78 新たなる旅立ち
「あの岩場にいるアーマークラブが見えるか?」
ゼムは、俺を連れて岬の一端まで歩いて行った。そして崖の上から下の方を指さして言った。
「あいつらの殻は剣も槍も受け付けないほど硬い。魔法も簡単な火魔法くらいでは効かない。まあ、大岩を高い所から落とすか、どうにか仰向けにさせて比較的柔らかな腹に銛を打ち込めば、なんとかなるかもしれない。あいつを、倒せるか?」
彼の言葉が終わるのを待って、俺はぴょんと崖から飛び降りて行った。
「お、おい、待てっ」
俺が十メートル近くある崖を無造作に飛び降りるのを見て、ゼムは慌てたが、俺の身体強化と物理耐性はすでに常人の域をはるかに超えていた。
俺は難なく岩場に降り立った。そして、そこにのんびり甲羅干しをしているアーマークラブを見ながら、どうやって倒せばゼムに一番衝撃を与えられるか考えた。
(ナビ、俺を起点にした奴の座標値を教えてくれ)
『了解。……アーマークラブの中心までの距離3,2、高さ1,76、そこから半径4の範囲にすべて収まります』
(オーケー、ありがとう。ナビ、見てろよ。これが、俺が対シーサーペント用に考えたやり方だ)
ゼムは、崖の上から息を飲みながら崖下の光景を見つめていた。夕闇が覆い始めた風景の中で、少年がゆっくりと両手を動かしながら何かをしている。すると、少年の数メートル先で悠々と甲羅干しをしていた巨大なカニの周囲が、ぼんやりと薄緑色に光り始めた。
異変に気付いたカニは、口から泡を吐きながら巨大な両方の爪を振り上げようとした。しかし、ガキンッ、という金属音のような音が響いて、障壁に塞がれた爪は上に上がらなかった。
直後、カニの周囲を囲んだ薄緑の光の内部で、目もくらむような光が発生し、ガラスが砕けるような音と爆音が同時に響き渡った。
ゼムは、それを唯々呆然と見つめるばかりだった。
「あちゃあ、やっぱり防御壁の強度が少し足りなかったか……でも、まあ、やり方はこれでいいようだな」
辺りに煙と、カニが焼けた焦げ臭い匂いが立ち込める中で、俺はつぶやいた。
『お見事です、マスター。この方法なら、周囲にも被害は出ないでしょう』
(少しは見直したか?)
『それは心外です。私は常にマスターを信頼していますよ』
今度は俺が肩をすくめる番だった。
♢♢♢
小屋の外で心配そうに待っていた獣人たちは、俺とゼムさんが親し気に話をしながら帰って来る様子をほっとした顔で出迎えた。
「おい、おめえら、どこでこんな化け物と知り合ったんだ?」
「ゼムさん、化け物とは人聞きが悪いですよ」
俺が反論すると、ゼムはさらに興奮した声としぐさで答えた。
「化け物で悪いなら、悪魔だ。とうてい人間とは思えん」
「あはは…良かった、納得してくれたんだな爺さん?」
「ああ、明日は大仕事になるぞ。おめえら、へまするんじゃねえぞ」
こうして、いろいろ紆余曲折はあったものの、俺の当初の計画は予定通り実行できることになった。それどころか、獣人たちのスーリア族に対する長年の遺恨も解決し、新たな交流の可能性も見えてきた。ただ、そのためにはザガンとリラが安全な住処を見つける必要があるが、それも、俺の頭には一つの計画が浮かんでいた。
翌日、朝食を終えていよいよシーサーペント討伐の準備をしている時、俺は一同に声を掛けて集まってもらった。
何事かと、皆が注目する中で、俺は話し始めた。
「出発する前に、皆に聞いて欲しいことがある。実は、俺の今の目標は冒険者をやりながら、世界中を旅して回る事なんだ。だから、この機会に、海の向こうのルンダ大陸に渡ろうと思っている。ついでに、ここにいるザガンとリラが落ち着く先も一緒に探してやりたいしな。だから、今日、シーサーペントを倒したら、そのまま俺を大陸の近くの島まで送ってほしいんだ。ゼムさんには昨日相談して、了承してもらっている。いいかな?」
