第三十二話『僕は分かるから分からない』
「さて、それではここから自由時間だ。この施設の範囲内ならばどこを巡ってくれても構わないが、集合時間にはこの場所に戻ってくるように。……守れなかった場合、帰りのバスの保証はないぞ?」
学年主任の先生がそう念押ししたのを最後に、数百人の生徒が一斉にあちらこちらへと散り始める。普段の僕だったら多分それを眺めるだけ眺めてから出発するのだろうけど、今日の遠足ばかりはその流れの中に身を投じなければいけなかった。
「よし、三人揃ったね! それじゃあ目的地へ出発だー!」
僕と信二に視線をやって、千尋さんは小さくこぶしを突き上げる。信二はそれに合わせて景気良くこぶしを突き上げていたが、この人波ですでに息切れしかけている僕はヘロヘロと手を上げることしかできなかった。
正直なところ、もう少し落ち着いて動けると思ってたんだけどな……皆の目的地の方向が違いすぎるせいで、人の流れに踏ん張るのも一苦労だった。……満員になることがあまりない路線で学校へ通えていることがとんでもない幸福なんだってこと、改めて実感させられるな……。
しかし、そう泣き言ばかりを言ってもいられない。僕たち三人の行きたい場所をくまなく網羅するべくくみ上げられた千尋さんのプランはとても緻密で、かつかなりの早足移動を前提にするものだ。……その出鼻をくじくようなことだけは、二人のためにもしたくなかった。
「……おい、お前大丈夫かよ?」
ヘロヘロになりながらも千尋さんの背中を追いかける僕に、信二が心配そうな様子で声をかけてくる。ここで僕がリタイアすればそれだけで距離が縮むきっかけなんてできるだろうに、そんなことは一切頭にないようだった。
「……うん、大丈夫。体力ってよりはむしろ精神力の問題だから、人込みを抜けられさえすればピークは過ぎたも同然だよ」
「そうか、それならいいんだけどよ。……お前の人込み嫌い、こんなとこでも裏目に出るのな……」
僕にペースを合わせて減速しつつ、信二はどこか呆れた様にそう呟く。まあ確かにこれでダウンするのは僕の方がおかしいし、心配するなという方が難しいことなのだろう。……信二だって、僕を悩ませたくてあの相談を持ち掛けてきたわけじゃないんだ。
ただ自分の目標を達成したくて、それに力を貸せるのが僕しかいなくて。……それが分かってるから、この問題は余計に難しいんだ。
これが僕を都合よく利用しようとしてるだけの人間だったら、そんな人のことはちゃっちゃと切り捨てて相談の事も忘れればいい。だけど、信二がそんなに悪だくみのできる人間じゃないことは何より僕が知っている。……交友の幅が狭い分、一人一人をよく見ることに関しては自信があるつもりだ。
だからこそ、僕は信二の悩みを切り捨てることが出来ない。……目指す青春に向けて突き進む信二の道のりに、両手を広げて立ちふさがれないんだ。
「紡、俺は今日をきっかけにバラ色の青春を手に入れてやる。……ここからが、俺の夢見た高校生活の始まりだ」
そんな僕の考えを知ってか知らずか、信二は勇ましくそんなことを宣言して見せる。その視線はまっすぐ千尋さんを向いていて、その先にどんなゴールを見据えているのかもよーく分かった。
「……うん、分かった。自然な方法ってのがどんなのかは分からないけれど、僕もできるだけ頑張ってみるよ」
「ああ、本当に助かる。今度、学食のからあげ丼プレミアムでも奢らせてくれ」
僕の背中を軽く叩いて、信二は僕に感謝を告げる。……心のどこかが、また痛んだ。
『特別な相手だって思うなら、諦めないでほしいんだ』
バスの中で聞いた千尋さんの答えが、延々と僕の脳内を反響する。それは物語のキャラに願う事なのか、それとも現実でもそうなのか。……その答えは、きっと千尋さんしか持っていないものだろう。
「――二人とも、なに話してるの?」
相変わらず結論が出ない問題の数々にため息を吐いていると、僕たちの少し前を歩いていた千尋さんが不思議そうに尋ねてくる。……それに僕が反応するよりも早く、信二はひらひらと手を横に振った。
「いいや、何でもねえ! ……そういえば、動物園はそろそろ……だっけか?」
「うん、もうそろそろ! どれも魅力的な動物ばかりだし、全部回るつもりで行くよ?」
緊張を押し隠す信二に対して、千尋さんは楽しそうな笑みを浮かべる。……うん、やっぱり似合っている。千尋さんと信二が並んでいるのは、とっても自然に映る。
なのに、どうしてだろう。……それを見る度に、どうしようもなく胸がざわつくのは。
その答えを掴むべくあれこれと思考を回してみれど、その結論は動物たちの鳴き声の向こう側へと押し流される。……結局何も分からないまま、遠足本番が幕を上げた。
(人柄が)分かるから(どうすればいいか)分からない紡君、非常に難儀な状況ですね……。全てを選ぶことが出来ない現状の中で彼が果たしてどう動くのか、決断の時は近づいてきています。どうぞお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!




