第三十五話『僕は探し出したい』
「ふう、時間いっぱいまで楽しめたね! ずいぶんバタバタしちゃったけど、その分大満足だよ!」
動物園のエリアを抜けながら、千尋さんはとてもご満悦の様子でそう断言する。信二が回りたいと提案したショッピングモールエリアに向けて移動するその足取りは、誰がどう見てもルンルン気分そのものだった。
かなりタイトなスケジュールを取ってたはずなのに、大体の動物は見た上に小動物とのふれあいまで』やって見せてたからね……。一緒にめぐってた当事者からしても何かマジックを使ってるんじゃないかと思えてくるぐらいには時間が圧縮されているように思えたし、密度の濃い時間だったのは間違いない事だ。
そんな事情もあったからなのか、千尋さんはコアラで撮ったのを最後に写真を取ろうとするそぶりを見せなかった。……あまり深読みをするのがいいことじゃないとは分かっているけど、それでも少し気にせざるを得ないんだよな。
千尋さんから送られてきた写真、そこにくっついていたメッセージ。……僕と一緒に映った写真を撮ることが目標だったなら、それはあのコアラの前で達成されている。だからもう写真は撮らなかったんじゃないか……なんてのは、少し自意識過剰な気がするけれど。
だけど、そうだったら嬉しいなと思う。……少なくとも、僕にとってこの写真は特別なものだ。
先導する千尋さんの背中を追って、僕と信二は早足で進んでいく。五月にしては強い太陽の光が、インドア派の僕の体力をじりじりと削っていた。
ただ歩いているだけなのに息が乱れて、肺のあたりが締め付けられるような痛みが不定期に襲ってくる。……通学の時に歩くだけで十分だと思ってたけど、もう少し運動の機会は作らないといけないのかもしれないな……。
「……おい紡、大丈夫かよ?」
そんな僕の肩を叩いて、信二は心配そうに声をかけてくれる。……それが僕に対する気遣いなのか、逆に『俺に気を遣え』という信二の言外の主張なのか、それを見抜けるほど僕の頭は機能していなかった。
『この時のキャラクターの気持ちを答えなさい』なんて問題が国語では出てくるけれど、はっきり言ってしまえばあんなものは無理な話だ。少なくとも僕は僕の作品を彩ってくれるキャラクターたちの考えを百パーセント把握しているわけじゃないし、できるとも思えない。……というか、自分の気持ちも完全に理解できない人間がどうしてキャラクターの気持ちを完全に理解できるんだって話で。
それすらできないんだから、他人の気持ちなんて全部理解できるわけがない。それがたとえ一年一緒に居て特別だと思えるような関係性の友達だったのだとしても、だ。
人の価値観とか優先順位とかは、意外と些細なきっかけであっさりと変わるものだ。そもそも信二の中で一番優先順位が高いのは僕じゃなく、『楽しい青春を送ること』なわけで。……千尋さんと二人でいる時を最上級の楽しい青春だというのならば、僕と一緒に居ることはそれを阻害する邪魔な存在でしかない。
『大切』は、いとも簡単にすり替わっていくものだ。……『ずっとずっと仲良くしていよう』と誓った『あの子』が、引っ越した先で僕より大切な物をいくつも見付けていったように。……環境と状況が変われば、大切なんていくらでも書き換わってしまう。僕は、その痛みを知っている。
それを責めるつもりもないし、『あの子』が今幸せになれているなら多分それが最善だ。……だけど、だからと言って僕に刻まれた痛みが消えるわけじゃない。だから多分、どこかで割り切らなければいけないのだろう。――どれだけ大切に思っていようとも、それと同じだけの感情がずっと返ってくることはないんだって。
「……うん、大丈夫だよ。ショッピングモールに入ればクーラーもあるし、そうすればずいぶんよくなるはず」
「そうそう、あそこは空調ばっちりだからね! 冷たいものを食べれる場所も前もって調べてるから、桐原君さえよければまずはそこに行こうか?」
思惑の見えない信二の言葉にまた首を振って、僕は二人と一緒に居ることを選択する。少しめまいがしていたような気がしないでもないけれど、それももうどこかへ消えているから大丈夫だ。……少なくとも、体調不良で離脱するようなことはしない。してやらない。
そう決意した僕の顔を、信二は何とも言えない表情で見つめている。……どことなく不快感が混じっているような気がするのは、僕がネガティブな思考をしているからなのだろうか。
「……どうかな、桐原君?」
「……お、おお。俺もかなり熱さにやられつつあるところだったからな、それで全然大丈夫だ!」
だが、千尋さんにもう一度問われてその色は消える。明るくて元気で、だけどその中に少しだけの緊張を孕んだ声は、いつも通りの信二と同じようにも感じられた。
気が付けば、遠くに見えていたショッピングモールの入り口がすぐ近くにまで迫っている。ここでどんなことが起きるのかは分からないけど、とりあえずは頭を冷やそう。――二重の意味で。
(……そうしなきゃ、これからどうするべきかも分からないし)
せめてこの遠足が終わるまでには、自分の中に一つの答えを出さなくちゃいけないだろう。……なあなあやその場しのぎの物じゃなくて、もっとはっきりとした答えを。僕が今必死に探しているのは、二人がとっくに見つけ出したものだ。
わずかな焦りを抱えて、僕は自動ドアの前に立つ。音もなく開くその扉が、なぜだかいやにのろのろとしているように見えた。
紡の過去に関わることは、これから先もちょこちょこと顔を出していきます。今の紡を形作る上で欠かせない事象たちであることは間違いありませんので、ぜひ頭の片隅に置いておいていただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!




