待合室騒動編
翌日、まだ朝の九時にもなっていなかったが、司彩と啓介がほぼ同時に病院にやってきた。白夜が昨日の夜の内に、二人に連絡をしたのだった。
白夜から連絡を貰った司彩は、いてもたってもいられず新幹線とタクシーでここまで来てしまうのだった。
「愁君。本当に心配したんだよ。白夜から刺されて病院に運ばれたって連絡がきたもんだから。しかも愁君と連絡が全くつかないんだもん」
「看護婦さんから聞いたよ。ただの打ち身なんだってな。刺されたのはたったの五ミリなんだろ、大げさだっての」
「ばかいうな。本当に死ぬかと思ったんだからな」
ベッドから身体を起こしている愁がばつが悪そうな顔をして応える。
「どうだかな。でも革の防御力って本当にすごいんだな。なんで愁は知っていたんだよ」
愁以外の三人とも全員が全く同じ意見のようだ。三人が固唾を呑んで愁の返事を待っている。
「おやじだよ。バイクの免許を取った時に「バイクに乗るときは、絶対に革ジャンを着ろ」と言われていたからな。だから革ジャンを持っていたんだ。これはその応用だよ」
「お前のその豊富な知識の源は親父さんの影響もあるんだろうな。うらやましいよ」
「そんなことないって。おやじとはたまにビリヤードやマージャンをしているだけだよ」
愁君の家族の話を聞くのは、司彩にとってかなり新鮮だった。さすがは愁君のお義父さんだった。今の愁君が無事なのは、お義父さんのその助言のおかげといっても過言ではないのだった。司彩はまだ見たこともない愁君のお義父さんがとても好きになった。またその家庭環境で愁君の人格が形成されていると思うと、もっと二人の話を聞きたくなっていた。
「いいね、ビリヤード。オレも愁のおやじさんと一緒にやってみたいな」
「あっ」
ゆっくり聞いている場合ではなかった。新田君に愁君のお義父さんを取られてしまう。
「愁君のお義父さんとビリヤードに行くのは私だからね」
「なに言ってんだよ。横から入ってくるなよ」
「新田君の方こそいつも邪魔なんだよ」
愁君の彼女の身としては絶対に引く訳にはいかなかった。司彩が珍しくちょっと熱くなっている。
前にもあったが、四人が揃うと良くそういうパターンになるのだった。
それにしても、四人揃うといつもは一番おしゃべりな白夜が今日は一番奥の椅子に大人しく座っていて、黙って話を聞いている。いつもの白夜ではなかった。
「もうちょっと静かにしてくれないかしら。愁の体に悪いわ。それにこれから退院の手続きをしないといけないから二人とも一旦席を外してくれる?」
司彩と啓介は、部屋を追い出されてしまうのだった。
司彩は気付いてしまっていた。白夜の愁君を見る目が今までと違っているのだった。こうなる予感はうっすらしていたのだった。愁君は本当に凄いのだから白夜が愁君の魅力に引き込まれたとしても何ら不思議はないのだった。司彩は体中がわなわなと震えてきた。
待合室で、司彩と啓介が待っていると、啓介がのんきに言ってきた。
「まあ、愁に大事がなくて良かったよ」
その啓介の言葉に司彩がカッとなって反応した。
「何のんきなこと言ってるのよ。確かにケガは大したことないかもしれないけど、大ありじゃん。新田君も気づいたでしょ。あの白夜を見て気付かなかったら大馬鹿だよ。彼氏なんかやめたらいいじゃん」
「分かってるよ。オレだってびっくりしてどうしたらいいか分からないんだ。でも愁は本当にすごいんだ」
ここにも愁君の大ファンがいるんだなと思いながらも、司彩も止まらなかった。
「そんなの分かり切ってるって。だから私も辛いんじゃん。なんで新田君じゃなくて愁君が刺されるのよ。白夜を守るのはあなたでしょ」
「それは、愁がおれより弱そうに見えたからじゃないの」
そんな啓介の冗談を言った顔に、いきなり平手が飛んできた。バチンと結構いい音がして、待合室中に響き渡った。テレビを見ていた二、三人の患者さんが気にしない素振りをしながらもこちらの様子をチラチラと伺っている。
「そういうこと言ってるんじゃないってば。本当に馬鹿なの」
司彩は、人目も憚らずに大声で新田君に言い放った。しかも目から大粒の涙がこぼれている。
周囲からは、まるで別れ話をしている男女の会話みたいに見えるだろうが、今の二人にはそんなことは大した問題では無かった。
司彩はここが病院の待合室であることは完全に頭から抜けていた。
