思い出の上書き編
ストーカー事件から三日後。警察から白夜の自宅に電話がかかってきた。ストーカーが自首してきたというのだ。それに伴い被害者である白夜から被害届を出すかという相談だった。しかし、白夜はそんなことは気にも留めていなかった。警察に言われて初めて気づいたことだった。白夜は愁に相談して被害届は出さないことに決めたのだった。
白夜は、どうしても愁にお礼がしたくてしょうがなくなっていた。もうすぐバレンタインだ。白夜はこのイベントで愁にプレゼントを贈ると決めていたが、司彩がいる状況でどのように感謝の気持ちを伝えるか迷ってもいた。
それに愁がストーカーに襲われて入院していたあの日、司彩は愁とろくに話しもせずにあっという間に東京へ帰ってしまっていた。ひょっとして私の愁への気持ちがばれている可能性があると思うと、気まずいどころの騒ぎではすまされないのだ。そう考えるとおいそれと自分から連絡を取ることなどできなかった。
そうだとしても、司彩に黙ってこそこそと愁と連絡を取るわけにはいかなかった。それこそ本当に友達でいられなくなってしまう。
白夜は、何通りもの想定を行ったうえでやっと一行の文面を司彩に送ることができた。
「愁と連絡が取りたいんだけれども、取っていいかな」
白夜は、大きくため息をついたところで、即レスが返ってきた。
「この間のお礼がしたいんだよね。全然良いよ。たっぷりお礼をしてあげてね」
あれだけ迷って送った結果がこれだった。気まずくなっていると思っていたのは自分だけなのだった。この司彩の返信に大きく胸を撫でおろしているとさらにコメントが追加されてきた。
「今後、愁君に連絡を入れたいときは、いちいち私を通さなくてもいいから気にしないで連絡してあげてね」
いつもならこんなことをわざわざ言ってくる司彩ではなかった。周りの目を気にする白夜は人の感情を読み取ることが得意になってきているのだ。この司彩のコメントに白夜は自分の気持ちが司彩にやっぱりばれていると確信してしまうのだった。普段はおっとりしているが、私の気持ちを敏感に察知する。さすがは愁の彼女なのだった。しかもそのことに気づかない振りをしてくれていることまで分かってしまった。
そんなことを思っているとピロンとまたメールが来た。
「私なんかより、新田君には言っといた方が良いんじゃないの」
そういえばそうかもしれない。白夜は司彩のことばかり気にして、自分たちのことなど後回しになっていた。でもよく考えると、こんなこと啓介に相談したことなど過去になかったものだから、どう言ったらよいのかわからず緊張してきた。
「この間のお礼をするために、愁に連絡を取ってもいいかな?」
出来るだけ後ろめたくならないように最大限に内容を考えて啓介にメールを入れた。そうすると司彩と同じように即レスが返ってきたのだった。
「OK」
いつもは、深い意味もなく色々言ってくる啓介が、なんとあっけない返事なのだった。
いつもの啓介ではなかった。そう思うと急に不安と焦りが白夜を襲ってきた。ひょっとして啓介にもばれてしまっているかもしれない。啓介に見放されてしまうのではないだろうか、白夜はいたたまれない気持ちで直ぐに啓介に電話をしてしまった。
「あの…」
「なんだよ」
「愁に会ってもいいの?」
「え、愁だろ。なんで駄目なの」
いつもの調子の啓介の声に少しだけ安心する白夜だった。
「…駄目じゃないけど」
「だいたい何でそんなことでいちいち連絡してくるの?おかしいよ」
「そうだったわね。そうするわ」
啓介には、ばれてなさそうだった。
何はともあれ、これで愁へのお礼の内容を集中して考えることにする白夜だった。
一条舞結は、愁先生の家庭教師の甲斐があって志望校に合格し、高校一年生になっていた。
そんな舞結に白夜さんから連絡がきたのだ。
白夜さんの話はこうだった。
私が期末テスト週間を終えて春休みに入ったタイミングで、愁先生と三人でデートをしたいという。二週間遅れのバレンタインを二人でおもてなしをしようということだ。舞結は高校生になってから、愁先生とは会っていなかったので、ほぼ一年ぶりということもありとても楽しみな気分になった。白夜さんの作戦はこうだった。
「二号(白夜)と三号(舞結)が協力して、一号(司彩)の思い出を打ち消す大作戦」
