第三十一話『千尋さんの好きな本』
その言葉が纏う雰囲気に思わず言葉を失って、僕はぼんやりと千尋さんを見つめる。……窓の外に流れる景色が、やけにゆっくりと過ぎていくような気がした。
その感覚を存分に使い、僕はその言葉の意味を噛み締める。……今ここで千尋さんがそう言ってくれたことまで含めて、この言葉には価値があるような気がした。
「……照屋君、やっぱり少し引いてる?」
それを何となくでも呑み込みかけていたその時、千尋さんが少し照れたようにそう声をかけてくる。その表情にはさっきまでの意味深な陰りはなくて、ただ少し照れたように指で頬を掻いているいつもの千尋さんがそこにいた。
「ううん、そんなことはないよ。……むしろ、その言葉を噛み締めてたとこ」
「噛み締めてた――って、そう言われるのもなんだか恥ずかしいなあ……。これに関してはずいぶん夢みたいなことを言ってるって、あたしの中でも自覚があるし」
ゆっくり首を横に振る僕に、千尋さんは少し苦笑しながらそう付け加える。……そうはいっているけれど、その言葉を否定するつもりはないらしかった。
「……あたしが生まれつき今の体質じゃないことは、照屋君も知ってるでしょ? ……具体的に言うとね、小学三年生か四年生ぐらいまでは本が読めてたんだ。……どうして読めなくなったのかは、今はまだ内緒にしておくんだけど」
バスの背もたれに体を預けながら、千尋さんはぽつぽつと語りだす。いつもならこんな人だらけのところで話す話題じゃないんだろうけど、賑やかさから切り離されたここならそれが許されるような気がした。
「あたしね、そのころは絵本が好きだったんだ。もちろん教科書で読むような話も好きだったけど、絵本のお話は優しくて温かかったから。……特に昔ばなしとかおとぎ話とかだと、そういうのって分かりやすいと思うの」
「昔話に、おとぎ話」
「うん、あたしはそれが大好き。……『みんな幸せに暮らしましたとさ』って、ハッピーエンドがはっきり分かってくれるあの文章があたしは大好きなの」
そう言って、千尋さんはまた窓の外を見つめる。……悲しそうな陰りが、また顔に浮かんだ。
「羨ましいんだ。特別な人と出会って、その人も自分のことを特別だって思ってくれて。……その人と一生幸せに添い遂げられるっていうのが難しいこと、あたしは知ってるから」
「……っ」
その言葉に、何も言えない。何を言っても無粋になるような気がして、ただその言葉を呑み込もうとすることしかできない。……誰のことも大切にしているように思える千尋さんが言うからこそ、その言葉は重たかった。
「一生に一度ぐらいの大切にしたい人に大切にされるのって、多分本当に難しいと思うの。諦めても責めることなんてできないぐらいに。……だけど、いやだからこそかな。……物語の中のそのキャラクター君にも、悔いのない決断をしてほしいなって思うの」
――その決断もまた、一生に一回しかできないことだからね。
そんな風に言って、千尋さんは少し照れたように笑う。……その言葉にどんな気の利いた言葉を言えばいいのか、僕は最後まで分かることができないでいた。
今回短めでごめんなさい! このバスの会話で紡の中に残ったものが、次回からの遠足現地での動きに大きく揺らぎをもたらしていきます! 果たして最後に紡はどんな結論を選び取るのか、ぜひ見守っていただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!