どうしても、涙を抑えつけることが出来なかったが、本当に泣いている場合では無かった。
司彩は全身全霊をもって今後どうするかを考えなければいけなかった。
今後の白夜の行動で考えられるパターンは以下の通り
①司彩が白夜をけん制して愁君を諦めさせる
②白夜が愁君に告白し、愁君がOKする
③白夜が愁君に告白し、フラれる
④白夜が愁君に告白せずに我慢する
⑤白夜が愁君のことが好きでなくなる
だが、①は決してありえない。私は絶対、白夜を押さえつけるようなことはしない。
次にもし、仮に②③の白夜が愁君に告白してしまった場合、私では愁君がどちらを選ぶかは判断がつかなかった。私としては愁君を信じたいが、なんと言っても相手はあの白夜なのだった。白夜はクラス全員の男子からモテていたといっても過言ではないほどモテていた。ハッキリ言って舞結ちゃんとは「格」が全然違う。私の想いとは関係なく愁君が白夜を選んでしまってもおかしいとは思えなかった。
まさかこんなことになるなんて…。司彩は、愁君とキス以降の関係から進まなかった自分を呪いそうになった。こんなことなら、恥も外聞もかなぐり捨てて、自分から強引に誘い次のステップに進んでおくべきだったと痛切に後悔した。悔やんでも悔やみきれないが、そんなことは今悔やんでもどうしようもないのだった。
話を戻すと、②③の選択は、今の四人の関係が完全に破綻することを意味するのだった。白夜が愁君に告白してしまうと②にせよ③にせよ、私は白夜と友達ではいられなくなる。私の彼氏に告白するという裏切りともとれる行為をする事実を受け入れ、尚、白夜と友達でいられるほど私は人間として出来ていない。更に白夜は新田君とも別れることになるだろう。しかし白夜は絶対そんな選択はしないと言い切れるのだ。私が白夜なら、きっとそうする。そうなると残るのは④⑤だが、⑤の白夜が愁君のことを好きでなくなることなんてありえるのだろうかと思ってしまう。なんと言っても愁君だからだ。そうなると白夜が選ぶ選択肢は④しかないのだった。
司彩には白夜が④を選ぶという確信があった。周りに気を使いすぎる白夜は、愁君を好きになったことをきっと誰に相談することもせず、一人で感情を押し殺して我慢してしまうに違いなかった。でもそんな選択は白夜にとって悲しすぎる選択だ。司彩は白夜にそんな選択をしてほしい訳では断じてなかった。
だったら私が白夜に対して本当にするべきことは何なのか。
司彩の考えは一時間に及んだ。啓介はそんな司彩の邪魔をすることなく隣で黙っている。また、周囲にいる患者さんも、事の顛末を知るために黙って待っている。
ようやく司彩の考えがまとまってきた。
正解は⑤だ。これしかない。
「新田君、分かったよ。私たちが白夜のために本当にしなきゃいけないこと。それは新田君が愁君に勝つんだよ。本気の本気を出して白夜に新田君を心底惚れさせるんだよ。そして、白夜から愁君の気持ちを追い出すんだよ」
「そうか。そうだよな。それしかないな」
「そうよ。だから当分の間は、愁君のことを気にしている素振りは一切しちゃ駄目だからね。もちろん分かってると思うけど、私たちが白夜の気持ちに気づいていると絶対の絶対に認めちゃ駄目だよ。認めたら全てが終わってしまうんだからね。だから本当に絶対の絶っ対に認めちゃ駄目だよ」
口の軽そうな新田君を見ていると四回も絶対と言ってしまっていた。でもこれでも足りないような気がする。
「当分の間っていつまでだよ」
司彩はしばらく考えたあと、新田君にこう言った
「お互いが結婚して子供が生まれるまでよ」
啓介は、全く反論しようとは思わなかった。
「だから、もっと本気をだしなさいよ。相手は愁君なんだからね。本気の本気でないと勝てないよ。また次も腑抜けたこと言っていたら今度はグーだからね」
「わかったよ」
「今日はもう帰るわ。これ以上白夜の顔を見ていられないから。あとは頼んだわ」
司彩は来たばかりの筈だが、ろくに愁人と話さずに東京に帰ってしまった。
そんな二人の結末を見届けた周囲の患者さんも、不思議そうな顔をしながらそれぞれの部屋に帰っていった。
「お互いが結婚して子供が生まれるまでか…。何年後だろうな」
司彩と啓介の間に、お互いの相手に言えないとても大きな約束が交わされてしまうのだった。