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年が明けたのだから

作者: ダイナマイト山村

言葉は公平公共性を持っているという顔をしながら、いたって独善的なものである。

同じ言葉、同じ文脈でも、理解やイメージが人によって異なる場合がある。

なんとなくのイメージで作り上げたものを、なんとなくのイメージで読んでいただければ、それがこの物語であり、それが事実です。

 なんとなくリセットできたような空気を醸し出す世の中。


 何一つリセットなんてできていない人生を歩んでいる最中。


 あぁ、このまま消えてなくなってしまうのは惜しいと呟いてみる。


 誰が?

 

 誰に?


 継続させるために、「リセットを待ち望む」という一見矛盾した自分を滑稽に感じながら、車道を間がめている。


 この先何があろうと、僕は死ぬんだ。


 それはそうだろう。 

 

 不老不死なんて嫌だ。


 夭折も嫌だ。


 病気に苦しむのも、寝たきりになるのも。


 あれも嫌だこれも嫌だ。


 何を言っているんだろう。


 生きるために死に方を選ぶのか。


 死ぬために生き方を選ぶのか。


 知らない。


 どちっちもどっちだ。


 死と生は一続きで、実は境目などないのかもしれないとさえ思う。


 どちらかがどちらかに含まれている状態変化の一つ。


 いや。


 理屈はいいのだ。わからないものに対して必死で手持ちの理論武装を展開。

 

 なんとなく気持ちよくなるという悪癖に辟易する。


 今大事なのは。


 量の手を見る。


 ぢつと手を見る。


 何年も何年も同じ繰り返し。


 飽きもしない自分をほめてあげよう。

 

 2年越しも3年越しも、10年越しも。


 それは紛れもない新たなステージ。


 石の上にも3年。


 岩をも穿つ。


 何でもいい。


 何でもいい。


 とりあえず善哉をいただこう。


 このあたりの風習で、そう有名でない地域のお寺では善哉が振舞われることがある。


 振舞われるのだ。


 明日頑張ろうも、来年頑張ろうも知らない。


 ただ、繰り返すこの時に鐘を鳴らそう。


 まるでウエディングベルのような警鐘で煩悩を払うことができるのか。


 和洋折衷?


 あぁ、あったかい。


 「あけましておめでとうございます。ありがとうございます」


 こっからどうするかな。


 まぁ。


 いいか。


 年が明けたのだから。


 

昨年久しぶりに文章を書くことにはまり、いろいろなインプットアウトプットをしてみました。

途中から、しゃべる方に切り替わり、しばらく期間が開き。

また久方ぶりに書いてみました。


手癖でかなりいい加減なものですが。


同じアウトプットでもトークと文章ではやはり違うもので。

文章を書くというのは楽しいものですね。

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