第百五話『僕は褒められる』
――まるで夢のようだった海での二日間を終えた僕たちに訪れたのは、その揺り戻しかと言いたくなるぐらいの現実の連続だった。
積み重なった宿題の山、そしてようやく進むようになったラブコメの執筆。その合間を縫ってデートもしたりと、何もしなかった日が一度もないぐらいのペースで夏休みの日々は消化されていった。もしかしたら学校がある時よりも忙しく動いていたのではないか――なんて、そんな考えも頭をよぎるぐらいだ。
「ほんとに大変でしたけど、その分充実した毎日でしたよ。……それがこの作品の中に落とし込めてればいいなあって、そう思います」
「ええ、照屋さんにとってその日々は宝物なんでしょうね。……一目見ただけでも、見違えるぐらいにたくましい表情になりました」
夏休み最終日を間近に迎えた暑い日の事、僕と氷室さんは二人で向かい合ってコーヒーを口に含む。最近は僕たちの事も覚えられてきたのか、ブラックとミルクコーヒーが取り違えておかれることはだんだんと無くなりつつあった。
そんな変化はあったけれど、周囲のマダムたちが氷室さんに送る情熱的な視線は全く変わらない。千尋さんと言い氷室さんと言い、これだけの熱量の視線を浴びてどうしてそんなに気にせずにいられるのだろう……?
「昨日データで頂いた原稿からも、その成果はありありと見えてきていました。……私が課した『殻を破ってほしい』という願いが此処まで早く叶いつつあること、私はとてもうれしく思いますよ」
「……と、いう事は……‼」
氷室さんの発した含みのある言葉に、僕はガッツポーズを我慢しながらその先を促す。まだぬか喜びはできないけれど、変に期待をさせないのが氷室さんであることも同じぐらいにはっきりと分かっていた。そんな氷室さんが思わせぶりに為を作った時点で、僕は嫌でも期待せざるを得ないのだ。
「ええ、この作品は会議に懸けるに相応しい作品かと。『イデアレス・バレット』で見せたキャラ造形の巧みさがさらに磨かれた、赤糸不切作品の新境地と言ってもいいでしょうね」
そんな期待をはるかに飛び越える称賛の言葉が氷室さんから発されて、僕は今度こそ派手にガッツポーズ。その瞬間マダムたちの視線が一瞬僕の方へと移ったが、そんなこともお構いなしだった。
ここからもう一段階踏まなければ作品にはならないのがきついところだが、僕の作品を本当に昔から知っている氷室さんから贈られる称賛はそれだけで天にも昇るほど嬉しいものだ。……千尋さんと一緒に過ごす日々は小説家としての僕にもこんなに影響してくれているのかと、そう実感させられる。
「曰くラブコメディのキャラクターたちの描写に苦労していたという話でしたが、そんなことを微塵も感じさせないぐらいの自然さですね。誰も彼もに人間味があって、まるで一人の生きた人物かのように文字の上を踊っている。ええ、私がほれ込んだ照屋さんの持ち味が全開です」
「そう言ってくれると嬉しいですね……。何というか、最近いろんな人と触れ合う機会があったので」
むしろ今までの世界が狭すぎただけかもしれないけれど、千尋さんと出会ったことで僕の視野は圧倒的に広がったと言っていいだろう。千尋さんを通じていろんな人の思いに触れただけにとどまらず、僕の内面すらも見返す機会に恵まれた。長い事燻っていた疑問たちに一応の答えを出すことが出来たから、僕の子供であるキャラクターたちも吹っ切れることが出来たのだろう。
「まだ断言はできませんが、このクオリティなら会議を通っても何もおかしくはありませんね。……年末に間に合うかどうか、後はそこの問題です」
「ですね。まだまだブラッシュアップの余地はありますから」
テンションの高い氷室さんの言葉に応えて、僕は脳内で皆の物語をもう一度見返す。きっとまだ描き切れていない思いがあって、それを示すためのやり方がある。僕にとってのブラッシュアップとは、脳内で展開された物語をできる限り希釈せずに文章へと落とし込むための作業だ。
「九月の頭に会議がありますから、それが終わり次第結果の連絡を入れます。……照屋さん、これからもどんどん大きくなるって期待してますよ」
「そりゃもちろん。まだまだ小説の世界でやりたいことがたくさんありますからね」
氷室さんの言葉に頷き、僕はブラックコーヒーを一気に飲み干す。……忙しすぎる毎日だったけど、それも今の僕にとっては誇らしかった。
さて、ここから物語はまた一つ大きく動き出します! 来る二学期、そして新たな小説の行方、千尋さんは小説を読めるようになるのかなどなど、色々なことが収束していきますので、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また明日の午後六時にお会いしましょう!




