付け加えるだけで、メモにまつわるすべてがつじつまの合う事態として片付くのだから。


「ほら、やっぱりこうなる。だから最初から近づけたくなかったんだよ、小説家――私の家族をめちゃくちゃにした、あのクソ親父の同族なんざ」


 軽いパニックに陥る僕を見つめて、お姉さんは乾いた声でそう吐き捨てる。それが僕への失望を多分に含んでいるものであることは、何とか理解できた。


「……まって、待って……!」


 気力を振り絞って、僕は必死に言葉を紡ぐ。ここではしごを外されれば、与えられたのは深いショックと混乱だけだ。ここに来た意味が何もなくなる。……千尋さんの抱えている痛みに、たどり着けなくなる。


「……まだ、話は終わってません……‼」


 千尋さんへの思いだけをどうにか支えにして、僕は質問ではなくお姉さんを動かすための言葉を続ける。それを見て何を思ったのか、お姉さんは眉をピクリと動かした。


「へえ、少しは気骨があるじゃねえか。……私としては、お前を完全に千尋から引きはがすいいチャンスだと思ってたんだが」


 立ちかけていた席に座り直して、お姉さんは少し驚いたようにそう口にする。……それが話の続行であることを察して、僕は軽く安堵の息を吐こうと――


「でもな、私からしたら話は終わりだ。お前は小説家、クソ親父の同族。……千尋をぶっ壊したあの野郎と同じ生き方をしてる奴のことを、私が『はいそうですか』なんてやすやすと信じられるとでも思ったか?」


――まだ小さかった千尋と違ってな、私は怒りも憎しみもはっきり覚えてんだよ。


 机をダンと両手で叩き、お姉さんは未だに荒い口調で吐き捨てる。……お姉さんの態度が軟化したんじゃないかなんて幻想は、一瞬にして脆くも打ち崩された。


「分かってるさ、お前が千尋のことをちゃんと想ってることぐらい。千尋がお前のことを特別だって思って選んだことぐらい。……だけど、人は変わっちまうもんだ。『好きだ』と思ったところ、『特別だ』って思ったところが一生変わらずにいるなんて確証はこの世界のどこにもねえ。……変わらねえって信じられるほど、私はこの世界に期待してねえんだ」


「……ッ」


 気圧される。お姉さんの剣幕に、圧倒される。その言葉は誰が放つよりも重たくて、誰が放つよりも痛々しくて。――その言葉に千尋さんの面影が見えるから、なおさら僕は何も言えなかった。


 千尋さんたちの両親が離婚したのがいつなのか、それははっきりと分からない。だけど、お姉さんは少なくとも千尋さんより七から八歳ぐらい、ともすれば一回り違うなんてのも十分あり得るかもしれない。……仮に千尋さんが小学一年生の時に起きたんだとしても、その時お姉さんは思春期真っただ中だ。


「偏見だって恨んでいい、お前の考え方は極端だって抗議するならしてくれてもいい。……だけど、お前のそんな言葉ごときで私の主張は変わらねえ。私は、母さんと千尋を傷つけたあの野郎の生き方を絶対認めねえ。……認めたく、ねえ」


 ぬぐいきれない怒りと憎しみを言葉に乗せながら、お姉さんはまくしたて続ける。……その言葉たちは、悲しくなるぐらいに生きていた。お姉さんの思いが、今までで一番乗っていた。


 それに対して、僕は何を言えばいいのだろう。何を言えば、お姉さんの心に何かを残すことが出来るのだろう。――何もかもを焼き尽くしかねない炎の中に、一石を投じることが出来るだろう。


「……僕、は」


 それが分からないまま、見切り発車で僕は言葉を発し始める。……お姉さんの燃えるような視線が、僕を焼き殺さんとばかりに向けられていた。


 何を言えばいいのだろう。何を言えば、お姉さんをお父さんの幻影から解放できるのだろう。……目の前にいる僕がお父さんではないのだと、証明することが出来るのだろう。


 考えて考えて、だけど出てこなくて僕はさらに首を捻る。一言一句今までお姉さんが言っていたことを思いだして、その中に何かヒントがないかと探し回る。記憶のポケットをごちゃごちゃに引っ掻き回すような作業を繰り返して、僕は思索を少しずつだが進めていく。


――そうしていく中で、僕は一つの可能性に行き当たった。お姉さんが父親を恨む原因になった、とある一つの事。……それが、僕が僕であってお父さんじゃないことを示すための鍵だ。


 スマホのロックを解除して、メモアプリを起動する。震える手つきでそれを机の上に置いて、お父さんのメモの隣に並べる。――そして、僕はお姉さんと視線をまっすぐ合わせて――


「……僕は書けなくなったりしません。今までも、これからもそうです」


――そんなことを、嘯いた。

 紡は果たして主人公になれるのか! 『ちひラノ』はここから大きく動いていきます、ぜひぜひ追いかけていただければ幸いです!

――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!

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