たしかに、私一人では愁先生の彼女には適わなかったが、白夜さんと一緒なら一矢報いることが出来るかもしれない。その可能性はすごく魅力的に思えてきた。中学生だったころ、自業自得とはいえ愁先生と彼女にどれだけ泣かされてきたことか。舞結はこのチャンスに闘志を燃やすのだった。
白夜は舞結ちゃんと事前打ち合わせを綿密に行った。
「決行日は三月二日、場所は奈良に決めたわ。この日は、愁と司彩が初めてデートした日よ。この日の愁の思い出を私たちで上書きしてやるわよ」
「さすが白夜さん。最高にGOODな作戦です」
司彩と啓介に連絡するときはあれほどウジウジして一時間以上かかったのに、こういう悪巧みは一瞬で思いつく白夜なのだった。
愁人、白夜、舞結の三人は、奈良健康ランドに来ていた。奈良健康ランドとはファミリー向けの大浴場と言ったところだ。白夜がボディーガードのお礼がしたいというのだ。さらにどういう訳か、去年家庭教師をしていた一条舞結さんも一緒に呼んでいるという。司彩にも、啓介にも連絡は入れているから安心して来いということだった。
一応水着も持って来いと言われたのだが、実はこっちが本命だった。ここは、温泉がメインと思われがちだが、温水プールも充実しており、人気のスポットになっていた。ただし人気と言っても、この肌寒い季節の中、プールに入りたいという発想には中々ならないもので、混むほどではなかった。
いかに司彩から了承をもらっているからと言って、水着の女の子と遊ぶなんて本当に良いのだろうか。プカプカと流れるプールにつかっていると横で、白夜と舞結さんが、キャッキャと嬉しそうに喜んでいる声が聞こえる。愁人にとって司彩以外の女子。しかもこんなに可愛い子が二人も自分と遊んでくれるなんて考えたこともなかった。しかも水着でなんて。白夜の水着姿が相当眩しかったが、実は舞結さんもだった。会っていない一年の間に舞結さんが思っていた以上に女性らしく成長しているように感じられるのだった。愁人にとって、白夜と舞結さんの水着姿は刺激が強すぎるのだった。目のやり場に困って仕方がなかった。
二人が改まって愁人の前に並んで座った。
「立って踊るのはちょっと恥ずかしいから座ってするね」
舞結さんのスマホからキツネダンスの曲が流れてきた。たったの三十秒ほどの時間だったが、白夜と舞結さんがキツネダンスを披露するのだった。可愛い手つきで、体をくねらせて、水着姿の超可愛い二人が愁人の為だけにキツネダンスを躍ってくれたのだった。中でもひときわ目立ったのが、ダンスの合間に見せる白夜の指先で作ったキツネなのだった。
愁人は、気分がおかしくなった。愁人はあんなにきれいな白夜の顔でもなく、白い肌が露になった水着姿でもなく、キツネを作った指先に一番色気を感じてしまうのだった。あんなに人を魅了するようなキツネがいるのだろうか。愁人は、司彩以外の女の子にこんな気分になるなんて思ってもみなかった。
温水プールを堪能した後、愁人が先に着替えて待っていると、遅れてきた二人を見てまたもやびっくりしてしまった。二人の美女が目の前に現れたのだった。白夜が舞結の顔に化粧を塗ってあげたみたいだ。愁人は空いた口が塞がらなかった。
「どお、愁先生。綺麗になったでしょ。私のこと惜しくなったんじゃない?」
「素材が良いからつい気合が入っちゃったわ」
「私ってこんなに綺麗なんだね。白夜さん。これからは師匠と呼ばせていただきます。もっと男を魅了させる方法を教えてください」
二人に師弟関係が築かれてしまっている。このままでは、白夜二世が誕生してしまうと予感する愁人だった。
三人が並んでバス停へ向かって歩いている。愁人が真ん中で両手に花状態だ。
「舞結さん。もうそろそろ先生はやめてくれないかな。もう先生じゃないんだし」
「そうですね。じゃあ「愁君。」て呼びますね」
舞結は、彼女が愁先生のことをどう呼んでいたのかをきっちり覚えていた。
「ゴメン。それだけは止めてください」
「じゃあ「愁。」だね」
「駄目よ。その呼び方は売り切れよ」
白夜が速攻で断りを入れる。
「これも駄目なの。だったら「ダーリン。」は?」
「あほか。もっと普通でいいだろ」
「えー。「愁君」以外でこれ以上親密な言い方なんかもうないよ」
