告白編
今日こそ告白する筈だったのに。
名倉愁人は、今クラスメイトの瀬川司彩と二人きりで天王寺公園のベンチに腰掛けている。終電に乗り遅れて始発電車を待っている状況だ。ずっと告白できるチャンスを伺っていた愁人にとっては、この上ない最高のシチュエーションだ。しかし、ここへは“逃げて”来たのだ。まさに最悪の展開だった。
想定外だったとはいえ、よりによって司彩と一緒にいるこの時に、なぜあの様なカッコ悪い行動をとってしまったのだろう。愁人は自分のとった行動に、過去最大級の後悔をしたのだった。
その行動のせいで、今日のために色々考えてきた作戦が全て台無しになってしまった。こんなはずではなかった。あれさえなければとっくに告白できていたのに。愁人の気持ちは沈むばかりだ。
ふと気付くと司彩が横から顔を覗き込んで来た。
「こんな状況でよく寝られるね」
「寝てないって」
「目つぶってたじゃん」
「考えことしてたんだ」
「このベンチに座ってて大丈夫かな」
「多分大丈夫だろ」
「でも…」
春と言うにはまだ肌寒い季節だった。辺りは真っ暗で、月明かりも無く公園の小さな街灯の明かりだけがぼんやり届いているだけだった。そのいかにも寂しげな風情は今の二人の心境を物語っているようだ。
かつて愁人がイメージしていた会話とは程遠い低いトーンで会話が展開されているのだった。
約二時間前、高校卒業パーティーの帰り際。
新田啓介が第一声をあげた。
「おい愁。おまえ瀬川と帰る方向一緒だろ。送っていけよ」
「えっ。それなら新田君だって同じ方向じゃんか。みんなで帰ろうよ」
「俺は白夜ちゃんを送って行かなきゃだからダメなんだ」
二人のやり取りを聞いていた愁人は、最後に大きく返事した。
「…分かった。瀬川、送って行くよ」
初めは抵抗していた司彩だったが、これ以上は何も言ってこなかった。
作戦通りだった。うまくいかなかった時は啓介達と四人で帰るという計画も立てていたが、その必要は無くなった。上々の滑り出しだ。愁人は司彩にバレないように啓介へ向けてこっそり親指を立てた。
作戦は第二段階に突入する予定だったが思わぬハプニングが起きてしまった。
司彩と二人で大道路脇の街道を歩いていると、不意に物乞いと思われる不審者がユラユラと近づいてきたのだ。あのイヤらしい目つきは間違いなく司彩を狙っていた。
愁人は咄嗟に司彩の手を掴み、一目散に逃げてしまった。そうしているうちに終電時間はとっくに過ぎてしまっているのだった。
瀬川司彩は、口数は少ないが一本筋が通っていて、とても優しくて笑顔が似合う可愛い女の子だ。
愁人は司彩に密かな恋心を抱いていたが、告白できないままついに高校の卒業式を迎えてしまった。
何とか司彩に思いを伝えたいと愁人はずっと思っていたのだ。
今日の卒業パーティーの帰りについに告白する決心をしたものの、不審者に追いかけられるというハプニングにより準備していた作戦が全て台無しになってしまった。
このままでは、永久に告白出来ない。何とか作戦の立て直しが必要だった。
そんな愁人の思いには全く気づかず、司彩が心配そうに聞いてくる。
「さっきの人、本当にもう来ないかなぁ」
「どうだろ」
さっきの自分のとった最低な行動を隠すように、つい適当な返事をしてしまう。愁人のそんなそっけない対応に心細くなったのか、今度はさっきとは逆に司彩の方が愁人の手を掴んできた。
「ゴメン。ちょっとまだ怖いんだ」
まさか司彩のほうから手をつないでくるなんて。
この司彩の行動に愁人の脈拍は回転数が上がっていく一方だったが、反対に思考回路はパンク寸前になっていた。彼女を安心させてあげたいけれど、こんな時、一体どんな会話をしたら良いのだろう。
今でこそ、素っ気ない態度をとってはいるけれど。先程彼の取った行動は、完全に私を守ってくれるものだった。不審者と目が合ったその瞬間、司彩の足は竦み上がり蛇に睨まれた蛙のように一歩も動けなくなってしまった。しかし次の瞬間、彼が私の手首を掴んで瞬く間に一緒に逃げてくれたのだ。その彼の手の力強さと温もりは、今まで体験したことの無いものだった。
名倉愁人はクラスでは目立った存在でも無くどちらかと言えば控え目な男の子と言う印象だった。そんな彼が、まさかあんなに頼りになるとは思ってもみなかった。
しかも逃げている合間に彼が声をかけてくれたのだ。
「絶対に離さないから安心して」
まるで告白を受けているみたいだった。これまでの司彩の人生において、あんなに真顔で絶対離さないなどと言われたことは過去に無かった。
「ちょっとカッコよかったかも」
あの時の彼の真剣な表情とセリフを思い出す度に、ドキンと胸が高鳴る司彩だった。
ただ、今の彼の素っ気ない態度に対して、どう反応して良いか分からない。こういう時、どんな会話をしたら良いだろうと頭を悩ます司彩だった。
今の機会を逃すと次の機会は永遠に訪れない。愁人は意を決し、司彩と向かい合った。
「あのさ」
「なに」
「…」
どうしても切り出せないでいる愁人に対して司彩が先に言葉を発した。
「名倉君って凄く頼りになるんだね。ビックリしちゃった」
「そう、かな」
「そうだよ」
ただ一緒に逃げただけなのにこれは一体どう言うことなのか。
「だって逃げる時の一歩目がものすごく早かったから」
愁人の羞恥心が最高潮に達した。しかし、司彩は本当にそう思っているようだった。それならばと、何とか気を取り直すことに成功した。
告白するなら本当に今しかない。
この千載一遇のチャンスに愁人はありったけの勇気を振り絞って司彩に告白した。
「また、何かあれば一緒に逃げようか」
愁人にとってはこのセリフが限界だった。これ以上は、声がどうしても出なかった。
司彩は恥ずかしそうに照れ笑いをしながら掴んでいる手首を恋人繋ぎに繋ぎ直した。
「約束だよ」
この笑顔が良いんだよな。愁人も思わず口元が緩くなる。
言葉数は少ないが、愁人がかつてイメージしていた優しくて幸福な会話が続いている。公園の街灯の光は二人だけを映し出していた。まるでこの世界には二人しかいないみたいだ。しかもつながった司彩の手が、なんとも言えないくらい柔らかくて、じんわり春の暖かさを感じてしまう。
始発電車までこの手は絶対離さないと愁人は誓うのだった。