俺の話に、ゼム以外の獣人たちは驚いたが、すぐに何やら目を輝かせてお互いを見合った。
「なんか、すげえ…」
リトが感動の声を上げる。
「うん、いいな。俺たちの故郷か、行ってみたいな」
バルとギルが頷き合っている。
「あ、あたしも、一度も行ったことないから、行ってみたい」
ベルが妹の肩を抱き寄せながらつぶやいた。
「こら、待て待て、おめえら……」
若い獣人たちをたしなめながら、ゼムさんが続けた。
「何事もまずは準備が必要だ。向こうが、今、どんな状況か分からんことには、へたに動くわけにはいかん。それをこいつが調べてくると言っておる」
「えっ、また戻って来るのか、トーマ?」
バルが驚いて尋ねる。
「ああ、あちらの様子がだいたい分かったら、一度戻ってくるつもりだ」
「分かった。じゃあ、俺たちもいろいろ準備をして待っているよ」
獣人の冒険者たちは楽し気に顔を見合わせた。
「よし、では行くぞ」
ゼムさんの声に、皆は同時に無言で頷き、小屋を出て行く。
♢♢♢
朝日に輝く海を、古いが頑丈な一本マストのスループ型の帆船が、帆にいっぱいの風を受けて勢いよく進んでいく。
俺は一番前の舳先に立って、遥かな水平線を見つめていた。
『トーマ殿、もう少し進むと、この辺りを縄張りにしているシーサーペントの回遊範囲に入る。気をつけてくれ』
船より少し先をイルカのように泳いでいたザガンとリラ、そして二人のスーリア族の男たちが海面から顔を上げて手を振った。
(分かった。奴が見つかったら、すぐに戻ってきてくれ。絶対無理はするなよ)
ザガンはしっかりと頷いて、再び水中に姿を消した。
(なあ、ナビ、考えてみたらさ……)
俺は,再び水平線の向こうに目を向けながら、ナビに語りかけた。
(新大陸まで、スノウに乗って行けば、あっという間に着くんだよな?)
『何を今更なことを言ってるんです? マスターはそれを分かったうえで、今回のような筋書きに持っていったのではないのですか?』
(うん、いや、そうなんだけど……俺って、いつもわざと面倒臭いやり方をしているような気がするんだよな。面倒なのが一番嫌いなのにな)
ナビは少しの間、何も答えなかったが、やがてどこか楽し気にこう言った。
『予定通りです。そのことで悪い結果にはなっていないでしょう?』
(ん? なんか気になる言い方だけど…まあ、そうだな……)
俺の脳裏に、故郷の村を出てからのことが次々に浮かんできた。
木漏れ日亭、ポピィ、スノウ……エプラの街のライナス・ペイルトン準男爵、ダルトンさん、アンジェリカ……ブラスタの街のアレス・パルマ―子爵……いろいろな場所でいろいろな人たちに出会った。そして、苦労もしたけれど、良い思い出ができた。
この星に転生して十一年、前世の人生と合わせれば四十年以上生きてきたことになる。でも、これからの人生はまだそれより長いのだ。あせらず、俺のやり方でのんびり生きていこう。前世のように、自分を抑えて後悔しないように……。
(なあ、ナビ)
『何が〝なあ〟なのです?』
(いや、新大陸が楽しみだなって…あはは……)
『相変わらず、変ですね、マスター?』
ため息が聞こえそうなナビの言葉に、俺は笑いながら遠い水平線に目を細めるのだった。
《第一部 完》
ここまで、読んでくださってありがとうございます。
第二部も引き続き連載中です。
今後とも応援よろしくお願いします。