「どうして上で考えるの。苗字で良いだろ」
「ダメだよ。せめて、呼び方くらいは一号に負けられないんだから」
「…すみません。もとの言い方に戻してください」
「えー。モトサヤかぁ」
「それちょっと意味違うからね」
そんな二人のやりとりをしている隙に、白夜が愁のホッペにさりげなくキスをした。
愁は、目を丸くして白夜の方を見返したが、白夜は知らん顔をするのだった。しかし、そんな二人を舞結は見逃さなかった。
「今、ホッペにキスしたよね。私見たよ。ずっるーい」
舞結はそう言いながら、愁人の左ホッペにキスするのだった。
「あ、二回したわね」
「だって足りないんだもん」
「だったら私も足りないわ」
白夜は愁の顔を持ち、真ん中に強引にキスをしてしまった。
「お子様はホッペまでが限界のようね」
「わ、わ、わ、私だって、出来るもん」
「残念でした、真ん中は売り切れよ」
「お、お、俺の人権を無視してないか」
「何言ってるのよ。素直に喜びなさいよ」
舞結ちゃんに一緒に来てもらって本当に良かったと思う白夜だった。二人きりだったら、さっきのキスは冗談ではすまされなくなっていたのだから。
「さぁ。このあとは、奈良公園に行きたいな」
「そうね、せっかく奈良に来たんだし。そうしましょう。ねえ愁」
「奈良公園だと!」
「なにを驚いているの。奈良に来てるんだから奈良公園に行くのは自然の流れじゃないの。ねえ舞結ちゃん」
奈良公園といえば、司彩と初めてキスしたところだった。
白夜はどこまで知っているのだろう。言い始めは舞結さんからだが、何か意図的なものを感じてしまうのだ。もしこれが作戦だったらと一抹の不安を感じる愁人だった。
「愁先生。鹿せんべいを三人分買ってきたよ。みんなで一緒に鹿にあげようよ」
「俺は一枚で良いよ。舞結さんが、俺の分まで楽しんできなよ」
愁人が、ちょっとニヤついて話している。そんな愁の態度にピンときた白夜が、愁と同じ行動をとった。
「私も一枚で十分よ。舞結ちゃん楽しんでね」
そう言って愁先生と白夜さんが鹿せんべいを一枚ずつ取ってそそくさと少し離れてしまった。
ほとんど三人分の鹿せんべいを持っている舞結が、ハッと気づいた時には、数十頭の鹿に囲まれてしまっている。
ピトピトピトピトッ。鹿の湿った鼻が鹿せんべいを持った舞結の手に纏わりついてくる。
「ちょっと、いやぁ。キャー。助けて愁先生。ギャー」
舞結さんが鹿を引き連れて、愁人と白夜の方に向かって突っ込んでくる。
「うわぁー。ばか。こっち来るなって」
図らずも司彩の時と同じように白夜と手を繋いで舞結さんと鹿から走って逃げることになってしまう愁人だった。
夕暮れ時、最後に白夜と舞結さんがプレゼントを手渡してきた。
「二週間遅れだけど、受け取って欲しいわ。私の気持ちよ」
「私も二週間遅れだよ」
二週間遅れと言われて、愁人はハッと気が付いた。今日は三月二日。この日は、司彩が「二週間遅れ」と言ってバレンタインのチョコクッキーを渡して初めて告白してくれた日だった。白夜はどこまで知っているのか。
袋を開けると、さすがにチョコは市販品だったが、その他に舞結さんから革の定期入れが、白夜からは革の手袋が入っていた。二人とも革製品だ。まるで示しあわせてきたみたいだった。
ストーカーから白夜を守った革製品。
このプレゼントには、ただのバレンタインのプレゼントだけの意味ではなく、又何かあったら守って欲しいという二人の願いが込められているのが分かってしまう。愁人は、もう二度とストーカーとは関わりたくないのだが、こんなことをされると、「頼まれたら断れないだろうな」などと考えてしまうのだった。
ただし、もし次に同じことがあれば迷わず“一緒に逃げる”の一択しかないのだが…
それにしても、司彩と初めてデートした三月二日に、司彩と初めてキスした奈良公園でお礼を計画するなんて、完全に狙っているとしか思えない。しかも偶然もあるとはいえ、結果、司彩との思い出のほぼ全ての内容をトレースしてしまっていたのだった。チョコも、キスも、手を繋いで一緒に逃げることまでしてしまった。
更にその上で、白夜のキツネの指先が発揮されたのだった。
白夜は司彩との思い出を、自分との思い出に上書きするつもりなのだろう。なんて恐ろしい。女ってやっぱり怖いとつくづく思う愁人だった。