第四十七話『僕の選んだ今』
――視線が痛い。
授業前に教室の隅でおとなしくしているはずなのに、とてつもなく痛い。穴が開くほど見つめるなんていくら何でも誇張表現が過ぎるだろうとか思っていたけれど、この調子だと本当に穴を開けられてしまっても何もおかしくないんじゃないだろうか。
でもまあ、その理由が分かっているだけ何となくマシだろう。理由を想えば僕がこの死線を向けられるのは別に悪いこととは思えないし、むしろ仕方ない代価だとしか思えないし――
「――ねえ紡君、聞いてる?」
そんなことを考えて居ると、隣から髄っと身を寄せて千尋さんが話しかけてくる。あの花畑でのやり取りを経て変わった呼び名が、僕たちの関係が大きく進んだ証だと言っても過言ではなかった。
「うん、聞こえてるよ。今日の放課後行きたいところがあるんだよね?」
「そうそう、最近できた場所なんだ! 一人じゃ行きづらいから紡くんと一緒に行きたいんだけど、今日の予定は大丈夫?」
僕が頷くと千尋さんは花が咲いたように笑って、その瞬間僕に突き刺さる視線がは物なんてレベルを大きく飛び越える。アレは刃物なんかじゃない、銃弾だ。絶対に突き刺すどころか突き抜こうとしてる。『行きづらいなら俺(あるいは僕、あるいは私)を誘ってくれればいいのに』なんて心の声が、視線を浴びるだけで何となくわかってしまう。
――だけど、その視線の中に信二の物はない。ほんの少し前の事だから仕方のないことではあるが、信二は僕たちの方に微塵の興味も示していない――いや、示さないように努めているように思えた。
それに心が痛まないでもないけれど、信二の優先順位は僕の中で今や相当下の方まで落ち込んでいる。……この呼び方だって、ほとんど惰性でそうしているようなものだった。
きっとしばらくしたら桐原君に呼び方が変わって、もっと時間が経ったら呼ぶ機会ってものもなくなっていくんだろう。……多分、それが変化ってやつだ。
「うん、今日は大丈夫。珍しく昨日はサクサク進んだからさ」
信二から意識を外しながら、僕は千尋さんの質問に答える。今僕が優先すべきは作家としての活動と千尋さんの二本柱で、作家の方が一段落している以上千尋さんを優先しない理由はどこにもなかった。
それと同時、周囲から聞こえる僅かな舌打ち。……行きたかったんだな、千尋さんと。
「やった、これで今日も頑張れるよ! テスト近いからって先生皆詰め込みすぎなんだよね……」
「ああ、それは分かる。遠足で緩んだ分まで一気に取り返そうとしてる感じね」
教室の壁に二人してもたれかかりながら、僕たちはそんな何気ない会話を交わす。遠足が終わって六月に入ろうとする教室は少し殺伐としていて、だんだんとテストが近づいてきていることを嫌でも実感しつつあった。
まあ、殺伐としているのにはきっとほかの理由もあるんだろうけど。その責任に関しては、とりあえずノーコメントとしておこう。
正直なところ俺が何かしら不遇な扱いを受ける――平たく言ってしまえばいじめられることも覚悟のうえで千尋さんには思いを伝えたのだが、幸いなことに直接的な被害を負うことはなく僕は日々を過ごせている。……その功績は、百パ―千尋さんのものだけれど。
『あたしは、あたしの大切な人を傷つける人を何があっても、どんな事情でも絶対に許しません。それだけは覚えといてね?』
そんな宣言がこの学校中に知れ渡ったのは、遠足が終わったその翌日の話だ。どこから漏れたか千尋さんに事情を聴きに行った連中に言い放った、とてもはっきりとした宣言。……それが誰のことを言っているのかが知れ渡るまで、そう時間はかからなかった。
千尋さんと仲良くしてる僕のことは恨めしいが、それはそれとして千尋さんに嫌われるのは最悪の展開だ――きっとそんなことを考えたのであろう面々は、僕を標的にするようなことはしない。……舌打ちとか鋭い視線とか、何かありそうな雰囲気だけは常に醸し出されているんだけど。
きっとみんなは、千尋さんにとって僕が大切じゃなくなる日を待っているんだろう。きっと人は変わるものだから、いつかきっと僕を見放すだろう。そうしたら、また自分にも機会が巡ってくるかもしれない――なんて。クラスの中では目立たない方な僕がその立ち位置を掴んだのもまた、皆に希望のようなものを与えているのかもしれなかった。
――だけど、その考察はきっと間違えている。クラスの面々にとって僕は目立たない存在でも、千尋さんにとっては違うのだから。……あの雨の日から、千尋さんは僕のことをずっと探してくれていたのだから。
「……ねえ千尋さん、今日の一限って国語だっけ?」
「うん、確かそうだったはず。半分自習にしようと思ってるとか、そんなことを言ってた気がするけどね」
そんなことを思いながら、僕は千尋さんに問いかける。若干首をかしげながら千尋さんがそう答えてくれたのを聞いて、僕はポンと手を叩いた。
「うん、それなら一緒にサボっちゃおうか。……国語の勉強なら、僕と一緒に居た方が幾分有意義だろうし」
それは、いつか千尋さんが僕を強引に連れ出す時に言った言葉。千尋さんもそれを覚えていたのか、僕の方を見つめて目を丸くする。……だけど、その表情はすぐに満面の笑みに変わった。
「うんっ、そうしようそうしよう! 紡君、ちょっと今から調子悪くなって……?」
「あ、言い訳はあくまでそれなんだね……。まあ、べつにいいんだけど」
周囲からかかるプレッシャーでそろそろ胃がキリキリしだす頃だし、抜け出すにはちょうどいいタイミングだ。……だから、僕は千尋さんに向かって手を伸ばした。
「……行こうか、千尋さん」
「うん、一緒に!」
その手はすぐにがっちりとつかまれ、僕たちは揃って教室の外へと飛び出していく。遅刻しないように必死に足を動かす生徒たちの流れに逆行して、人が少ない方へ少ない方へと進んでいく。
それはきっと、誰もが望んだ千尋さんの姿じゃないかもしれないけれど。……僕がエゴを出したせいで、多くの人を傷つけたかもしれないけれど。その判断に、後悔はない。
「……嬉しいなあ。紡君がこうやって自分から誘ってくれるようになるなんてさ」
「ま、それだけ特別な人だからね。……こうでもしないと、お互い本当に話したいことを話すのは難しいし」
小さな階段の踊り場に身を寄せ合って、僕たちはお互いに笑いあう。……そして、僕は目を瞑ると――
「――千尋さん、今日はどんな物語がいい?」
僕と千尋さんを繋いでくれた大切な時間を、語り始めた。
めちゃくちゃ最終回みたいな雰囲気ですが、まだまだ物語は続きます! お互いを特別な存在だと思いあう二人にこの先どんな出来事が待ち受けるのか、ぜひお楽しみいただければ嬉しいです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!




