第六十三話『僕は逃げない』
「……さて、尋問の時間だ。今のお前には効かなくちゃいけないことが無数にありすぎる」
カフェの隅にあったテーブル席へと移り、お姉さんは僕を正面から見据える。もしも視線に質量があったのなら、その重たさで押し潰されてしまうのではないかと錯覚するぐらいのプレッシャーがそこにはあった。
「最初に一つ言っておくけど、このメモは私のものでも千尋のものでもない。……というか、今の前山家の誰の書いたものでもない。……これを書いたのは、今の私たちと何の関係もない人間だ」
「……今の、お姉さんたちと」
テーブルの中心に置かれたメモを指さして、お姉さんは苛立ちを隠すことなく僕に叩きつけるように情報を提供してくれる。その様子は、初めて千尋さんが僕のことを紹介した時に見せた敵意にも少し似ているような気がした。
「そうだ、今の私達には何の関係もない。……そう言ったら、作家のお前は分かってくれるだろ?」
あくまで察しろと言わんばかりのその言葉に、僕は少し口をつぐんで考える。今は関係がない、つまりは昔は関係があった人。……今でもなお、押入れの中に服が残されているような人。そう考えれば、嫌でも答えは一つに絞られてくるだろう。
「……お父さん、ですか」
「ああ、そういう事だよ。あのメモを書いたのは私たちの父親だ。……今はもう、どこにいるのかも分かったものじゃない赤の他人だけどさ」
僕が答え合わせのために口にすると、お姉さんは不機嫌そうな様子でそれに丸を付けてくれる。ぼんやりとしか見えてきていなかった千尋さんの家族にかかわる関係が、お姉さんの言葉によってようやく鮮明に映し出されていた。
「というか、そんなメモが残ってること自体私も今日初めて知ったんだ。……だけど、その筆跡も中身も間違いなくアイツのものだよ。……まだ家の中に残ってたとは、母さんも何を考えてんだか」
メモに向かって憎悪するかのような視線を向けながら、お姉さんは苦々しい顔を浮かべてそう吐き捨てる。……それはきっと、一過性の感情なんかではなかった。
その感情はお姉さんの中でずっとくすぶっていたもので、僕が持ってきたこのメモが燃料となって再び炎になって燃えている、そんな感じだ。……下手に手を出そうとすれば、その炎に巻かれて僕の方が焼き尽くされてしまうだろう。
だけど、その炎の中でも踏み込むと決めたのは僕の方だ。……もとから何の代償も払わずに情報だけが得られるなんて、そんな甘いことを思ってるわけじゃない。
「……お姉さんにとって、お母さんとお父さんって」
「大嫌いだよ。家族愛とかなんとか、そんなものを期待されても私は何もお出しできない。……私が守りたいと思ってるのは千尋だけだ、それ以外の家族も親族も知ったことじゃない」
僕の言葉を遮って、お姉さんの心の内から炎が燃え上がる。それは嫌悪の意志を示すものでありながらも、千尋さんに対する強い思いも確かにそこにあった。
「正直に言うとな、私はまだお前のことを心から信じられてないよ。お前が悪い奴じゃないってのも分かってる、千尋がお前と一緒に居るとすごく生き生きしてるのも分かってる。……だけど、そうだって分かることとお前を信じること、千尋が抱えてる問題をお前にも預けられるかって言ったらまた別の問題だ。……お前が千尋の問題を解決することは、正直ないんじゃないかと思ってる」
「……ずいぶん、率直に言うんですね」
「そりゃまあ千尋がいないからな。いくら私がお前のことを信じてなくても、それを言って千尋が傷つくって分かってるときには私だって自重するさ」
面食らった僕の感想に、お姉さんは棘のある言葉を返す。それが多分お姉さんのより本音に近い形で、今まで見てきたのが千尋さんの為を思って行動する姿でしかなかったことを僕は改めて思い知らされた。
「私の優先順位の一位は千尋だ。あの子が心から笑える環境の為なら力を尽くすし、それを邪魔しかねない奴はできる限りの手段を使って遠ざける。……もし千尋がお前を遠ざけるような日が来たら、私は全力でお前を遠ざけにかかるよ」
「……覚悟しときます。もちろんそんな日が来ないようにするつもりではありますけど」
敵意にも近いお姉さんの言葉を受け止めて、だけど僕はしっかりとお姉さんを見返す。それがお姉さんには意外だったのか、ふっと目を見開いてお姉さんは口を開いた。
「……ここまで言えば、お前みたいなナヨナヨした奴はてっきり逃げ出すと思ってたんだけどな。思った以上に骨があるみたいで何よりだよ」
「この話を持ち掛けたのは僕ですから。ここで逃げたら一貫性がなさすぎるでしょう」
僕だってお姉さんに好かれてないのは何となく察してたし、これを持ってった時に何らかの影響があるのも分かってた。だけど、このメモの真意をくみ取るには進むしかないのだ。
「僕は千尋さんの力になりたい。……たとえあなたがそのことに反対していたのだとしても、僕は僕の意志で千尋さんのことを支えていたいんですよ」
テーブルから身を乗り出して、僕はそう言い切る。……それを聞いて、お姉さんは諦めたようにため息を吐いた。
「……ああ、分かったよ。お前の覚悟は気に入らねえけど本物だ。……啖呵切ったからには、途中で逃げるのは許さないからな」
――絶対に、全部を正面から受け止めろ。
テーブルに手を突き、お姉さんは僕に最後の警告を発してくる。それに対して、僕ははっきりと首を縦に振ると――
「望むところです。……聞かせてください、全部を」
――そう言って、燃え盛る炎の中へと手を伸ばすことを誓った。
さて、ここからが『ちひラノ』の根底とも言える部分です。ずいぶん遠回りしたような気もしますが、今から突きつけられる事実に紡は何を思うのか、ぜひお楽しみいただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!




